第2話 根本 健(ねもと けん)①
大学の食堂に入ると、僕は迷う事なく日替わり定食を選んだ。
そして、いつも通り、窓際の一番端の席へと腰を下ろす。
今日もいつも通り……か。
「社会人になると、職場と家を往復するだけの単調な生活になる」と、誰かに聞いた事がある。
続けて、その誰かはこうも言っていた。
「だから、大学生のうちに遊んどけよ」と。
しかし、遊ぼうと思って遊べる程、僕は器用でもないし、気軽に呼べる友達さえいない、むしろ一人の方が楽とさえ思っている。
第一、「遊び」とは何なのか……。
ゲーム? ギャンブル? スポーツ? どれもピンとこない。
頬杖をつきながら、おかずの肉団子を箸先でコロコロと転がす。
「相席していい?」
突然、耳元で囁く女の子の声にビクッとする。
「えっ、あっ、ふぁい」
思ってもない出来事に、つい変な声で返事をしてしまった。
恐る恐る、目にかかる前髪を指先で横に流すと、目の前に座る声の主を確認した。
声の主は、到底、大学生とは思えない程、幼い顔の女の子だった……もっさりとした黒髪……眼鏡……首回りがヨレたTシャツ……Tシャツの胸元には「恋するメンチカツ」と、意味のわからないロゴがプリントされている。
「陰」か「陽」かで言うならば、彼女は間違いなく「隠」だろう。
なんとなくだが、自分に近い存在の様な気がして少し気持ちが楽になった。
「何回生?」
「あっ、一回生です」
「おっ、一緒じゃん」
彼女は、そう言うとおもむろにカレーをグチャグチャと掻き混ぜ始めた。
なんとも、豪快に掻き混ぜられるカレー……僕はいつのまにか、箸を止め、彼女のスプーン捌きに目を奪われていた。
「えっ、ちょっとそんな真剣に見ないでよ」
「えっ、あっ、ごめん」
彼女は、時折カレーを頬張りながら話を進めた。
「いつも……はふはふ……ここで食べてるの?」
「あっ、はい」
「ふーん……はふはふ……名前は?」
「根元 健(ねもと けん)……です」
「私、須藤真帆(すどう まほ)……はふはふ……よろしく、ネモケン」
「ネモ…ケン?」
「うん……根元 健でしょ? はふはふ……略してネモケン」
「いやいや、一文字しか略せてないですよ」
「うるせー……はふはふ……口答えすんな、ネモケン」
「なっ⁉︎ こっちが下手にでてりゃ初対面のくせに好き勝手言いやがって、大体ねぇ、いきなり相席してきて何食わぬ顔でグチャ混ぜのカレーを頬張って……」
不意に視線が合っている事に気付き、視線を逸らす。
彼女は、スプーンを止め、ニヤニヤと笑いながら僕の話に耳を傾けていた。
「何がおかしいんですか?」
「よく喋るなぁって」
彼女は、見掛けでは想像出来ない程に明るく、突拍子の無い言動でズケズケと僕の心へと入って来た。
しかし、不思議とそれが嫌ではなく、むしろ心地良いとさえ思えていた。
「ご馳走様!」
彼女は、口周りに付いたカレーを手で拭うと、忙しなく立ち上がり、
「この後、授業だから先行くね。またね、ネモケン」
と、だけ言い残し、嵐の様に食堂を去って行った。
彼女は次の日も、その次の日も、僕の目の前に座り、グチャ混ぜのカレーを頬張り続けた。
そんな、日常が一ヶ月も続いたある日……。
彼女はパッタリと食堂に来なくなった……。
それからも僕は、毎日、馬鹿みたいにセルフの水を二つ用意して席に着いていた。
いつか、突然また現れるんじゃないかって……。
食堂でしか顔を合わせない関係……それに、一ヶ月の間、他愛も無い会話しかしていなかったからか、連絡先はおろか、どこの学部かもわからない……。
真帆ちゃんに会いたい……。
いつしか、そう願いながら消化する様に日々を過ごしていた。
そんなある日、無気力の僕を気遣って、バイト先の先輩が、コンパに連れて行ってくれる事なった。
その先輩曰く「女を忘れるには、女だ」との事。
生まれて初めて、ブランドの服を買い、生まれて初めて美容院にも行った。
コンパに合わせてではなく、一ヶ月も好意を持ちながら、連絡先の一つも聞けなかった不甲斐ない自分を変える良い機会だったからだ。
「もうすぐ女の子来るってよ」
「あっ、ふぁい」
牧瀬先輩の一言に声が上ずる。
「なんだよ、根元、緊張してんのかよ?」
笑いながらそう言う牧瀬先輩に、僕は愛想笑いを返す余裕も無く、ただただ呼吸を整えた。
その時、勢いよく個室の襖がカラカラと音を立てた。と、同時に、派手な化粧をした女の子が顔を覗かせる。
「すいません! 遅れましたー」
「おお、いいよ、いいよ、早く入りな!」
牧瀬先輩の返事を皮切りに三人の女の子達が続々と個室へと入ってきた。
緊張を悟られぬ様、顔を伏せ、視線を落とす。
「えっ? 真帆ちゃん? どうしたの?」
真帆……ちゃん? 牧瀬先輩のその一言に、心臓がバクンと力強く脈を打った。
「どうも、やっぱり変ですか?」
「いやいや……いいじゃん」
二人の会話に、まさかと思いながらも、グチャ混ぜのカレーの様に、原形を留めない程の苦笑いで、僕はゆっくりと視線を上げたのだった。
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