第二章 年送りの炎
第十二話 イワナ
鶴亀の里に木の葉が舞い散り、ちらちらと雪が降る日が多くなって『年』が変わる時期がやって来た。
『年』というのは、豫国の始祖たちが秘伝として西方から持ってきた『暦』と呼ばれるものから導き出される考え方である。月や太陽、多くの星々の動きから導き出され、農作物の種まきや収穫の時期をはじめあらゆる吉凶を判断できる暦は、豫国では巫女団が独占としている秘法だった。簡単に言うと、季節の一巡りによって一つの年と数えていくものである。
この時期になると、里では年送りと年迎えという儀式が厳かに行われる。春迎えほどの華やかさはないが、その分一年の内で最も厳粛で格の高い儀式である。
誰もが儀式のせいでそわそわし始めるこの時期に、ナルには恐ろしい災難が降りかかっていた。
「どうして、私が!」
という言葉は実際には口から出ていない。あまりにもその事実が信じがたいので、そう思いながらも絶句しているのだ。
実際、ナルにその事を伝えに来たサキも、伏し目がちな目をさらに伏せ、気の毒そうに友人にかける言葉が探している。
ナルは顔を青くし、ぐっと目をつぶった。
確かに悪い予感はしていたのだ。自分は毎日、禊ぎも祈りも、他の者よりもずっと努力しているつもりだったが、それでも巫女として、霊力と呼ばれるものは未だ目覚めてはいない。仲間のレイとサキなどは、ククリが倭国に旅立ってしばらくした頃に覚醒し始めた。不思議な声を聞き、明日の天気をどんどん当てだし、一人前の巫女へと近づいていった。
姉がいなくなり、古くからの友人と言葉にならぬ距離ができ、このままではいけないと奮起していたところに今回の報せが舞い込んできたのである。
「まさか、よりにもよってイワナが私の指導役になるなんて」
絶望するなと言う方が無理である。ナルは頭を抱えてその場に蹲った。
巫女団では年少の頃は皆同じような学びをするのだが、ある程度の年齢になると指導役と呼ばれる先輩巫女と組んで教えを受ける仕組みになっている。
当然、教えを受ける側にしてみれば、優秀でその上あまり厳しくなく、おまけに人柄のよい指導役に当たればいう事は無い。だから年少の巫女たちの中には、普段からそういう人気の高い年長巫女に気に入られようと、売り込みをしている者も少なくなかった。
「・・・やっぱり、今年の夏が勝負だったのよ。あなたも誰かに売り込んでいたら良かったのに」
レイは気まずそうに呟いた。
頭を抱えて蹲ったまま、ナルは確かに夏の初めの頃からレイがしきりに売り込みの必要性を訴えていたのを思い出していた。
「でも・・・あの頃は姉様がいなくなって、私、がむしゃらに目の前の修練をすることに頭がいっぱいで・・・」
「そうよね。分かるわ。仕方ないわよ、それは。・・それに考えてみれば少しおかしいわ」
「どういうこと?」
「だって、考えてみてよ。イワナは霊力なんてほとんどないと言われているわ。それが証拠に、今まではサクヤ様の補佐だけをしていて、誰かの指導役になるなんてことはなかったじゃない。それなのに、今回急にあなたの指導役になるなんて」
レイの指摘に、ナルは急に血が巡り始めたように頭が冴えてきた。
「確かにそうね。今まであの人に指導をしてもらった巫女なんて、聞いたことがない」
その時、ナルの頭に恐ろしい事が浮かんだ。これは復讐なのではないのかと思ったのである。
イワナは今まで、ククリと並んでこの里の大幹部だった。巫女としての才能は無いものの、優れた頭脳と集団を取り仕切る才覚はずば抜けていたためだと言われている。それでも巫女として霊力がないことを他の巫女たちが嘲笑していることに、本人は神経を尖らせていたらしい。そんな彼女が自分よりも遙かに若く美しく、巫女としての才能に溢れ、将来を約束されたククリを苦々しく思わないはずはなかった。
イワナがことある事にククリにちょっかいを出したり、裏で悪評を吹聴したりしていたのは里では公然の秘密だったのである。それでもククリ本人はおろか、他の巫女たちのほとんどはイワナがばらまく悪評を歯牙にもかけなかったというのだから、イワナはますますいらだたしかったことだろう。
しかしそんな彼女に奇跡は起きた。
次期大巫女と予想されていたククリは、遙か彼方にある倭国という国に行く事になったのである。その事にイワナが小躍りしていたのは、誰もが知っている。だがそれでイワナの劣等感や恨みが全て解消したというわけではないだろう。もしや、ククリの妹である自分をいびることで、楽しもうとしているのではないだろうか。
ナルはこの突然の思いつきが、かなり真実を含んでいるのではないかと思い、さらに暗澹たる気分になった。
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