# Memory-1

「神父様っ! いないのですかにゃっ!」


 アイシャの呼び声が、日の傾きかけた廊下に響いた。


 彼女は目の前にある扉を睨みつけた。中からは物音一つさえしない。不在なのか、いないふりをしているだけなのか。


  かたわらのヒルがおずおずと声を上げた。


「アイシャちゃん、そのう」

「なんですかにゃ」

「また出直してくるっていうのは、どうかな?」

「駄目ですにゃ」アイシャはヒルをにらんだ。「さっきのエメリ教授の話を聞いてたなら、ヒル先生にも分かるはずですにゃ。神父様達はあの場にいるべきだったんですにゃ」

「まぁ……そうかもしれないけど……」

「そんなことより、先生はこの部屋の鍵を持ってないんですかにゃ。そうじゃなきゃ、蹴破ってもいいですにゃ」

「えええ!? 仮にも僕の患者さんなんだよ? 流石にそれは出来ないよ!」


 弱りきった様子で、ヒルが癖のある赤毛をく。アイシャは唇を噛んだ。そうでもしなければ、ヒルに八つ当たりしてしまいそうだった。


 むしろ、腹立たしいのはあんた自身のトロさでしょ。どこからともなく響いた高飛車な声に、アイシャは眉根を寄せる。手の甲に刻まれた紋様がずきずきと痛んだ。自分にしか聞こえない声は、ここ最近いっそう激しく主張している。


 アイシャは身を翻し、足音荒く廊下を歩き始めた。ヒルが慌てて追いかけてくる。


「ちょっと、アイシャちゃん! どこに行くんだい!?」

「エドナの部屋ですにゃ。そこにいるかもしれないんですにゃ。だったら、会って話をつけなきゃなのですにゃ」

「話をつけるって……いや気持ちは分かるけどね。なにもそこまで急がなくても」


 もごもごと口ごもるヒルを無視して、アイシャは踵のヒールで床を鳴らす。急がなければならない理由は、ちゃんとある。ヴィンスはプレアデス機関を異様なまでに信奉しているのだ。今回のことも、なにか知っているに違いない。


 そして恐らく、エドナは全てを知った上でヴィンスに従っている。確信めいた気持ちと共に、アイシャの脳裏に仲睦まじげな二人の様子がよぎった。エドナを思い出す時は、決まってそこにヴィンスがいる。アイシャの立ち入る隙はどこにもない。


 感傷めいた気持ちを、アイシャは頭を振って追いやった。今は緊急事態なのだ。本気で話せば、エドナも少しは耳を貸してくれるはずだ。


 廊下を端まで歩ききり、アイシャは目的の扉を叩く。返事がなかったので、苛立ちと共にドアノブを回した。あっさりと扉が開く。


 エドナの姿はなかった。電気をつけて真っ先に目に入ったのは、やけに綺麗に整えられたベッドだった。サイドテーブルには蒸留酒のミニボトルと小さなグラスが置かれている。


 空振りか。ならばエドナはどこに。落胆しながらベッドに近づいたアイシャは、シーツの海に沈むようにして小瓶が置かれていることに気づいた。中に入っているのは透明な砂だ。魔術の触媒に違いなかった。


 罠だろうか。アイシャの逡巡しゅんじゅんを、姿なき声が一笑した。罠だろうが、これを利用しない手はないでしょ。


 腹立たしい声はしかし、まったくもってそのとおりなのだ。この時ばかりは、アイシャも同意見だった。何かに突き動かされるようにして彼女は小瓶を手にとる。


 瞬間、小瓶から闇が吹き出した。ヒルが何事か叫ぶが、あっと言う間に声は遠ざかり、ぶつんと切れた。視界いっぱいを闇が覆う。音もなく、風もない。


「――約束の子が現れた」


 突然、エドナの声が響いた。アイシャは肩を跳ね上がらせて振り返る。数歩離れた先に、果たして彼女の師匠の姿があった。金髪を髪留めできっちりと留め、スーツを隙なく着こなす様はアイシャの記憶のとおりの姿だ。けれど、言いようのない違和感もある。


 暗闇の中で、アイシャはすがるようにニャン太を抱きしめた。


「誰、ですにゃ」

「我は記録者。我は鏡。目に見える全ては、お前がのぞんだ泡沫うたかたに過ぎない」


 歌うようにエドナが返す。


 悪魔だわ、と、アイシャの中から姿なき声が警戒を発した。その声さえも聞こえているように、エドナの顔をした悪魔はにこりと微笑む。


「御名答。私は記録の悪魔よ。あぁそれにしても、二つの魂が全く同じ物を望むなんて、珍しいことだけれど」紅で彩られた唇を指先で叩き、エドナは小首を傾げた。「あるいは、それこそが血の魔術師が為せる技といったところかしら」

「……御託は、結構ですにゃ」アイシャはぼそぼそと呟いた。「それよりも、私はエドナに会いたいんですにゃ。彼女の居場所を教えてくださいなのですにゃ」

「そういうわけにはいかないわ。言ったでしょう、私は記録の悪魔だって。そして既に、我らが魔女は代償を支払った」


 近づいてきた悪魔は、アイシャの右手にそっと手を重ねた。一体何を、とアイシャが問う前に、周囲の闇が明滅を始める。


「さぁ、それでは始めましょう。我らが愛しき魔女と、かの男の始まりの物語を」


 高らかな宣言と共に、強く風が吹いた。唐突に世界に光が差して、アイシャは目を細める。次いで戻ってきたのは音だ。そして柔らかな陽光のぬくもり。


 誘われるようにアイシャは目を瞬かせる。そして目の前の光景に息を呑んだ。


 陽射し注ぐカフェで、二人の女性が談笑している。一人はエドナ。そしてもう一人は、アイシャにそっくりの白銀の髪を持つ女だった。


 *****


 幼い頃から、興味が先立つ子供だった。

 命を知りたくて、動物の死骸を探してはそれを裂いた。

 魔術を知りたくて、ありとあらゆる悪魔を喚んだ。

 心を知りたくて、夜ごと春を売り歩いた。


 あなたはおかしくて、得体の知れない子だわ。妹はいつも怯えた目でエドナを見た。そして同じ唇で、たいそう綺麗な言葉を口にするのだ。



 それでも私が、いつかお姉ちゃんを正常に戻してあげるからね、と。






「エドナは変わったわね」


 軽やかな声に、エドナは物思いから引き戻された。昼下がりのカフェだ。ケーキの飾りと、生クリームの残りだけが載せられた皿。なみなみと注がれたロイヤルミルクティー。お気に入りのティーセットに囲まれて、二十歳になったばかりの妹がにこりと笑う。


 エドナは肩をすくめた。


「そうかしら」

「そうよ」白銀の髪を揺らして、妹は嬉しそうな顔で頷いた。「まともになったわ。子供の頃はとっても変だったけれど」

「やりたいようにしていただけよ」

「それが変だったのよ! 普通の子は動物の死体を開いたり、悪魔を喚んだりなんかしないわ! そのせいで、大人からずっと冷たい目で見られてて……あの頃のお姉ちゃんは、本当に可哀想だったもの……」


 言葉を震わせ、妹が涙ぐむ。甘ったるいミルクティーに口をつけながら、エドナは白けた目でそれを眺めた。別に、自分は変わってなどいない。隠す方法を見つけただけだ。そして、あなたがそれに気づいていないだけ。


「ねぇ、お姉ちゃん。聞いてる?」

「えぇ、もちろん」


 エドナは素知らぬ顔で唇に笑みを刻んでみせた。妹は安心したように顔をほころばせ、実に美味しそうにミルクティーを飲む。


「ねぇ、お姉ちゃん。今から子供用品を一緒に見に行きましょうよ」

「そんなもの、カディル伯爵の家にごまんとあるでしょう」

「ないわよ。だって、私がカディル様の最初で最後の正妻ですもの」

「どうかしらね」

「カディル様は潔癖のお方よ。なんといっても、純血の魔術師の家系なのだから、当然のことだわ。お姉ちゃんとは違うの」


 ふんわりと笑い、妹は「ねぇ、お姉ちゃん」と再び愛らしく首を傾げてみせる。


「だから、私の買い物に付き合って頂戴。お姉ちゃんにとっても家族になるんだから、きっと楽しい買い物になるに違いないわ。時間だってあるでしょう?」

「残念ね、ミカ。実はもう先約があるの」


 おりよく、テーブルに影が差した。妹が顔を上げ、目を丸くする。


 現れたのは一人の男だった。今日も今日とて、きっちりと祭祀服カソックを着込んでいる。整えられた黒髪はしかし、前髪だけが不自然に長く目元を覆い隠していた。


「し、失礼。お、お話中だったかな」

「いいえ、ヴィンスさん。むしろ丁度いいくらいだわ」


 満面の笑みを浮かべ、エドナは椅子から立ち上がった。呆然としていた妹が、そこでやっと口を開く。


「お姉ちゃん、その人はだれ?」

「ヴィンセントさんよ。魔術協会ソサリエの神父様でね、私の今の恋人なの」


 妹は再び面食らったような顔をした。それに少しばかり胸がすっきりしながら、エドナはヴィンスと共にカフェを後にした。


 ◆◆◆◆◆


 ヴィンセント・ヤンセンという男は、とかく奇妙な男だった。


 自分の周囲で起こる事象に対して、彼はどこまでも無関心なのだった。全く無視するというわけではない。それなりな正論を述べてみせるし、世間一般に正しいと思われる対処もしてみせる。けれど必要以上に深追いすることはせず、親身になるということもない。自身の体裁に無頓着なのは言わずもがな、特段の趣味もないように思われた。そういう意味で、彼は人の皮を被った機械のようでもあった。


 だがしかし、この男が唯一生き生きとする瞬間がある。それがプレアデス機関という人工知能について語る時なのだった。


 彼は言う。プレアデス機関は世界を守るかなめである。それは懐古症候群トロイメライを管理するという役割だけに留まらない。もっと根本の、この世界の在り方に関与しているのだ、と。


「あなたって、本当にプレアデスとやらが好きなのね」


 秋の深まり始めた夜明けは肌寒い。くしゃくしゃになった毛布を裸体に巻きつけたまま、エドナはからかいの声をかけた。ベッドの端に腰掛けたヴィンスの背中には、竜の紋様が刻まれている。これもたしか、守り人の証と言っていたか。


 夜の香りの残るシーツに頬杖をついて眺めていれば、ようやくヴィンスが端末から顔を上げる。


「と、当然だとも。こ、これが俺の存在意義そのものなのだから」

「あらやだ、神父様ったら無粋だわ。こういう時は、君こそが自分の生きる理由だってうそぶいてみせるものよ?」

「な、何故偽りを述べねばならない?」

「男女の関係は、たわむれのような嘘で出来ているから」

「う、嘘が無くとも生殖行為は出来ると思うが」


 実に不思議そうな顔をしてヴィンスが呟く。あぁまったく野暮極まりない男だ。胸中で冷めた意見を並べたところで、ヴィンスがエドナの金の髪に触れた。


 何事かと目だけで問えば、彼は真剣な面持ちで彼女の髪をまとめている。だが手付きはまったくの不器用だ。その左手には、彼自身が昨晩エドナから奪ってみせた髪留めがあるが、それが止まるのはいつになることか。


 白けた気分を笑顔で無理矢理に押し込め、エドナは頭を振って拘束から逃れた。そのままヴィンスの腰に腕を絡める。


「ねーぇ、用事が済んだのなら、もう一回しましょ」

「き、君はいつだって、君の好きなようにしか行動しないな」ヴィンスは肩をすくめ、髪留めをベッドサイドに置いた。「だ、だが、今は駄目だ。あ、朝の祈りの時間の前に準備を整えなければ」

「一度くらいサボったって、バレやしないわよ」


 エドナの誘いを無視して、ヴィンスはゆらりと立ち上がった。床に丸まった祭祀服を拾い上げることもせず、興味がなくなったと言わんばかりに部屋を出ていく。


 扉が控えめな音を立てて閉まった。エドナは溜息をついて、ぐるりと目を回す。あぁもう、これだから情緒のない男はつまらない。


 次に引っ掛ける男は、もう少し遊び慣れしてる方がいいわね。一つ結論を出しながら、彼女はベッドから抜け出た。身体に巻き付けた毛布を引きずって歩き、脱ぎ散らかした服を集めながら虚空に呼びかける。


「どう? さっきの神父様が弄っていた携帯端末の中身、見れたかしら」

「もちろんです、魔女様」あらかじめ召喚しておいた悪魔は、姿も見せずに得意げに応じた。「奴め、魔女様の仰るとおりにプレアデス機関を見ておりました」

「その正体が何かは見えた?」

「歯車ですな。それも、どこか大きな部屋に設置されているようでありました。薄暗い中で、幾筋もの光が回路を走っていましてね。詩人であるならば、まるで生物の鼓動のよう、とでも言うのでしょうな」

「あなたの下手糞な芸術は聞いていないわ」


 エドナはぴしゃりと叱りつけ、質問を続けた。


「他に分かったことはないのかしら? 例えば、プレアデス機関がどこに存在するのか、とか」

「ははぁ、そいつに関してはなんとも……なにせ、私はしがない覗き見の悪魔。隠し物の場所を知りたければ、マルバスあたりに聞くのが良いでしょうて。あぁ間違ってもヴァッサゴは駄目ですぞ。アレは気位が高すぎる。悪魔の風上にもおけん」

「他には何かない?」

「あとは……そうですな。恐らくプレアデス機関にアクセスするには鍵となる言葉が必要でしょう。さすがは守り人とも言うべきか。鍵言葉を巧妙に隠しておったせいで、見ることは叶いませんでしたが。あぁそうだ、それからもう一つ。プレアデス機関の置かれた部屋の奥に、竜の紋章が見えておりました」


 エドナは手を止めた。


「竜……というと、魔術協会の紋章のことかしら。それとも神父様の肩に刻まれた方?」

「いえいえ、どちらも似て非なるもの。魔女様が仰る紋章には、頭が一つの竜が描かれておったでしょう? プレアデス機関の方は違いますな。あそこの紋章には、双頭の竜が描かれておった。何か星のような物も守っておりましたな。プレアデスというのは星に由来する名前ですから、竜は守り人を示すのやもしれません。古来より、竜はがめつく宝を守ると決まっておりますゆえ」

「……そう、分かったわ。下がって頂戴」


 悪魔が音もなく姿を消す。再び訪れた静寂の中で、エドナはゆるりと思考を巡らせた。真新しい事実はほとんどなかったが、唯一気にかかったのは双頭の竜のくだりだ。プレアデス機関には守り人がいる。それがヴィンスであることは承知していたが、実はもう一人、エドナの知らぬ人物がいるのかもしれない。


 しばしの黙考の後、エドナは身支度を整え部屋を出た。ヴィンスに声をかけることもしない。そんなことをせずとも、気が向いて連絡をすれば、かの神父はまた夜を共にするだろう。身体の相性が良いことだけは、互いに承知するところなのだから。


 そんな彼女が髪留めを忘れたことに気づいたのは、自宅に戻ってからのことだった。


 ◆◆◆◆◆


「あぁエドナ! 待っておったよ!」


 数ヶ月ぶりにカディル伯爵の部屋に入れば、彼は満面の笑みを浮かべて両手を広げた。齢六十か七十か。どこからどう見てもジジイにしか見えない男はしかし、エドナの妹の婚約者そのものでもある。


 そしてエドナに、プレアデス機関についての調査を依頼した本人でもあった。


「どうだね、息災か? 君の妹が子供を産んで以来、ちっとも姿を現さないから心配しておったよ」

「プレアデス機関の場所は時計台よ」


 馴れ馴れしく腕を回してくるカディルから逃れながら、エドナは素っ気なく応じる。


「悪魔に調べさせたから間違いないわ。問題は二人いるはずの守り人の、片割れを見つけられないってことだけれど」

「あぁ、君が二週間前に報告してくれたものだな。なに、構わんさ。君が優秀な魔術師であるということは、ようく分かっておるよ」

「それについては自負していますから、お気遣いなく」


 部屋を横切って、豪奢なソファに身を沈める。カディルは当然のように隣りに座った。近すぎるほどに膝を寄せる。下品なほど刺繍の施された男の黒衣が、エドナのつま先にかかった。


 馴れ馴れしい。だからこの男のところに来るのは嫌だったのだ。脳内であれこれと文句を垂らしながら、エドナは努めて冷静に口を開いた。


「伯爵、仕事の話を整理しましょう? 貴方は悪魔と人間を混ぜる術を知りたかった。その過程で、プレアデス機関に秘密が隠されていることを知った。それを探らせるために、守り人であるヴィンセント・ヤンセンと私を接触させた。この認識に間違いはないわよね?」

「おやおや、エドナ。まるで自分は関係ないと言わんばかりの認識は良くないぞ」


 カディルは親しげに笑った。


「君も人と悪魔を混ぜる魔術に興味があった。この点も是非追加してもらわらねばな。あぁ責めているわけではないぞ。君の探究心の高さは大いに評価するところだからね」

「えぇ、そう、そうね。そうだったわ」エドナはつま先で床を叩きながら言葉を続けた。「まぁいいわ。いずれにせよ、ここまでに挙げた前提に立つのであれば、貴方は私の報告を黙って聞いていればいい。そういうことになると思わない?」

「つれないことを。わしと君との仲じゃあないか。報告しあうだけではない。儂としては、君との関係を一層に深めたいと、」

「私は、人と悪魔の関係に興味があるの」


 強く言って、エドナは近づいてきたカディルの手を叩き落とした。彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、しばしの沈黙の後に、悲しげに溜息をつく。


「あぁエドナ、貴重な我らが魔女の血脈よ。君という孤独な人間は、仕事にしがみつくことでしか己を保てないのだろう?」


 エドナは耳を疑った。今の話から、一体どう飛躍をすれば、その結論に至るのか。くすぶっていた文句が口をつこうとする。その前にしかし、目の前の女を哀れなものと認識したカディルの演説が続く。


「良い良い。構うことはない。人間誰しも、若い頃はそういう時期があるものだ。だがね、いずれ時を経て、伴侶を持てば、己を愛することもできようというもの」

「私は、今だって自分を愛しているわ」

「いいや、君は苦しんでいる。好奇心の強さは君の魅力の一つだが、それは周囲の人間には理解されないものだ。ゆえに君は独り身のままなのだろう。男を取っ替え引っ替えしているのも、寂しさを埋めるためと解釈すれば納得がいく」

「だから、私はそんなんじゃ、」

「そこで、どうだね。儂の元に嫁にくるというのは?」

「……は?」エドナは呆然と声を上げた。「何を言ってるの。貴方はミカと結婚しているでしょう?」


 カディルは事も無げに肩をすくめた。皺だらけの手が再び伸ばされ、エドナの右手を無遠慮に掴む。


「些末なことだ。我ら純血の魔術師の使命は、いかにして濃い血を保つかということ。こと、現代に置いては魔術師の数そのものが減っている。なれば、子をはらむ腹は多いに越したことはあるまい?」

「最低」エドナは顔を歪めた。「まさか、最初からそれが目的で私に近づいたの?」

「いやいや、そうではないさ! 最初は純粋に、君の能力を買っていただけだとも。だがなぁ、恋というのはどこからでも発展しうる。そうだろう?」


 カディルはくつくつと笑った。


「なにより、君にとっても悪い話ではないはずだがね? 純血の家系に名を連ねることができる。少なくとも、ミカ君は喜んでおったよ。より親しい家族になれると、それはもう純粋に歓迎しておった」


 嘘だ、と否定するはずの言葉は喉奥に引っかかって出てこなかった。妹はどこまでも綺麗で、正論ばかりを信じていて、強者の支持する正義を疑いなく丸ごと受け入れる。そんな彼女が、カディルの主張を肯定する様子など、想像するに容易い。


 だからこそ、彼女の綺麗さはおぞましい。ひどい吐き気がして、エドナは思わず項垂れる。そこでカディルは、狙いすましたように声を上げた。


「あぁ、そうだ。それに君が嫁に来れば、我が家の秘伝を知ることもできるぞ」

「……秘伝、ですって?」


 こんな時なのに、好奇心が頭をもたげた。エドナがゆるりと目を上げる。それを予期していたようにカディルが笑う。


「そうだとも。ちょうどいい、今からミカ君が秘伝の一つを行うところでね。特別に見せてやろう」


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