第十六話 神秘の男
第三王子、帥(すい)響(きょう)の宮は、倭国臨時王都の東に造られていた。王の第三子であり、倭国で最も大きな氏族の後ろ盾のある彼の家は、上の二人の兄たちの家よりもよほど立派である。
彼はこの宮に、二人の妻と幼い九人の子ども達と暮らしている。帥響は目の前に並んだ妻たちや子ども達の姿に目を細めながら、改めて自分の幸せをしみじみと噛みしめた。美しく慎ましい二人の妻と、自分を心から慕ってくれる聡明な子ども達。まさに絵に描いたような幸せである。
以前の自分はほとんど家族を省みない人間だった。何しろ倭国の次期王の座を巡り、一族を背負ってそれぞれ母の違う兄弟たちとの戦いに勝たねばならなかったし、そこに出雲の軍勢が攻めてきて王都を放棄するという前代未聞の事態が発生した。倭国王子として、自分の家族の事だけを考えている余裕など無かったのだ。
ところがそんな自分に罰が降るように、この地にやってきてしばらくすると二人の妻と九人の子ども達全員が次々に病になりだした。
慣れない土地で疲れがたまったのだという者もいたし、この地の悪い神に取り憑かれたのだという者もおり、家族を休ませ精の付く食事を与え、巫女を呼び、とにかく最大限の努力をした。だが家族の病は一向に治らなかった。今思い返しても、自分の人生で、あれほど己を非力に感じたことはなかった。
そんな時、あの方に出会ったのである。
「おうおう、愛しい妻たち、可愛いわが子たち。身体の調子はどうだ?」
帥響の問いに、一番上の息子であるワカタが答える。
「はい、私を始め兄弟たちはみんな健やかでございます。母上方も同じです。以前の病など見る影もございません。父上におかれましては、ご心配なくお勤めにお励み下さい」
ワカタの見るからに聡明な眼差しと心地よく響く声に満足しながら、帥響は熊のように太い首でうんうんと頷いた。
「うむ。これで私も王とともに政務に集中できる。何しろ今は非常事態だからな。だが、いくら忙しくとももうお前たちとの時間を疎かにするようなことはしないぞ」
一家の主の言葉に、妻たちは愛おしそうに微笑み、子どもは歓声を上げる。ああ、国はまさに存亡の危機にさらされているが、自分はなんと幸せなのだろうか。
「これも全て、あの御方。張政殿のおかげだ」
帥響はしみじみと言い、妻や子ども達もそれに続いて頷いた。
張政というのは、大陸の大国漢から半島を越えてからやってきたという男である。彼は輝く銀髪に漆黒の瞳という誰もが驚くような特異な風貌と雰囲気を持つ人物だったが、何より驚くのがその能力だった。
彼が薄い布に大陸の文字を書き、それを水の入った器にかぶせて念じると、その水はたちまちいかなる病も治す奇跡の水となる。その技はまさに不可思議であり、見ようによっては何とも胡散臭い邪術のようであるが、現に自分の家族の病気はみるみるうちに快復した。
さらに彼の能力はそれだけではない。これはまだ倭国では自分しか知らないことだが、彼は自らの意思で天候を自在に操る事も出来るようなのだ。おまけに大陸ではかなりの学問を修めた人物のようで、彼の口から出る言葉は倭国のどの氏族の長老や知恵者の言葉よりも何とも深く、含蓄のあるものばかりである。今の倭国にとって、彼ほど宝のような存在はないだろう。
そこまで考えると、帥鳴の頭に母の違う弟であり第十三王子帥大のことがよぎった。正確には帥大のことではない。帥大の連れてきたと言われる巫女たちのことである。
帥大が豫国に渡り、巫女を連れてきて政のしくみを変えようとしていたことに、帥響は素直に仰天していた。まさか、自分がこの地に臨時王都を建設し、家族の病のことで必死だった時、一番注意を払わなくてはならないと考えていた政敵が、そのような大それた事を考えていたとは夢にも思わなかった。
確かに帥大の考えは興味がそそられるものがある。倭国王の権威が陰りを見せ、部族の結束が弱まり国内で争いが絶えなかったところに出雲の侵略である。
もはやこの倭国に、新しいしくみというものが必要であることは、自分もよく分かっていたのだ。だが自分は、いや先人たちは新しいしくみや技術、考え方をいつも大陸の王朝の後ろ盾に求めていた。けれどまさか、筑紫島よりもさらに東の豫国に目をつけるとは、やはり帥大は侮れない男であると帥響は思った。
帥響はここ数日、仕事の傍らに部下たちに豫国のことを探らせていた。
豫国は筑紫島の東に浮かぶ島を支配している国であり、彼らが大国である漢をも凌ぐといわれるほどの優れた技術や武器を持っていることは、以前から知識として知っている。
倭国とは交流はほとんどないが、彼らは東の国々に対してまるで漢のような影響力があるようだった。
かの国の王族は遙か昔、大陸の西の果てからやってきた一族で、それだけでも興味をそそられるところだが、問題はその統治のしくみである。豫国では政は男王がしているが、その上には大巫女すなわち巫女王ともいうべき存在があるという。その巫女王は、神と通じる力があり、そのお告げや不思議な力によって国の大きな判断を任されているというのだ。
聡明な帥響はなるほどと唸った。倭国では国をまとめるため、近年王の権威をどう回復するか、維持するかと言うことに頭を悩ませていたが、国の最高の地位に王よりも上に巫女、すなわち神と通じる者を置けばその問題は簡単に解決する。しかも巫女、神と通じる者の力がまやかしではなく真実のものであればもう怖いものはないではないか。出雲の軍勢にたいしても、超常の力を持つ指導者はその噂だけで威嚇になるだろう。
現に自分を見るが良い。以前は呪(まじな)いなど気休め程度にしか思わなかった自分であるが、実際にその神秘を見せつけられ体験してしまうともう馬鹿になど出来はしない。
張政を敬い、自分が王族であることも忘れて崇拝してしまいそうになる。
これである。このしくみを応用すれば、倭国は巫女と王の元に団結しかつての勢いを取り戻すことが出来るだろう。
しかし、とここまで考えて帥響は思った。
帥大は巫女を呼び寄せ、豫国の仕組みをそのままこの倭国に築こうとしている。が、それには問題があることを帥大とて気づいていないわけではあるまい。すなわち、倭国最高の地位を巫女に与えるということは、今支配者の地位にいる自分たち倭国王の一族の力が弱まるということである。もし、巫女王と倭国王の意見が相反することになればどうなるのか。
さらに巫女とはやはり女のである。巫女である女を、男王の上位において良いのだろうか。それは父祖代々の教えに反する。
この倭国では、女は男より出しゃばってはならないという慣習がある。
そのしきたりを破り、女王がこの国を治めて良いのだろうか。なにか恐ろしい祟りでも起きたりはしないだろうか。
やはり名目はともかく、実質的には自分たちの一族、そしいて男がこの国の実権を握っていなくては。
「いや、待て」
一家団欒の中、帥響は閃いて立ち上がった。
その「神と通じる者」は「巫女」でなくても良いのではないだろうか。豫国の巫女たちに勝るとも劣らない超常の力を持ち、聡明で学識のある人物を自分は知っているではないか。しかもその人物は現在自分の庇護下にいる。
帥響はやはり自分はなんという幸せ者なのだろうと哄笑した。
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