第十五話 彼らの誤算

 夏はあれほど緑が広がっていた広大な平野に、静やかに粉雪が舞っている。


 豫国と比べれば暖かいと言われるこの地でも、年の瀬ともなれば雪が降るのだ。しかしこれほどの雪ぐらいでは、倭国の男たちの作業は中断されることは無かった。誰もが熱を奪う雪も泥だらけの顔も気にもせず、死にものぐるいで鋤を振るい自分の作業をこなしている。時折、監督役の男は大声を張り上げて奴婢の男たちを叱咤激励し、建築作業は大急ぎで行われていた。


 今、倭国は存亡の危機にあるのだ。そもそも倭国の王都とは、筑紫島の北部にあり八つの副都(邑)の中心にある壮麗な都だった。しかし出雲の侵攻でそこを放棄し、倭国の勢力は南下したのである。


 筑紫島南部には倭国が長年争ってきた熊襲(くまそ)の国々があったが、出雲の軍勢を脅威に感じた熊襲の族長たちは倭国との同盟を受け入れた。それほど、破竹の勢いで侵攻してくる出雲の兵の戦いぶりは、筑紫島全体の脅威だったのである。


 馬を自在に操り、まるで風のような早さで駆けてくる出雲の戦い方は、筑紫島の人間にとって衝撃そのものだった。彼らはあっという間に場所を移動し、こちらが弓矢を構えている間に攻撃してくる。


 しかも彼らの使用している武器はどれも倭国よりもずっと優れた鉄製で、繰り出される無数の矢はまさに正確無比なのだから、対処のしようがなかった。


 だから圧倒的な劣勢を悟り、即座に熊襲と同盟を結んで国全体を南下させた倭国王の判断は、結果的には正しかった。


 ククリは自分に付き従ってきた十人の巫女たちとともに、その新たな王都に築かれた宮に住むことになっていた。豫国のものとは造りこそ違え、その規模は鶴亀の里にあるサクヤの宮よりも遙かに大きく、心地の良い新しい木の薫りがする。立派な屋根と柱の宮は相当な奥行きがあり、また天井も高かった。宮は十人の巫女それぞれに用意され、その周囲には高い塀が宮を守るようにして築かれている。



 故郷である豫国は、遙か西方からこの大八洲に辿り着いた人々の築いた国であり、彼らの持ち込んだ知識や技術は当時の大八洲では圧倒的なものだったはずである。その自負は豫国の巫女であるククリも持っており、だからこそまさか倭国がすでにここまでの技術を獲得しているというのは、予想外だった。


 自分たちに用意されていたものが、想像以上だったので巫女たちは最初こそ喜びはしたものの、今や苛立ちを隠せなくなっていた。


「ククリ様、これでは話が違いますわ」


 そう訴えるのは、ククリを補佐するためにやってきた巫女のまとめ役であるミソノだった。ミソノはククリよりも遙かに年上で、頭にはもう白いものがいくつもある。


 本来であれば巫女団の幹部の一人であったが、その経験を買われてククリの率いる倭国巫女団の大幹部としてついていくことになったのだった。彼女は彼女なりに、新しい土地での使命感と野心に心を燃やしている女性だった。


「私たちは、いいえククリ様はこの倭国を治めるために乞われて遙々やってきたのでありましょう。しかし、倭国王は場所こそこうして立派なものを用意しておきながら、未だ我々の言葉に耳を傾けようとしていないのですよ。これは断固抗議すべきです」


 目を血走らせながら、彼女はククリに詰め寄った。

 倭国王「帥鳴」は帥大が連れてきた巫女団を歓迎し、既に大きな宮まで用意していたが、未だ政の席へククリを呼ぶことはなかった。当然、この地に来てからも巫女たちの霊力は天気を言い当て、この地の神々の声も聞こえているというのに、その神託を倭国王は聞く気がない様子なのである。


 これほどの宮を用意しておきながら、一体どういう事だろうという不安と不満が、今まさに、巫女たちの間で噴出しようとしていた。


 その理由を、ククリは既に知っていた。


 それは帥大の誤算だった。


 第十三王子である帥大は、豫国の巫女と王との関係を倭国に取り入れようと、自らの派閥の有志を率いて豫国へと訪れ、見事巫女の一団を連れ帰ってきた。本来であれば、帥大はククリを倭国王に引き合わせた後、政の席へ参加させるはずだった。


 しかし、動いていたのは帥大だけではなかったのである。倭国第三王子の帥響は、帥大に勝るとも劣らぬ聡明な王子で、もともと彼なりに倭国のことを憂い、また将来の倭国王候補として国へ貢献することを考えていた。


 その帥響が、ククリたちの到着に先駆けて、豫国の巫女とは全く別の人物を連れてきていたのである。


「ククリ様、私も分かっています。すべてはあの男のせいでございましょう」

 ククリは静かに目を閉じ、あの男の不気味な双眸を思い浮かべた。

 

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