第十八話 年送りの炎
宮の外に出ると、空からは神秘的な粉雪が舞っていた。あちこちに焚かれたかがり火の明かりに照らされながら、粉雪は次々にその儚い生涯を終えて行っている。
今、山頂の祭壇では、この雪のように炎に焼かれる巫女がいるというのだろうか。
山頂からは土鈴や太鼓、笛の音が聞こえてきており、儀式はいよいよ佳境に入ることを告げていた。ナルは毛皮を羽織り長靴を履くと、宮から駆けだし全力で山頂を目指した。
次第に雪は強くなってきて、積もる予感を感じさせたが、里から山の頂まではすぐの距離であるし、道もしっかりしている。
ナルは構わず走り続けた。
自分は今、何をしているのだろう。今から祭壇に辿り着いたとしても、何か出来ることがあるわけでもなく、ただ邪魔になるだけであるのに。
違う、そうではない。自分はイワナの言っている事が、気になっているのだ。確かに今のイワナは病気であるし、正常な状態でもなく、あれはただの妄言なのかも知れない。
けれど自分は知っているのだ。あの葉の煙を吸った時のイワナはまるで人が変わったようにおかしくなるが、それでも嘘や妄想の類を言ったことはない。むしろ、普段よりも口が軽くなって秘密を漏らすこともあった。
そう思う一方で、ナルは別の事を考えていた。イワナの宮を飛び出し、雪の中走っているのは、実はそちらの理由が大きい。もしイワナの話が本当だった場合、それは見習いの自分たちは教えられていないことだった。だが、姉のククリは違う。大幹部であったククリは、この事を知っていたのだろうか。毎年、生贄に選ばれ、炎に焼かれていく巫女たちのことを。
もし、そうだとすれば。
祭壇で焚かれる炎と木屑の匂いがしてくると、道を脇にそれてイワナに教わった草木の茂るのぞき場所へ続く道へと移動した。なるほどここはきちんとした道ではないが、けもの道と言うほどでもなく、ほんの少しだけ整えられた跡がある。進む方向も本道とほとんど同じである。
恐らく、ずっと以前の見習いか誰かが作ったものなのだろう。ところどころ蜘蛛の巣や木々の枝が行く手を邪魔するが、それでも進めないことはない。むしろ、のぞき見をするのならば、それらは自分の姿を隠してくれるだろう。
しばらく進むと、本道から人の声がしてきた。すぐに山を下りてきた巫女たちの声だと分かった。声はまだ若く、自分と同じくらいだろうか。
「さあ、終わったわ。これで日が昇れば、年送りと年迎えは完了ね。お疲れ様」
「でも、意外。私たち見習いはここまでなのね。ちゃんと年迎えまで参加して、朝日を拝みながらおめでとうと言い合うのかと思ったのだけれど」
「二人とも贅沢よ。去年までは私たち準備や、みんなを山頂まで送り出すくらいしかさせてもらえなかったじゃない。少なくとも今年は山頂で一緒に儀式に参加出来たのよ。感謝しなくちゃ」
「あら、あなただって、この後何があるか気にならない?」
「そりゃ気になるけど、それは晴れて一人前の巫女になった時の楽しみにしておくわ」
「あ、またこの子は良い子を演じて」
声の主たちは、まさにナルと同年代の見習い巫女たち十数人だった。よく見れば全員の名前が分かる。今年から指導役が付いてくれたので、今回初めて山頂の儀式にも参加できたのだ。そして、イワナの言うとおり、彼女たちは儀式の最後までいることなく途中で帰されたらしい。
誰もが年送りという大仕事を終えたばかりで、緊張が解け、気分も高揚しているようであり、粉雪などお構いなしに談笑しながら坂を下っている。仕事が違うのか、レイやサキの姿はない。
「それにしても、サクヤ様のあのお姿は凄かったわ」
眉の太い少女はうっとりと夢見るように呟いた。
「見たこともないような豪華で華やかな衣装に、無数の白玉、輝く冠、元々整ったお顔立ちをさらに引き立てる化粧。まるでこの世の者とは思いえないほどの美しさ。うっとりしてしまう」
「そうそう、とても綺麗で。まるで大神さまがのりうつったような」
その二人の会話に他の全員が同意し、先ほどまでの光景を思い返すようにしていた。
「でも私、少し怖かったわ」
誰もが夢心地の中、ぽつりと呟いたのは細い顎の娘だった。
「ねえ、みんなはサクヤ様が怖くなかった?」
「何言っているのよ。この世の者とは思えないくらいの美々しい迫力があって・・・」
「私、分かる気がする」
太眉の娘が抗弁する中、色白の娘が細い顎の娘に同調した。
「そう、まるでこの世の者とは思えないような迫力があって・・・本当にこの世のものではない恐ろしい何かを感じたのよ」
色白の娘が具体的に言ったからか、集団の中に肯定的な沈黙が流れた。
「普段のサクヤ様が春の女神か、太陽のような方だとしたら、今日のサクヤ様はその趣もありつつ、冬や月の女神、どこか死を感じさせるものがあった。きっと私はそこに怖いと感じたのよ」
しかし、太眉の娘は引かない。
「た、確かにそうかもしれないわ。でも、みんなも習ったでしょう?生と死は裏表、全く正反対でありながら、限りなく近いものなんだって」
「そうね、きっとそういう事なんだと思うわ。考えてみれば、年送りと年迎えってそういう要素があると思うもの。それを完璧に体現なさっているサクヤ様はさすがだわ」
色白の娘が納得したので、太眉はたじろぎながらも満足げだった。どうやら太眉は、サクヤを信奉していて、細い顎や色白の娘がサクヤ批判をしているのではと思ったらしい。
彼女たちの言っているとは、ごく普通の巫女の会話だった。サクヤの今夜纏った雰囲気が生と死を感じさせ、それを年送りと年迎えの本質と見抜いたあたり、彼女たちはなかなか優秀な集団だろう。ナルも聞いていて、なるほどと納得してしまった。
だが、今気がかりなのは、サクヤが纏っている死という言葉だった。
ナルは同輩の見習い巫女たちを茂みの中から見送り、そのまま山頂へと足を進めた。
山頂の祭壇に辿り着くと、そこには雪などもろともせずに高い炎が焚かれており、周囲では太鼓や鈴の音が続けられている。ただ、拍子や音の感じが先ほどとは随分と違っていて、どこか寂しげな、厳かな趣があった。
ナルは林の影から、さらに目をこらした。
祭壇の周囲には、儀式用の衣装をまとった年長の巫女たちが四十人以上並んでいた。その中にはレイの指導役であるキョウを始め、あの日、倭国へ行く巫女としてククリとともに候補に挙がっていた幹部、ハナ、スミ、レル、タキの姿もあった。
誰もが真剣な眼差しで、鈴や笛を持ち、中央の祭壇とそこに立つサクヤを見つめている。
あの見習いたちの言ったとおり、漆黒の暗闇に白い雪が舞う中、炎の光に照らされるサクヤは尋常ではない美しさと存在感だった。年齢など全く感じさせず、まるで何かの化身のように超越していて、霊妙な威光がほとばしるようで、どうしても目が離せない。あれはもはや人では無いのかも知れない。
いや、人では無い者が乗り移っているのかも知れない。そんな考えさえ浮かんでしまうほどである。
ナルは思わず息を呑んだ。
「さあ、形代をここへ!」
サクヤがそう叫ぶと、左右から白い布で頭と顔をすっぽり覆われた二人が出てきた。全身が真白の衣の二人は前が全く見えていない様子で、それぞれ巫女に手を引かれて進んでいる。背の高さからすると、大人という年齢ではないだろう。
二人はサクヤの前まで連れて来られると、手を引いていた巫女たちにその場で跪くような形にされた。まるで意識がない様子で、よろよろとは歩けるようだがすべてがなすがままである。
ナルはもう嫌な予感しかしなかったが、それでも目の前の光景から目を話すことが出来なかった。
「この二人が豫国の全ての罪と、穢れを背負います」
サクヤは二人の前で大きなオガタマ(古代、榊の役割をしていた植物)を杖のように掲げ、大神を称える言葉を唱えた。脇からは一斉に笛と鈴の音が聞こえてくる。
「清めの炎へ!」
その瞬間、今まで休んでいた太鼓が一際大きな音で鳴り響き、笛や鈴もそれに続く。祭壇が一斉に盛り上がる中、炎の勢いもいよいよ増し、儀式は最高潮へと進んでいく。
「罪を」
サクヤが言葉とともに、真白な二人のうち一人が炎の中に飛び込む。その動きには何のためらいもなく、飛び込んだ後もなんの声も上げていない。
「穢れを」
残されたもう一人も同じく飛び込んだ。
ナルは驚愕の余り、その場から動くことも目を話すことも出来なかった。一体、今自分の前で何が起こっているというのだろう。あの、真白な衣装の者たちは、どうなったというのだろう。
頭の別のところで、ナルには分かっていた。これこそが年送りの正体であり、あの二人は選ばれた巫女で、彼女たちは火に飛び込んで死んだのだ。それを一連の流れとして、儀式として誰もが真顔で見ているのだ。
「あ、あ・・・・」
ナルが喘ぐような声を出したその時。
「そこにいるのは誰?!」
およそ人の気配も姿も確認できないだろう距離と暗闇であるのに、祭壇のサクヤは的確にナルの方に顔を向けた。薄い笑みを浮かべていたように思うのは気のせいだろうか。
巫女たちの視線が一斉にナルのいる茂みに向けられ、進められていた儀式が止まる。
ナルは振り返り、一目散に深い暗闇の中へと逃げ出した。
(思い出した。サクヤ様から香ってきた香り、それは里ではもしかしたら自分しか知らないはずの匂い。あれは死体の、死の匂いだったのだ)
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