第十七話 生贄

 空が曇り、風の音が響きわたり、すぐにでも雪の降り出しそうな日に年送りの儀式が始まった。この厳格な儀式の日、里は一際厳粛な雰囲気になる。特別に用意された祭壇を中心に里の至る所で火が焚かれ、山と海でとれた多くの恵みが供えられるのは春迎えと同じであるが、里に流れる空気や巫女たちの顔つきはまるで違う。


 年送りと春迎えではその主旨が大きく違っているのだ。春迎えは春の訪れを祝い、また訪れたことによってもたらされる多くの恵みに感謝する性格が強いが、年送りは罪と穢れを払う儀式だった。つまり、贖罪の儀式である。


 罪とはすなわち豫国の民全員がこの一年で犯した大小あらゆる罪。生きていくために犯さざるを得なかった罪、その罪と穢れを巫女たちは民に成り代わって引き受け祓い清める。そして全ての穢れを払った上で年を送り、迎えるのである。


 この日に限っては儀式を行う巫女誰もが、豫国の民が犯した罪をその身に引き受ける罪人(つみびと)であり、神に許しを請う立場になる。自然と、巫女たちの表情は引き締まったものになっていた。


 だが若年の巫女たちにとってはこの上のない経験であり、参加出来ることはとてつもない栄誉であることは、春迎えのそれと同じである。だから、突然の不幸によってその儀式に参加出来ない身となったナルは、大いに我が身を嘆いていた。


「私は普段から最高の薬草を取り入れた食事をしているので、熱など出したことはありません。あなたもそういう食事を心がけなさい!」


 などと偉そうに自慢していたイワナが、昨日から突然高熱を出し始めたのである。いつもは気丈なイワナもこれにはさすがに参り、今は寝込んで起き上がることも出来ない状態である。すると当然、彼女を看病する者が必要になってくるが、それは直属の指導を受けているナルの役目ということになってくる。


 イワナは髪をまとめ毛皮を被って寝床に横たわり、今は呼吸音だけが気の毒なくらい響くだけで、会話することも難しい様子だった。そうすると看病する者は片時も離れるわけには行かず、儀式に参加するどころではなくなる。


 ナルは震え魘されているイワナを多少哀れに思いながらも、寄りにも寄って厄介な時に寝込んでくれたものだと心の中で悪態をついていた。


 力ないイワナの顔は、いつもより遙かに年老いて見える。一瞬その醜悪さに不快な気持ちを覚えたが、慣れてくると不思議なもので、いつもの毅然とした憎らしい彼女がこのように弱っていると、今度はどんどん哀れに思え始めた。


 イワナは今やこの巫女団の大幹部である。いかに年送りの儀式の日とはいえ、本当であれば世話をする者が後二人は付いていたとしても決しておかしな事ではない。それが実際に世話をしているのは自分だけで、誰も見舞いにも来ないのだ。普段、里で絶大な権力を誇っている彼女だけに、その事もあわせて今の弱っている姿がとても哀れに思えてくる。


 ナルがため息を一つつき、イワナに言われていた薬を煎じていると思わぬ人物が訪れた。


「イワナ、調子はどうですか?」


 現れたのは儀式の衣を纏ったサクヤだった。一体いつの間にこの宮に入ってきたのだろうか、というほどに突然だった。見たところ供もいない。


 彼女は入念な白い化粧を施し、赤と白、真新しい絹を幾重にも重ねた衣に、白玉(しんじゅ)の首飾りと耳飾り、頭には輝く金冠を身につけている。彼女の美貌も、その輝きに決して負けていない。まるで年齢を感じさせない絢爛さと煌めきは、もはや人の域を超えている。今は年送りの儀式の直前であり、サクヤ自身最も忙しい身であることが容易に想像出来るだけに、ナルは仰天してそのままひれ伏した。


「サクヤ様、どうしてここに」


 ナルの頭上で微笑みが聞こえ、優しい声で語りかけてきた。


「私の右腕のイワナが寝込んでいるのです。見舞いに来るのは当然でしょう」


「ですが・・・」


「ええ、本当なら、もっと早く来たかったのだけれど、何しろ今日は年送りの日ですからね。なかなか抜け出せませんでした。イワナ、大丈夫?」


 サクヤはイワナの脇に座り込むと、そっと手を握って話しかけた。だがイワナは息も絶え絶えで、到底まともに会話できそうにない。それでもサクヤは安心したように微笑む。


「大丈夫よ。明日には随分と回復するでしょう。全快には二、三日かかるでしょうが、すっかり良くなります。私はそう感じました。念のため、私も後でお祈りをします」


「そうなのですか?! ありがとうございます。サクヤ様が仰るのなら、間違いありません。先生もとても安心します」


「ナル、あなたには気の毒でしたね。大切な年送りの日、それも指導役が付いて初めての記念すべき儀式なのに。あなたは幹部の教え子だから、儀式に関してもとても責任のある役目を任されていたはずなのよ。本当に残念だわ。けれども、ここで看病する事も立派なあなたのお役目です。しっかり務めを果たしなさい」


 サクヤがナルを慰め労ってくれているのは明らかだったが、自分は本来であればそのような大役を任されるはずだったのだと知ると、逆になんとも言えない気持ちになった。

 

 なるほど、イワナは誰がなんと言おうと巫女団でサクヤに次ぐ地位にある人物である。その直属の教え子となれば、重要な役目が回ってくるのはある意味当然ではないか。

 普段イワナの指導に不満を抱いているだけに、こういう時の役得を逃したことはなんとも悔しい。そんな事を思うナルの表情をどう解釈したのか、サクヤは目をイワナに向けたままとりとめのないことを話しはじめた。


「イワナは、私にとって姉のようなものです。私は先のミカドの娘として生まれ、この里に大巫女になるためにやってきて、あなたのように真の意味での娘時代の友人というものをつくれませんでした。あの時、どうにか無理してでも作っていれば、ここの暮らしも随分違っていたでしょうに。そんな私にとって、年下ではあるけれど、とてもしっかりとした、そして何より私は全く違う考えと経験の持ち主である彼女の存在はとても大きいものなのです」


 そう語るサクヤの横顔が寂しげな事に、ナルは密かに驚いた。


「あの、もしやイワナ様はサクヤ様と同じく王族の血を引く方なのでしょうか?」


 ナルの質問に今度はサクヤがいささか驚いた風な顔つきになり、サクヤはそのまま軽く笑い出した。


「ほほ。いいえ、違います。イワナと私は同じ一族ではありません。そういえば、そのような噂が巫女団に流れていると、以前イワナから聞いたことがありましたが・・・まさか、あなたまで信じていたとは」


 サクヤは再びほほほと笑う。


「・・・とても失礼な質問なのかも知れませんが、イワナ様はどうして幹部になれたのでしょうか」


「ナル、自分の指導役をもっと敬いなさい」


 静かな物言いだったが、それは間違いなく鋭い叱責の言葉だった。先ほどの朗らかな表情を一切消した大巫女の迫力に、ナルは一瞬固まってしまう。


「確かに、イワナは霊力というものが強くはありません。けれどとても優れた人物であることに間違いありませんよ。現に、私が儀式やその他のことで手が一杯な時、イワナがその他の事一切を差配してくれます。巫女団の巫女も今ではかつて無いほど数が多くなり、その統率がどれほど難しいのか、あなたも分からないではないでしょう。このような能力は、この里の他のどんな巫女にもないものです。それに」


 サクヤは部屋の隅にある、いくつもの壺や器に目を向ける。


「あの薬の効能がどれだけ凄いか、あなたは知っていますか? 薬というのはそれ自体は広く知られているものですが、ミカドの住まう地でもあれほどのものはありません。それをイワナは誰から教わるでもなく、こつこつとその知識を増やしていっています。それだけイワナが優秀ということなのです」


 それはナルも最近認めていることだった。最初は訝しんでいた薬というものは、その調合こそ難しいが、正しく煎じれば絶大な効果をもたらす。


 体調不良や怪我はもちろんのこと、眠れない時、あるいは疲れて眠いが起きていなくてはならない時にも、抜群の効能を発揮するのである。


 しかも薬はここではイワナしか調合できないため、薬の凄さを知った者ならもれなくイワナの事も認めざるを得ない。


「それは・・・分かっています。けれど、私は巫女です。巫女を目指してここで修行をしているのです。イワナ様は確かに優れた才能をお持ちですが、サクヤ様も仰ったように巫女としての資質は残念ながらあまりお持ちではありません。ですから私はイワナ様に指導頂いてもう三月になるというのに、友人たちのように実践的な巫女の知識を教えて頂いていないのです。サクヤ様、こんな事を言うのはとても恐れ多いのですが、指導を別の方に頼むことは出来ないのでしょうか? 私は、立派な巫女になると姉のククリと約束したのです」


 ナルは自分が言ってしまった事に興奮し、鼓動を早めていた。実は、その「別の方」として期待してるのは他でもないサクヤである。けれどサクヤは頷くでも叱責するでもなく、ククリか、と懐かしむように呟き、イワナの顔を見ている。


「・・・・イワナは、あなたにどんな事を教えていますか」


「えっ、あまり巫女としての知識は教えてもらっていません。山に入って、草や花、動物のことを教えてくれます。どの草花が煎じた時どんな働きをするのか、動物の何が薬として使えるのか、あと、古い言い伝えにある星のこととか、そんなことばかりです」


 ナルは不満を訴える風に言ったが、サクヤはそのまま「そう」とだけ呟いた。


しばらく沈黙が流れた後、サクヤは再び言った。


「あなたは、もっとイワナに感謝しなくてはいけませんね。でも私が言わなくても、いつかそんな日が来るでしょう」


 サクヤの真意をはかりかねていたその時、魘されていたイワナが目を開きサクヤを確認すると荒い呼吸のまま慌てて口を開いた。


「これは・・・サクヤ様。何故ここに。まさかまさか・・・!」


 跳び上がるような勢いで無理矢理身体を起こそうとするイワナを、サクヤは仕草で止め、ナルがすかさず背を支えた。

 

「安心なさい。あなたを見舞いにやってきたのです」 


「で、ですが、年送りは」


「ええ、これから始まるので、もう行きますね。安心なさい」


 奇妙なほど狼狽するイワナをよそに、サクヤは立ち上がり、そのまま出て行こうとした。ナルの脇を通る時、サクヤは耳元で改めて囁いた。


「本当に、あなたはイワナに感謝すべきですよ」 

 

その時、何処かでかいだことのある香りがした。サクヤが纏っていたあの香り、それは一体何だっただろうか。サクヤが儀式に向かい、宮の中は再びナルとイワナだけになった。


 イワナは少し持ち直したのか、先ほどよりははっきりとした意識と言葉で、ナルに指示をする。


「もう、あれから少し経つから、また薬を飲むとしましょう。ナル、作って頂戴。配分は、分かっていますね」


 ナルは頷き、既に用意されてある器をいそいそと並べた。


「熱を下げる薬に必要な薬草の種類と、配分をいってご覧なさい」


「葛の根、トッピ、カギナ、タトタメ、生姜を、順に二とそれぞれ一の配分で・・・」


 ナルが言いながら調合しようとすると、イワナは激しい咳をしながらも激しく叱責した。


「違います、違います! それは寒気がして、首や肩のこわばりがあり、汗をかいておらずそして喉が痛くない、その症状の初期に飲む薬です。私はほらこのとおり、咳をしているではないですか。それは私にはあっていません!」


「で、ではどうすれば」


はあはあ、と荒い呼吸で起き上がり、イワナは鬼気迫る表情で別の器を指さした。


「あれです。干したミミズ。あれが今の私には一番でしょう。あれに、トッピとカギナ、シモタケを三とそれぞれ一の配分で調合するのです」


 すぐにイワナが指さした器を見るとそこには、かりっとなった黒く細長いものがいくつもあった。これがあのぬるぬるとしたミミズなのか。


 ナルは気味悪く思いながらも、いわれたとおりの配分で薬を調合し、水と揃えてイワナに飲ませる。イワナは口をぬぐうと、鋭い目つきでナルに言った。


「はあはあ・・・ナル、あなたは今、干したミミズが気持ち悪いと思ったでしょう。そんな心持ちではダメですよ。姿形がどれほど不気味で醜くとも、この世の全ては天地の恵みなのです。誰にとっての恵みというのではなく、ただ純粋に恵みなのです。何一つ無駄なものなんてありはしない。そのことに敬意を持たなくてはなりません。」


「はい」


「はあ、ともあれ、これで私も少しは良くなるでしょう」


「はい、サクヤ様も、二、三日で良くなるだろうとおっしゃっていましたよ」


 その瞬間、イワナの動きがまるで岩のように固まった。

 

「そう、サクヤ様が・・・。ふん、全く適当なことを言って!」


「何を仰いますか、大巫女様のお言葉ですよ。きっとその通りになりますよ」


「うるさい! 別にそれが分かったからと言ってどうだって言うのです。きっと私の薬が効いて快復するということじゃないの! 別にあの女が偉いわけでも何でも無いでしょう!」


 先ほどまでは憐憫の情が湧いていたナルだったが、イワナが元気になると途端に憎らしい気持ちが甦ってきた。しかも、巫女団の長であり、豫国の最高位の人物に対して、あの女呼ばわりはないだろう。ナルはサクヤを尊敬しているだけに、腹が立ってきた。


「そのような物言いは無礼ではありませんか! 仮にもサクヤ様は大巫女ですよ!」


「お黙りなさい!」


 イワナは空になった器を持ち上げると、いつかのようにそのまま壁に投げつけた。がしゃんという弾ける音が響き、破片が飛び散る。


 しかしナルはもう恐れなかった。きっとした目つきで、イワナを睨みつける。すると、いくら普段泣く子も黙るイワナも、実はかなり気弱になっいるのかナルの視線にいささかたじろいだ。


「はあはあ・・・まったく病人になんて扱いをするの」

 しっかり看病して、薬を飲ませているではないか。


「まあ、良いでしょう。全く、あなたはサクヤ様の恐ろしさを何も知らないのよ。ああいう、花のような女が一番怖いのよ。ああ、そうだ。ナル、あの葉っぱを摂って頂戴。早く早く、器と一緒に」


 激昂したと思えば、なんだか今度は少しうきうきしているような感じも伝わってくる。一体どれだけ気持ちが不安定なのだろうか。けれど考えてみればこれが普段のイワナなので、良くなっている証拠だと思い、安心する。


 あの葉というのは、例の心地の良くなるやつである。あれからイワナはナルの前でも、そしていないところでも頻繁にあの葉の煙を吸っているようだ。


 それほど頻繁に吸うのだから、よほど気持ちの良くなれるものだろうと思うのだが、イワナはナルには一切吸わせようとはしなかった。その事も確かに不満の一つには違いなかったが、なによりなのはその後である。イワナは煙を吸うと決まって・・・。


「はーい、ナルちゃん今日も可愛いわね。みんなが儀式の中、私の看病してくれたのね。本当にごめんなさい。でも私嬉しいわ」


 となんだか訳が分からないことになるのである。今は急に機嫌が良くなったと思ったら、言葉の最後は泣いていた。止めどなく流れる涙の滴で、毛皮の毛先がどんどん濡れていく。


「うううっ、分かっているのよ。私はみんなの嫌われ者、誰も私の事を見舞いになんて来てはくれないのよ」


「み、みんな先生の事を心配していますよ。今日は年送りの日だからこられないだけで、サクヤ様は、お忙しい中お見舞いに来て下さったではないですか」


「あははは、何言っているの。あの女が私を心配して来てくれたわけ無いじゃないの。おおかた私が死んでいないか、確かめに来たのよ。私が死んだら、そのまま生贄に使えるじゃないの。そういう決まりなんだから。ナルちゃんも気をつけないと、今に・・・あー怖い」


 イワナはわざと大仰な身振り手振りで、両手を頬につけて叫んだ。


「えっ、生贄ですって?」


「そ、生贄。この巫女団も年々規模が大きくなってきているでしょ。どこかで人数を統制しないと行けないの。だから、能力の低い者は毎年何名か選ばれて、年送りの生贄になっちゃうんだよん」


 イワナはまるで子どものように戯けて喋り続けたが、その内容は聞き流せるものではない。最初は突然の暴露にしばらく絶句し、それがどういう事なのか正しく理解すると、さらに言葉を失った。


「あら、驚いているのね。そりゃそうよね。生贄なんて、あなたたち見習いは獣とか魚くらいしか知らなかったでしょ。でもほんとなのよ。この巫女団では、能力の低い者は年送りに焼かれることになっているの。これを言い出したのは、サクヤ様よ。今まではそうじゃなかったのに、人数が増えたからって・・・ね、恐ろしい女でしょっ」


「そんな・・・まさか。巫女団が、サクヤ様が・・・」


 到底信じられる話ではなかった。サクヤ様と言えば、高貴な生まれも高い霊力もさることながら、慈母のように優しく、ここ数代の大巫女の中で一番の人格者だと言われているのである。そのサクヤが、巫女を、人を贄にするなどと、にわかに信じられる話ではない。


 イワナはからかうように顔を揺らした。


「そんなに信じられないなら、今から山頂の祭壇に行ってご覧なさいな。儀式が進んで、見習いは帰される最終段階になると始まるから。私が絶対に見つからないのぞき場所を教えてあげるわ。いいのいいの、私はここで寝ているから、もうすっかり元気よ。あ、この葉をもっと渡しておいて頂戴ね」

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