応援コメント

第2話 相対的貧困の不思議」への応援コメント

  • 貧困をなくそうといっている人たちは、相対的貧困ではなく、絶対的貧困で考えるべきでしょうね。

    作者からの返信

    坂井令和 様

     コメントありがとうございます。

     本当に、貧困の定義を現在の平均所得の何割以下のような定義をしている限りそもそも貧困って無くならないことになりますからね。おかしな定義だと思います。

     健康で文化的な最低限の生活という定義も、多くの意見を見ていると、そもそも【普通の生活】という前提で話していますし、そこで語られる普通も人によってはぜいたくとすら感じるレベルの水準をベースに語られている気がします。

     今後ともよろしくお願いいたします。


  • 編集済

    ジニ係数がとんでもない国に住んでいる私ですが、それでも皆さんなんとか生きているので、確かに心の持ちようなのかもな、と思います。

    しかしその格差をそのままに悪びれず共産主義国を名乗るのはいかがなものか? とも思います。

    作者からの返信

    叶良辰 様

     コメントありがとうございます。

     実際、社会が豊かになると、必要生活費以外に使うお金というのは増えるかもしれませんが、必ずしもそのことが幸福度につながっていないというのは、興味深い結果ですよね。

     最近、豊かさと生きがいはイコールではないという気がしています。

     資本主義も完全に成立している国もありませんし、その意味で完全な共産主義が成立している国もないですよね。社会の在り方に完全な形などはなく、流動的に対応するためにも政治が重要なのだと思います。

     今後ともよろしくお願いいたします。


  • 編集済

    う〜ん、相対的貧困って難しい問題ですよね。
    市民革命の興ったヨーロッパに根付いた労働者の義務や権利の考え方グローバルスタンダードに、日本も今や先進国の一員だからと変更を進めてきた慣習。
    そういった日本社会の風潮もその言葉を流行らせた一因ではないですかね。

    日本には、自分が知らないだけで本当に貧困から抜け出せなくて苦しんでいる人がたくさんいるかもしれない。
    だけど、だからこそ尚更、貧困の実態をちゃんと理解していないコメンテーターや役人達の口から相対的貧困 なんて言葉を軽々しく言ってほしくないですね。














    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     貧困問題って難しいですよね。社会保障としての制度を整えると、今度はそれを悪用する人(所謂貧困ビジネス)が出てきたり、少し前には「生ぽ生活」なんて言葉もはやりましたしね。

     一方で本当に本人に非がないところで貧困生活を強いられる人もいるとは思うのですが、実態としてそれを把握できず、有効な対策を仕切れていない問題があると思います。

     私もテレビなどで「彼らのための保護対策が必要だ」というコメンテーターの人が自分で何らかの対策(自分で動かなくてもそういう団体への寄付とか援助とか)をしているならまだしも、口だけでいろいろ言うのは見ていて気分が悪くなります。

     今後ともよろしくお願いいたします。

    編集済