第九十話 神殿

 王都の神殿に仕える侍女は、千人近くいた。

 彼女たちは巫女では無かったが、巨大な大神殿では大巫女の身の回りの世話や儀式の用意だけでなく、庭園の手入れや食事、掃除の人員を考えると自然のこの数になってしまうのだった。


 侍女たちの頂点に君臨するのは、もちろん大巫女であるレイに違いなかったが、侍女達が内心では主に対して反感を持っている者が多いことをレイは知っていた。


 理由は明らかだった。侍女達は本来、鶴亀山の巫女団に対抗すべく、ミカドによって集められた巫女候補たちである。巫女は豫国の女にとって、出自を問わず尊ばれる最高の名誉であり、誰もが選ばれたことに誇りを持っていたに違いなかった。


 だが、いざレイが大巫女の座に即き、彼女たちを選別すると、まるで冗談のように誰も巫女として認められなかったのである。誇りを傷つけられた彼女たちは、表面は従順でも内心忸怩たる思いで神殿に勤めている事は容易に想像が出来た。


 しかしこれはレイにとっても、まるで冗談か何かの悪夢のようだった。ミカドは巫女の候補を数多く集めており、当初はレイもここに新たな巫女団を作るのだと情熱を燃やしていたのだが、集められていた娘達の水準は、巫女団とは比べものにならないほど低かったのである。巫女団の者であれば当然に感じることの出来た明日明後日の天候、一年の作物の実りの予知、土地の鎮め、そして力ある者との共鳴、それが出来る者が一人もいなかった。自分には霊力があるのだと勘違いしていたり、でまかせに主張しているだけの者もいれば、僅かな霊力は確かにあっても、会話をすることも出来ないほど心を病んでいる者も少なくなかった。


 これでは話にならない、と本来であれば彼女たちをすぐにでも故郷に帰したいところなのだが、そこは彼女たちを集めたミカドの面子もあってすぐにはそれができない。いずれ本当に資質のある娘達を集めて、徐々に人を入れ替えれば良いと思っているうちに、巫女は見つからず、今日まで来てしまっていたのだった。


 レイは早朝、上級侍女五十人を神殿の大広間に集めていた。

 闘技会の様な盛装ではなかったが、眦に朱を引き、彼女の細い首に白玉の首飾りがあるだけで、この世の者とは思えない美々しさがあり、侍女達に少なからず威圧を与えている。


 謁見の始まりから、上級侍女たちの心は穏やかでは無い様子だった。恐らく、すでに噂を聞いているのだろう。ここ数年無かった素質ある巫女の出現。

 以前のように巫女が見つからない状況を考えれば、その少女はいずれ大巫女になる可能性を秘めた娘ということになる。


 大巫女の左には、白衣を着、白玉を一粒首に垂らしたトヨが怯えた様子で立っていた。少女の容姿は平凡だったが、あの小汚かった娘が今は別人のようだと誰もが思った。そして右には、ワカタが帯剣したまま、何やら壺を両手に持ってレイの後ろに控えていた。


 侍女達は、彼こそが先日の闘技会でシンハを討ち取った若者だと、目と目で囁き合きあい、ある者は艶のあるため息まで出していた。

「皆に集まってもらったのは他でもない。お前達も知っているだろうが、この度ついに巫女の素質を持つ娘が新たに見つかった。この者がそうだ。名前はイヨという。これから私は、この娘の教育に力を入れることになるだろう。お前にも苦労をかけるだろうが、どうか今まで通り私を支えて欲しい」


 上級侍女達は目を見張り、飛び上がるいきおいで心底驚いた。

 普段は尊大な大巫女から考えれば、随分と謙虚な言葉である。なにしろこの大巫女は、長年仕えていた先の侍女長が死んでも、涙一つ見せなかったほどなのだ。これは何かのこれから爆発する感情の前触れなのだろうか。


「それから」


 侍女達が息をのむと、大巫女は意外なことを口にした。


「お前達は、巫女としての素質は無かったけれど、毎日この神殿と私に仕えてくれていることには感謝している。今日はその証として、この白玉をそれぞれ一粒ずつ授けよう。明日からはこれを首にするがいい」


 ワカタが一歩進み出て、壺に被されていた白布を取った。中には幾粒もの真円の白玉がため息の出るような輝きを放っていた。

 白玉を賜ることは、巫女として最高の栄誉である。たとえ、それが一粒であったとしても、上級侍女たちは予想もしていなかった幸運に、口を手で被い、涙を浮かべて歓喜した。


「みな、聞きなさい。たとえ巫女でなくとも、この神殿に仕えるものは、豫国の大神に仕えているという点でなんら恥じることでは無い。これからはどうか誇り持ち、今まで以上に真心をもって働いて欲しい。もし、心ない者に悪態をつかれたり、心弱い者がくじけそうになった時は、この白玉を手に取って、その事を思い出しなさい」


 侍女達は感極まり、改めてその場に跪き、揃って頭を垂れた。

 その様に、頭上のレイは満足そうに微笑んだ。


「そうそう。もしお前達や、この神殿に仕える侍女の家族の中で、病の者がいれば私に言いなさい。私が、大神の力でお借りして治してやろう。場合によっては王宮の医師の力を借りよう」

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