第三十三話 袋の中身

 王都からまた使者が来たのは、それから数日後のことだった。

 ナルとイワナは離れた場所から使者の若者を確認すると、彼の後を追ってサクヤの大宮に急いだ。ただし、使者を追って中には入ろうとはせず、彼が大宮から出てくるのをひたすら待った。


 目的は彼が大宮から持ち帰る、大きな皮袋の中身である。

 使者が何かをサクヤの宮へと持ち込み、代わりに何かを持ち帰るということをイワナは突き止めていた。その中身を見れば、サクヤに何が起こっているのかを知る手かがりになるのではないか。


 そもそも考えてみれば王都からの使者がたった一人で訪れるというのも奇妙な話である。本来であれば、倭国王子帥大を送ってきた時のように数人で里を訪れるのが普通なのだ。それがこの件に関してはたった一人が何度も通っているのだから、何かあると思ってまず間違いはないだろう。


 幸いここ数日、里には雪も降ってないので、姿さえ見られなければ足跡で誰かに悟られることもない。


 ナルとイワナは大宮を囲む岩陰に隠れながら、それぞれ入り口と周囲に注意を払っていた。


「先生、使者に袋の中を見せろと言っても、拒否されるのでは?」


「当たり前です。そんな馬鹿なことはしませんよ。差し入れだとかなんだといって、薬を混ぜたものを飲ませるのです。使者が気絶した隙に、岩陰に運んで袋を開ければよいわ」


 ナルは師の意外なほど大胆な計画に、度肝を抜かれた。ミカドの使者を薬で気絶させるというのは普通の巫女ではまず思いつかない。そもそもそんな計画が成功するのだろうか。


 しかもイワナはいつか、薬を怪我や病気以外に用いるのは邪道だと教えていたのに。

 だがその事をナルは非難する気はなかった。

 もう自分たちには後がないのである。生贄という、かつては誰もが震え、抵抗を持っていたしきたりの復活も、年送りを重ねる事に幹部たちの抵抗感は薄れていっている。集まっていた有志たちが倭国へ行き、あるいは解散させられ志を変えていってから、もう生贄というものは『当たり前のもの』になりつつあるのだ。一度その感覚が根付いてしまっては、廃止に持っていくのが途方もなく難しくなる。


 もう手段は選んでいられないということだろう。


 それでも不思議に思うのは、今の自分の状況である。数年前までなら、何をするにも一緒だったと友の一人は死に、一人は変わってしまった。代わりに蛇蝎のごとく嫌っていた相手を信頼して、行動を共にしている。人生とはなんと皮肉なのだろうか。

 そんなことを思いながら、ナルはイワナの、思いのほか小さい背中を見た。


「ほら、出てきましたよ。二人で行って、挨拶をするのです。私があれこれ話している隙に、あなたはこの薬湯をさりげなく差し出すのですよ」

 

 ナルは頷いて盆を受け取ると、恐る恐るかすかに湯気の立つ器の中の液体を見た。絶妙に不味そうな色である。一応臭いから、恐らくあの朝だけに咲く花の種が多く入っているように見える。


「まあまあ、使者殿。おつとめご苦労です。このところずいぶん頻繁に来られますわね。すぐに帰ってしまわれるので、正式なもてなしも出来ずいつも心苦しく思っているのですよ。さ、せめて疲労を消し去る巫女団特製の薬湯だけでもどうぞ。帰り道がうんと楽になりますよ」


 使者は突然現れた二人に警戒を示したが、一人がサクヤの補佐を務める大幹部だと気づくと、幾分安心した様子で応対した。引き締まった体に精悍な顔つきの男で、一人で猪や熊を仕留められそうなほど屈強そうである。腰には業物と分かる剣も下げられており、彼がただの使者だけではなく戦士でもあると言うことが伺えた。

 イワナは目聡く相手の表情から隙を読み取ろうとしたが、どうも上手く行かない様子だった。むしろ慣れない彼女の笑顔は、引きつっていて、使者をまたもや警戒させる。

 

 とりあえず視線でナルの持つ盆の器を覗き込むが、その色合いを見てぎょっとした様子だった。


「どうぞお気になさらず。すぐに立ち去るように申しつけられていますゆえ。それでは」


 立ち去ろうとする使者をイワナは体で立ち塞がった。


「そう言わずに。少しはミカドや王都の事を教えてほしいのです。一体、今、外の世界では何が起きているのか、少しは知りたいのですよ」


「報告は、受けているはずです」


「それはそうですが、公式の報告など堅苦しい形式だけのものでしょう。どこの地域で災害があった、どこが豊作だったとそういう政の話です。私はもっと世間を知りたいのですよ。今、民たちはどのような服を着て、何を楽しみに生きているのですか。豫国の外の国々は」


 使者は何かおかしいと思ったのが、イワナの言葉にはっとして一際険しい表情になると、イワナを押しのけて前に進もうとした。


「お役目がありますので、これにて」

「ナル!」


 ナルは一歩出て、盆に乗せた器を構え使者に立ちはだかる。


「せめてこの薬湯だけでもお飲み下さい。色は悪いですが、とても滋養がつく特別なものなのです」

 使者は面を上げた巫女の若い麗しさにしばし動作を止めると、先ほどの生真面目さが嘘のように器を手に取って一気に飲み干した。


「やっぱり不味い!」


 顔しかめて使者は怒ったように言い、今度こそ二人を押しのけて早歩きで進んでいった。


「すぐ薬が効いてきます。追いますよ」


 イワナの囁きの通り、使者はしばらく歩いた後にその場に倒れ込んだ。すぐに二人が駆け寄る。まだ使者は震えて意識もあったが、徐々に全身の力が抜け完全に気を失った。ナルとイワナは顔を見つめ合って頷いた。


 そのままイワナが上半身を、ナルが下半身を持って使者を岩陰へと運ぶ。使者は重く、途中で何度か落とし、むしろそちらの方が大仕事だったが、それでもここまで来れば安心である。額の汗を拭いてほっと胸をなで下ろし、もう一度先ほどの場所に戻る。使者の背中からずれ落ちた大きな袋を同じく岩陰に運ぶと、二人は手を取り合って息を吐き出した。


「やりました。やっぱり私の薬は効くわね!」


 今にも倒れそうな荒い呼吸だったが、その溌剌とした声色はナルも安心させる。もしやと思わせるほど、気分も高揚しているようだった。

 ナルはイワナの後ろに回って揺れる背中をさすった。


「ええ、でも使者が目覚めた後の事が心配です」


「大丈夫です。この薬は記憶を混乱させるから。起きた時に適当なことを言えば、納得するわ」


 ナルは都合の良い薬があるものだと思った。イワナは何故、こんな薬を持っているのだろうか。


 「この薬湯はね、あなたも知っている朝に咲く花の種がもとになっていて、以前は熱を下げる時に使っていたの。意外と良く効くのよ。でも熱を下げると同時に幻覚や記憶を混乱させる欠点があってね、干しミミズが解熱に効果があると発見してからは、そちらを使うようになったのですよ。まあ、他にも色々混ぜてあるけれど。ほら、あなたも飲んだことがあるわよ。以前、自分は熱など出したことがないとかいっていたけれど、熱が下がらないとかで寝込んだ時、ククリ殿に渡したじゃないの。もう、恩知らずな」


 ナルはイワナの言葉にひっかかり、過去の記憶を辿り寄せた。だが、やはり自分が熱を出したことなど無いし、姉から薬をもらったことなどない。そもそも数年前まで、この里で体調を崩せば先輩巫女たちの祈りによって快復させようとしていたのだ。里で薬というものが広まったのは、ここ数年のことである。

 

 ナルはこの食い違いについてイワナに詳細を尋ねようと思ったが、イワナはナルの表情に気づくことなく懸命に袋を見ようとしていた。

 そして、中身をみたイワナは凍り付いたような顔をした。


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