# BackAlley

 通りに現れた青い靄が揺らめきながら消えていく。警察と野次馬がごった返する最前線でそれを確認したヴィンスは、小声で呟いた。


『――解呪』


 空気が揺らめき、靄を囲っていた結界がひび割れ消える。己にしか聞こえない微かな音に耳を傾けながら、ヴィンスは喧騒に背を向けた。祭祀服カソックの懐から端末を取り出し、アドレス帳から二人分の名前を呼び出し耳に当てる。


「――あ、アラン、エドナ。ぶ、無事に、」

『はぁい、神父様! こちら、貴方のエドナ・マレフィカよ』


 真っ先に聞こえてきたのは艶めいた女の声で、ヴィンスは前髪の奥で顔をしかめた。人混みをかき分けながら、彼は一つ咳払いをする。


「……え、エドナ。に、任務中にふざけるのはやめろ」

『あらあら。神父様ったら、照れちゃって可愛いんだから』


 ヴィンスが閉口すれば、エドナがくすりと笑った。


『心配なさらないで、神父様。ちゃあんとアイシャも回収したわ。学術機関アカデミアの子は逃げちゃったけど……多分あれは時間稼ぎだったんでしょうねぇ』

「そ、そうか……」

『殺す? 学術機関の子』

「ほ、放っておけ」


 ちょうどその時、ヴィンスの肩が痩身の男とぶつかった。ひどい猫背だが、それでもヴィンスより頭三つほど背が高い。眠たげな垂れ目がヴィンスの方に覇気のない視線を送ってくる。くたびれたコートの胸元で、鷹を模したバッジが光る。

 ヴィンスは鼻を鳴らした。警察だ。科学都市サブリエにあって、およそ役に立たない公共機関。


「し、失礼」


 ぼそと呟き、ヴィンスは男を押しのけ歩を進める。


『何かトラブルでもあったかしら、神父様』

「な、なんでもない」エドナの気遣う声音にきっぱりと返し、ヴィンスは言葉を継いだ。「と、とにかく、人目につく前に戻ってこい」

『了解よ。じゃあまた、教会でね』

「あ、アラン。お、お前もだぞ」


 返答をまるで期待しないまま、ヴィンスは一方的にアランにも声をかけ同時通話を切った。


 画面が暗転し、一拍おいて円盤状の精密機械が映し出される。幾筋も走る回路が鼓動のように明滅していた。その中央に刻まれた文字は『preiades』。

 目元まで隠れる前髪の奥でそれを一瞥し、ヴィンスは端末を懐に滑り込ませた。


*****


 通りから少し外れた裏路地に、待ってくれと懇願する声が響く。

 それを無視して、仮面の少年はみすぼらしい身なりをした男の腹に手刀を叩き込んだ。男の体がぐらりと倒れる寸前で、彼が抱えていた絵を掠め取る。


「いやぁ、さっすがエド坊。相変わらずの手並みだなぁ」


 機を図ったように響いた呑気な声に、少年――エドは振り返った。

 通りの入り口で、両腕を組んだ女が堂々たる面持ちで立っている。腰まで届く艷やかな金髪と、真っ白なコートが夜風に吹かれて揺れていた。惜しげもなく開いた胸元からは、布を巻き付けて作ったさらしが見える。


 相変わらずのふざけた格好に呆れながら、エドは回収したばかりの絵を女に向かって放り投げた。彼女が慌てたように受け取るのを尻目に、仮面の側面を指先で叩く。


 解除、という合成音声と共に仮面が外れた。駆動音と共に幾片ものパーツが畳まれていき、瞬く間に掌に収まるサイズの金属片となる。表面に浮かぶのは、自身の尾を噛む蛇の紋様。それを親指の腹で撫で、エドは金属片を懐にしまった。

 次いで目を上げたエドは、絵をしげしげと眺めている女に鼻白んだ。


「――マリィ先輩。その絵はあんまり見ない方がいいと思いますけど」

「だいじょぶだいじょぶ。私の心臓は特別製だからさ」

「なんなんですか、その言い訳」エドは溜息をついた。「というか、そもそも先輩はなんでここに?」

「んー? テオの野郎が心配だって言うからさ。様子を見に来たワケよ」

「テオドルス先輩が心配?」


 女――マリィの口から飛び出した名前に、エドは鼻を鳴らした。


「笑わせないでくださいよ。そのテオドルス先輩がサボったから、俺が駆り出されてるんでしょう」

「ぶはっ。相変わらずテオには辛辣だねぇ、エド坊は」

「万年留年野郎に敬意を払えっていう方が無茶では?」

「それについてはノーコメント」


 呵々かかと笑いながら、マリィは胸元から出した布で絵を包み始めた。遠くサイレンの音が響き始める。それをぼんやりと聞きながら、エドは路地の壁に背を預けた。


 全身の筋肉にじわりと疲労が染みる。先程の魔術協会ソサリエとの戦闘で要した時間は二十分足らずだ。より長期の戦闘を想定するなら、仮面による神経干渉への身体的負荷を減らす必要がある。己の褐色の肌を見つめながら、エドは改善点を洗い出していく。


「いよっし、出来た!」


 嬉々としたマリィの声と共に、エドは布で包まれた絵を押し付けられた。目を瞬かせてマリィを見上げれば、彼女はニカッと笑う。


「私がベルニを運ぶから、エド坊は絵を頼むよ」

「……普通逆じゃないですか」

「そういうのは、私より背が高くなってから言うべきだね。エド坊」


 エドはマリィを睨みつけた。冗談だよ、と笑いながら、マリィは地面に転がっている男に手をのばす。


教授ドクからの指示なんだ。エド坊に追加で頼みたい課題があるとか何とかでさ。直接会って話をしたいんだと」

「追加の課題ですか?」

「そそ。なんだっけ……えぇと、ラトラナジュって女が何とかって」

「……ラナ、ですか?」


 息を呑んだエドに、男を肩に担いだマリィが首を傾げた。


「何だエド坊。その女と知り合いか?」

「……知り合いっていうか、幼馴染です」


 十年前に別れたっきりの。ぼそりとエドが付け足す。

 その言葉をさらうように風が吹き、彼の黒灰色の髪が僅かに揺れた。

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