第九十一話 支配者の条件

 

「下らないわね。大巫女である私が、侍女どものご機嫌取りなどと」


 自室に戻ったレイは、机の上に生けられた薄紫の一輪の花を一瞥し、庭に向けられている椅子に気だるく腰をかけると、広袖を振り、足を組んで呟いた。

 庭園は相変わらず穏やかで心地よい風を運んでくれ、レイの艶のある黒髪を揺らしていたが、ふと目を開くと随分と花が散っていた。もう、冬の入り口に立っているのだ。そう思うと、レイの表情は少し暗みを帯びたものになる。


「しかし、お前の助言は正しいと思っているよ。自分の勢力を築くのなら、この神殿の侍女を取り込むのが一番手っ取り早い。その上、多くの者は戦士としての訓練も受けている」


 レイは体を庭に向けたまま、椅子の背に立つワカタに言った。

 もし神殿以外でこれだけの人数、武力を取り込む動きを見せたなら、すぐさまミカドに警戒されてしまうだろう。だがこの神殿の侍女達を掌握すれば、大巫女という権威だけではなく、実態を持った力を自然と手にすることが出来る。しかも神殿の警護のためと言えば、訓練を重ねてもなんら不審では無い。現に先日、侵入者があったことはミカドをはじめ大臣達も知っているのだから。


 レイは細い指を顎に当てた。


「相手の自尊心をくすぐり、その気にさせて取り込む。本人にとって大切な者を神秘の力で救って心酔させる。なるほど。こうも見事だと、まるで前例を知っているかのようだな」


 レイは緩やかに振り返り、意味ありげにワカタの方に顎を向けた。


「私も、実は昔は体が弱かったのです。家族は心配しておりましたが、ある方に救って頂きました。その時、家族は相手を崇めるようになったのを覚えていたのです。私自身、その人を大変慕うようになりましたし」


「それも、お前に気を教えてくれたのと同じ男というのか」


「はい」


 乾いた風が吹き、庭園の木々の葉が舞って部屋に入ってきた。少し寒いな、そろそろ火鉢を入れようかと思っていると、気がつけばワカタが背後から毛皮を肩にかけていた。

 その瞬間、自然に肩にかけた手がワカタの指に触れる。その指は、この冷えた部屋の中で不思議なほど温かかった。


「・・・侍女長とミオ王女の事は、がっかりした」


「と、いいますと」


「私はやはり、どこかで王族、ミカドの一族という者に期待していたらしい。民が弱っている、このままでは国が滅びる、だから特権のある立場の自分が、自分たちがなんとかしなくてはいけない。そんな当たり前のことを考える王族か貴族も、いるだろうと思っていた。私に求めることは無茶苦茶でも、志は正当だとどこかで思っていた。巫女は、その人生を大神と国と民に捧げるものだから。だが」


 あの夜、イヨを用意させた自室に下がらせた後、侍女長が語ったのは、レイを失望させるのに十分に内容だった。

 まずミカドを斃す計画は、ミオ王女が黒幕というわけでは無いらしい。兄妹の計画を察知した王女が接近してきたのだと言うが、その理由というのが、ミカドへの復讐だというのだ。


 ミオ王女は若い頃、ある男と恋仲で年齢も身分も釣り合っていた。だが、ミカドの反対で泣く泣く別れることになった。以来ミオ王女は未婚を貫き、しきたりに従ってシンハの世話の役目に立候補したというのだった。彼女にとってミカドを斃すことは、過去に引き裂かれた恋の復讐なのだ。

 レイは額に手を当てる。

 元王族の兄妹は国を救うためと言いながら禁忌の恋の末に生まれた我が子のため、王女の中の王女と言われる貴い姫は、失われた恋のためにミカドを斃そうとしている。

 そこに真に国や民を憂う気持ちは、微塵も無いのだ。


 現実的に考えれば、ミオ王女やナミを中心にミカドに反旗を翻す一党が組まれており、それを自分が吸収したかったところなのに、そんな組織は無かった、その事に落胆すべきだろう。

 しかしレイには、その事がたまらなく心を重くして深い息を吐いた。


「王族なんて、みんなそんなものですよ。身分なんて、幻想です」

 ミカドの暗殺、新たなミカドの即位、摂政、常人ならば戦くようなこの企てを聞いても、ワカタはさほど驚いた様子は見せてない。

 今日も、レイの愚痴に冷たささえ含ませて、なんてことはないふうに答えた。


「レイ様は漢土のことを知っていますか?あの地ではそんな風にして、勃興と腐敗と革命が繰り返されているんですから」

 随分と胸を張り、さも見てきたかのように語るワカタに、異様にむっとしてしまうのは何故だろう。


「革命・・・か」


 それは漢土の考え方である。彼の地の王、すなわち皇帝は天という豫国で言えば大神に当たる存在から、その仁徳を根拠に地上の支配権を与えられている。しかし君主が徳を失い、天に見放された時、革命が起こり王朝が変わる。それが真実か迷信かは分からないが、そういう考えが根底にある彼の地では、幾度も王朝の交代が起こっていることはレイの耳にも入ってきていた。

 国が乱れれば、それは君主の徳が無いからだと責めて良いのだ。

 しかし、それは君主だけの責任では無いだろう。漢土にしても豫国にしても、それぞれに政を司る部署があり、責任者として大臣がいる。その大臣たちが足並みを揃えるかのように腐敗していけば、君主であってもそれを止めるのは難しいのでは無いか。それをとめられるのが徳だというのか。


 レイはもし自分が摂政になれば、現在の大臣達をすぐさま一掃しようと考えていたが、組織全体が堕落した気質に蝕まれている場合、恐らくすぐに同じ事が起きる。では、一体どうすれば、健全な支配体制というものが築け、保ち続けられるのだろうか。


 脳裏にふと、漢土、そして遙かな西方にあるという大帝国、無数の国々のことが駆け巡った。それらのあらゆる政の形を知れば、消化し何か生み出せるのでは無いだろうか。


「漢土では、具体的にどのように革命が起こるのか、知っているか」


「それは・・・私の知っている話では、まず君主が堕落して悪臣が跋扈するようになります。すると各役所や役人が腐敗して税が増え、庶民が苦しみます。災害が起これば国が対策工事や支援をするものですが、それが行われなくなり、庶民に不満が募ります。そして国の治安が悪くなり、人心が乱れるのです。この時、いい加減にしろと民が怒って蜂起し、大秦国を滅ぼしたこともありましたし、力の持った臣下が皇帝から帝位を簒奪したこともあります」


「耳が痛い。まるで今の豫国のようじゃないか。だが不思議なことに、豫国では民の暴動だとか叛乱だとか言うことは少なくとも私は聞いたことがない」


「今まで豫国には、豊かでしたからね。ほとんどの村々は自給自足で、天災は大神と大巫女のおかげでほとんどありませんでしたし、米にしろ芋にしろ魚にしろ、民が飢えたことがありませんでした。それだけでも、随分と違います。それに向こうには、国が乱れたり天災が起こるのは、君主に責任があるという考えが根底にありますから」


「豫国では大神の教えがあり、そんな考え方はしない。つまり、ミカドが怨府となることはないか」


「そうですね、今までは」

 ワカタのその一言に寒気を覚え、レイは肩にかけられた毛皮のふちを握りしめ、心の慰めに机上の花をまた見た。


「神殿の女たちを戦士として強化するまで、どれくらいかかる?」


「どれほどの強さにでしょうか」


「お前と同じくらいに。あるいは同じ数のヤクサ将軍の兵士と戦っても、勝てるだけ」


 ワカタは鷹のような目で見られたが、また彼も同じような目をしていた。


「私はヤクサ将軍の兵の強さを存じませんが、今から年月をかけどれだけ鍛えようと、同条件で戦えば女である分、こちらが不利でしょう。しかし」


「どうすればよい?」


「条件を変えるのです。情報を集め、戦う場所、時をこちらが有利なものに揃えます。そして時機が来れば決して逃してはいけません。それから私が持っているこの剣と同じ武器を、女たちに用意することは可能でしょうか。それが出来れば、女たちに気を教えることで、別格の武器を持つことになります」

 レイは目を閉じ、眉間を狭くした。


「日緋色金か。あれは近頃作れる者が少なくなってしまっていて、今や貴重だと聞いている。不滅の金属 だから昔からあるものは兵達に回っているが、新しくはほとんど生産されていないらしい。それでも神殿の警護のためと言えば、いくらかは譲ってもらえるとは思う」


 しかしそれでも、せいぜい弓矢や槍が十もあれば良い方だろう。


「無いよりはましです。どうかそのように」


「よし、分かった。お前はもう下がれ。後はイヨのところに行って、相手をしてやると良い。あまり離れていると、寂しがろう。まだ私にも神殿にもなれてくれていないからな」

 そういった微笑んだレイの表情は、春の日射しのように穏やかだった。

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