第三十五話 選ばれた娘

 今年最後の月になった。


 寒さは日ごとに厳しいものになっており、雪が降る日も多くなってきている。元々高い山にあるこの里の冬は、麓の村々とは比べものにならないほど凍える苛烈なものである。この里で初めての冬を過ごす新入り達は、改めて巫女としてこの地で暮らすということの厳しさを知るのだった。


 年送りという大きな儀式を月末に控え、誰もが慌ただしくなってくる頃、モモがまた熱を出した。


 今回もそれほど高い熱ではなかったが、やはり寝込んでしまっている。ウメはモモを家まで運んだ後、いつもと同じく薬を貰ってくると言った。


 モモは魘されつつも、白い月のように儚げな顔で申し訳なさそうな顔をした。


「いつもごめんね」


「もう、気にしないでって」


 ウメは心から面倒だなどとは思っていなかった。それよりも実はわくわくしていたのだ。今、熱を出している同じ組の友人は、大巫女サクヤから太鼓判を押されるほどの素質があり、しかも霊力が高い年少者にはありがちという熱を何度も出している。 一体どれほどの素質なのだろう。


  モモが熱を出せば出すほど、彼女の将来への期待がどんどん膨らんで、まるで自分事か、あるいは彼女の母になったかのように楽しみになっていく。

 自分は寝込んだ時に薬を貰いにいくだけだが、モモが成長し幹部になった時には、まるで自分が育てたような気分になるのだろう。

 

 ウメはそんな風に思っていたので、次にモモからの告白を聞いた時、世の中が崩れ落ちるような気分になった。


「あのね、私今度・・・故郷に帰るの」


 その言葉を聞いた時、ウメの頭はすぐに理解が出来なかった。この時期に何人かが里から故郷に帰されるという話は以前から知っていたが、それは素質がない者のはずである。


 恐らく同世代で最も才能があり、サクヤからも認められている彼女がどうして。


「理由は分からないけど、やっぱり何度も寝込んでいるからだと思う。きっと貴重な薬を私ばかりが使っているからなのかも」


 そんなはずはない、とウメは心の中で叫んだ。イワナならばともかく、あのナルは薬が勿体ないなどとは間違っても思わないはずである。まして、それを理由に里を追い出すなどとは、教育熱心でもあるイワナですら思わないだろう。


「・・・ちょっと悔しいな。私は今こんなでも、そのうちきっと丈夫になって、この里でも偉くなりたいって野心を持っていたのよ・・・本当に」


 今にも消えそうな儚げな顔で、涙を滲ませ訴えるモモに、それ以上どんな言葉もかけられなかった。

 一体何故なのだろう。おかしい、おかい。こんな事は理不尽である。

 そう思ったウメは、風のように家を駆けだした。



 毎年この時期の幹部会議というものが、イワナは嫌いだった。

 年送りがあるこの月の会議の議題といえば、生贄の事である。しかも生贄という古く野蛮な行為への嫌悪感だけではなく、この時の幹部達の顔が何より嫌いだった。

 十年以上前、最初にサクヤが生贄の復活を言い出した時、幹部はだれもが驚愕し、抵抗を示した。だがサクヤの強権によって生贄が復活されると、幹部達は年々無表情になっていく。


 誰もが生贄というものになれていくのである。そして自分たちには決して火の粉が降りかかることはないと悟ると、どんどん他人事になっていく。


 むしろ、生贄は劣った年少者が選ばれるため、自分たちが選ばれた存在であるという気持ちになれるようで、薄ら笑いさえ浮かべだした者もいる。


 幹部達のそんな変容が、イワナは何より嫌だった。


 しかし、それでも自分は今まで甘かったのだと思った。

 浅く呼吸した後、イワナは鬼にならねば、と自分に言い聞かせた。


「さて、今年の年送りの生贄ですが、一人は新入りのモモを選びました」


 サクヤの発言に、さすがの幹部達も声を上げて驚きざわめいた。


「サクヤ様、どうしてですの? あの者は、才能もあるとサクヤ様もお認めになっていたではありませんか」


 そう言ったのはスミという幹部である。彼女は一度はククリと同じく生贄に反対していたものの、近年広がりつつある『劣った者はその身を捧げよ』という考え方に変わった者だった。


 考えを変えた理由が、劣った者はその身を捧げるべきだというものだから、優れた才能を持っているモモが選ばれたことに納得がいかないらしい。

 他にも同じように考える者もいるようで、声に出して抗議こそしないがスミの発言に頷く者が何人かいた。


 そんな幹部達の不満をサクヤは悠然とした笑みで受け止めると、優しい声で言った。


「モモの才能は私も認めています。ですが、あの子の命は持って後一年ほどなのです」

 その言葉で、幹部達は再びざわめきもしたが理解の色を示した。

 つまりサクヤはモモの未来を予知しているのだ。どうせ後一年ほどの命ならば、今回生贄として選ばれるということは不思議な事ではない。これが巫女として最後のお役目だと考えるならば、モモに最後の大役を任せる意味合いも出てくる。幹部達はそう納得して次々に頷いた。そしてもう一人の生贄には、昨年入って来た娘で里心を出していつも泣いている巫女の名前が出された。毎日泣いてばかりおり、修行にも身が入らず、教育係達も難儀しているため妥当な人選だと幹部達はさらに頷いた。


「さて、事前にいってあるとおり、今年もう一人増やします。まだ決めていないのだけど、皆の意見はありますか」


 サクヤが一同を見渡すと、幹部達は一瞬戸惑ったものの各々の意見を述べだした。ある者は、里で規則を破った者はどうかと言った。しかし別の者は、規則を破った者とはすなわち罪人であり、国の罪と穢れとを背負う生贄が罪人では問題だろうと述べる。別の者はもう年を取って役に立たなくなって者はどうかと言った。けれどもそれではただの口減らしと同じであり、神の供物としての意味合いを持つ生贄には相応しくないという意見がでる。


 そんなやり取りに怒りと嫌悪感を覚えながら聞いていたイワナは、深呼吸の後、静かな声で発言した。


「私からも、よろしいでしょうか」


 一同の視線がイワナに集まる。その一方で幹部達は眉をひそめて嘲笑していた。生贄に反対する彼女の意見は、決まっている。この期に及んで、生贄という風習について抗議の意見を述べるのだろう。もはやイワナに賛同する者は誰もなく、大勢は決まっているというのに愚かなことだと誰もが思った。


「もちろんです、イワナ」


「サクヤ様、私は以前から生贄というものに反対していました。けれど、今回思い直すことにしたのです。私の提案を聞いて頂けるでしょうか」


 サクヤは目を細め「ほう」と興味を示し、幹部達も大幹部の変化におおっとざわめいた。単純に驚いている者もいたが、これでやっと幹部の意見が一つにまとまると考えたのだ。


「私はこの度生贄というものを改めて勉強致しました。そもそも供物とは、本来人にとって尊いものを大神に捧げる行為なのですよね。つまり、農作物だったり、宝玉だったり」


「そうです」


「そして生き物にとって最も尊いもの、それは生命、この生命を捧げる事が生贄です。では、人の生贄の中でさらに尊いとされるもの、巫女にとって重要なものは何でしょうか。私は、若さと才能だと思います」


「イワナ、何が言いたいのです」


 次の瞬間、イワナは凍える山の威厳を振り絞り、幹部達の前で宣言した。


「私は、もう一人の生贄は幹部の中から選ぶべきだと思います」


 宮の中の空気が一瞬で張り詰め、幹部達はギョッとして声も出せずにただ目を見開いて固まった。今ここに、イワナ自身から真冬の吹雪が放たれているかのようである。

 恐ろしいほど鋭い沈黙が流れる中、最初に口を開くことが出来たのはキョウだった。彼女も若くして幹部になった優れた才能の持ち主で、『劣った者はその身を捧げよ』という考え方の中心にいる幹部でもある。


「ほ、ほほ。イワナ様、一体何をおっしゃるかとおもえば。生贄というものは、いつもこの里で不要な者を選んで・・・」


「そのような者を神に捧げて、本当に大神がお喜びになりますか」


「な、なにを」


「皆、先ほどから候補に挙げているのは、劣っている者や年を取って役に立たなくなった者ばかり。けれど、本来価値ある者を捧げる生贄に、そのような者が相応しいとどうして考えるのです? 巫女団を指導する私の立場でも、そんな者は必要ありません。ただ不要な者を押しつけられているだけのような気がします。生贄は、尊く稀少な者でなければいけません。人生を楽しめるだけの若さと美しさ、誰もが憧れる巫女としての知性と才能。失えば誰もが落胆するもの。それを持っている者こそ、生贄に必要なのではありませんか。ここにいる、皆のように」


 その言葉と大幹部であるイワナの迫力に、その場にいた幹部達は間違いなくおののき凍り付いた。


 イワナの意見は、まさに正論である。かつて里の外で、荒ぶる神に捧げられる生贄に、子どもや若い娘が選ばれていたのは、それだけ彼らが稀少な生命だからだ。

 人生の余白を大きく残す子ども、若く美しく、新たな生命を生み出す可能性を秘めた娘は、荒ぶる神が好むものである。その理屈は大神とて同じはずなのだ。


「劣った者は身を捧げよ、とは恐れ多いにもほどがあります。劣った者を捧げられて、喜ぶ神も、人もどこにいるのですか? 真に優れた者、真に希有な者こそ神は悦ぶのですわ。さあ、すると一体、この中の一番誰が相応しいのでしょうね」


 イワナの毒を持つ花のような微笑みは、幹部達にとどめを刺した。受け入れたくなくとも、この里で教育を受けた誰もがその考え方が理に適っていると分かってしまっているのである。むしろ、どうしてその事に気がつかなかったのか。

 震えながら左右を見渡し、一体この中で一番条件に該当するものは一体誰だろうかと探り合う。

 幹部達が同じ答えに辿り着いた時、誰もが毒蛇のような顔でその娘に微笑んだ。

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