六章 決戦のイペアンスロポス 6

 雨が降っていた。上空から絶え間なく降り続く羽根は、空の下に生きる限り逃れ得ない自然現象に酷似している。自らの羽根を飛ばすタラリアの攻撃は既に五分以上続いていた。


「それかくれんぼでしょ? 愛に聞いたことあるよ。隠れてる方は絶対勝てないんだよね」


 タラリアは遥と由羽の現状を皮肉るように声をかける。

 遥達は白い少年が言うように白い豪雨に晒されることを避ける為に身を隠していた。由羽の能力で作り出した巨大な円盤が遥と由羽の傘代わりだ。タラリアの言う通り、このまま羽根を受け続ければ、成長した由羽の円盤もいずれ耐え切れなくなる時がくる。


「勝利宣言みたいなこと言ってるけどどうする? このまま守ってても仕方ないわよ」

「当てが外れたな。少し待てば弾切れすると思ってたんだが……」


 由羽の言うように、遥達の思惑は攻撃が途切れた瞬間に反撃に転じるというものだった。パトス粒子で構成された存在である以上、粒子が切れれば攻撃も止まる筈だ。だが、実際には間断なく攻撃は続いている。


「仕方ない。作戦を早めよう。敵の隙が見えない以上、こうしていても勝ちには繋がらない」

「本気でやる気なの? あたしが言ったこと忘れてるんじゃないでしょうね」


 由羽の立てた作戦は確かにタラリアに対して有効打になるだろう。しかし同時に、負傷だらけの由羽に負担のかかるものでもある。


「当然だ。全員生きて帰る。その為の作戦だ」

「……まったく、そういう頑固で押し切るのはあたしの方じゃなかったっけ」


 由羽は熱くなると思考が短絡的になる欠点があるが、今の由羽の返答からはそういった無駄な熱さは感じられない。遥は、冷静な時の由羽は正しい判断を下せることを知っている。


「肩貸したげる。あれをやるにしても、まずはここから出ないといけないでしょ」

「ああ、行こう。生きて帰る為に――勝つ為に」


 二人は安全圏の外へ足を踏み出した。今まで身を守っていた円盤が視界から消える。完全に庇護下からはみ出した。無防備を晒しているのだと自覚し、寒気が走った。


「かくれんぼはおしまい……かいっ!」


 照準を円盤から、移動した遥達に合わせ直したしたタラリアの羽根が発射される。このままなら二人の肉体には羽根の数だけ風穴が空くことになる。


 しかし、白い弾丸は空を撃ち抜き、地面に突き刺さった。


「あれ?」


 タラリアが首を傾げる。既に二人はタラリアの狙った場所にはいなかった。


 今遥達がいるのは――空。タラリアと同じ高度に立ったのだ。


「隠れてるだけじゃ勝ち目はない。お前の言う通りだよ」


 二人が飛ぶ為に必要なものは二つ。一つは、由羽の円盤。巨大な円盤を二人の足場にする。


「次は鬼ごっこをしましょう。だだし、追われるのはあなたですけどね」


 もう一つは、遥の鎖。円盤に乗っているだけでは移動すれば慣性に従って遥と由羽は地面に墜落する。二人と円盤を遥の鎖で繋げることで、空中での移動を実現したのだ。

 能力の射程距離を、自分自身が能力と一緒に移動することで克服した。一人一人では空を飛ぶ相手には届かずとも、二人ならどこまででも手が届く。


 射程外から攻撃するという、タラリアの一方的な有利は既にない。


「嬉しいなあ。二人とも僕のところに来てくれたんだね」


 しかし、この程度で怯むような敵なら、遥も由羽もここまで苦労してはいない。


「もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もーっと! 遊ぼうよ! 全力で!」


 タラリアは羽ばたき、遥達から距離を取ると同時に、羽根を飛ばした。由羽が円盤を操作し、羽根を回避してタラリアに追い縋る。

 双方の距離は縮まらない。むしろ離されつつある。由羽の能力自体はタラリアの速度に負けていない。問題なのは由羽と遥を乗せているという点だ。人間二人分の重量が加算されている、ということもないわけではないが、その程度はほんの些細なことに過ぎない。


 本当に問題なのは二人にかかる負荷だ。速度を出し過ぎればその分風に煽られる。特に負傷している由羽にはかなりの負担となる。


「ぐ……」


 遥の耳に、風切り音に混じって由羽の呻き声が届いた。


「やっぱり私が前になった方がよかったんじゃないの?」


 背後から由羽に声をかける。

 風を直接受ける為、前方にいる方が負担は大きい。本来なら、怪我をしている由羽が後ろに来るべきなのだが、


「問題、ない。これくらいの意地は、張らせろ……!」


 由羽は歯を食い縛りながら強情に返した。

 円盤を動かしているのが由羽である以上、進行方向は由羽が決める。遥に前後の決定権はなかった。戦闘中の緊迫している状況でもある。由羽の言葉を聞き入れるしかなかった。

 こうしてタラリアを追っている間にも、羽根は次々と撃ち出される。由羽は痛みに耐えながら、それら全てを回避し続ける。


 このままでは追い付けず、いずれ羽根が命中する。


「……遥、速度を上げるぞ」


 由羽の言葉は一見正しいようにも思えた。このまま追い付けないよりは加速による負荷の増加を覚悟すべきかもしれない。

 それでも、遥は賛成できなかった。


「それで追い付ける確かな勝算はあるの? 単なる苦し紛れならやるべきじゃない」


 遥も、由羽の体が万全なら一か八かに賭けただろう。そういった作戦自体は嫌いではない。

 しかし今の由羽に無茶をさせれば命に関わる。相人との約束を抜きにしても、遥は自分以外の命を賭けるような作戦は嫌いだった。


 遥の詰問に対し、由羽は風圧に苛まれながらもどこか余裕のある声で答えた。


「勝算はある。奴の速度は確実に落ちている」

「どういうこと?」

「奴は羽根を撃ち出す度に僅かだが速度が落ちる。最初は距離をどんどん離されていたが、離されなくなってきた。減速を避ける為か、攻撃も散発的になりつつある」


 タラリアとの間隔に意識を向けると、確かに由羽の分析の通りにことは推移していた。


「あいつの罠って可能性はない? 加速を誘って、由羽の体に負担をかけさせるつもりとか」

「なくはないが、可能性は低い。まず、奴は俺達がこれ以上加速できることや、俺の詳しい容体を知らない。俺の体が悲鳴を上げるリターンより、俺達を近付かせるリスクの方が大きい。そもそも、近寄らせなければこのまま削り倒せる」

「あいつが遊んでるって線は? あいつの言動から考えると、損得を考えて戦うっていうよりもそっちの方がありそうじゃない?」

「だとしても、俺達の加速は想定外だ。今全力でないとしても、不意を突く形で追い付ける」


 負の可能性を由羽は次々と潰していく。

 遥はまだ何か見落としがあるのではないかと、慎重に思考する。由羽の作戦を否定したい訳ではない。それでも由羽への負担を考えると、万が一の失敗の芽も摘んでおきたかった。


「……遥。お前が先輩との約束を大事にしているのは分かるよ」


 頭を巡らせる遥に、由羽は口調を穏やかなものに変えた。


「俺達は絶対に生き残らなきゃならない。だけど、俺達が果たすべきことはそれだけじゃないだろう?」


 相人と交わした生存の約束とは別の誓い。研究所の前で各々の決意を確認したハーミーズが放った、ただ一言。彼の初めての命令であり、最後の依頼。


「――勝とう、遥」


 その言葉に、遥はそんなことも忘れていた自分を笑い飛ばしたくなった。由羽の言う通りだ。ここでただ生き残っても意味はない。そんなもの、最初から挑まないことと何が違う。


「……そうね。あたし達はあんな奴よりずっと強いんだって教えてやろうじゃない」


 遥が答えると、二人を乗せた円盤が一息に加速した。


「が……はぁっ!」


 由羽の口から血が吐き出される。それでも、由羽は全く減速せず、遥も止めることはなかった。勝負に出た今更になって後戻りはできない。

 タラリアとの距離が縮んでいく。先程まで時折後ろを窺っていたタラリアはこちらの加速に気付くと、余裕をなくしたのか前を向いて羽根の射出も停止して飛翔に専念し始めた。


 だが、もう遅い、既に両者の速度は逆転していた。

 由羽と遥の能力が届く距離はどちらも十メートル程。両者の距離は目測でおよそ五十メートル近くあったが、四十、三十、二十メートルとみるみる接近する。


 そして、十メートル――射程内に届く、寸前。


「――待ってたよ」


 タラリアが空中で振り返った。その翼は由羽に向けて羽ばたこうと広げられていた。

 由羽が予想していたように、タラリアはこちらの加速を予見していた訳ではないだろう。それでも、タラリアはこちらが最も回避しづらいタイミングで反撃をしかけてきた。

 タラリアの翼から羽根が射出される。一度に射出される量としては地面に向けて掃射していた時と変わらない――恐らくは、残弾の全てを撃ち出した。


「その程度――!」


 そう、その程度のことは由羽は読んでいた。由羽は足場にしていた円盤を盾とするように前方に向けた。その為体は地面に対して水平の状態にはなったが、それで十分にタラリアの最後の射出を防御できた。


 ――その時、遥はタラリアの笑みが深まったことに気が付いた。


 僅かな風切り音が鳴った。

 音は由羽の背後の――姿勢が変わって今は頭上方向の――地面から聞こえた。正確には、地面からこちらに向かっている風切り音だ。

 それは、タラリアが放ち、地面に落ちた筈の羽根だった。それが、独りでに由羽に向かって飛んでいたのだ。


「楽しかったよ。――さようなら、僕の友達」


 そして、白い羽根は着弾する。


 ――由羽の体にではなく、足場となっていた大きな円盤に。


 円盤に固定されていた筈の由羽は、そこから離れて地面に向かって自由落下していた。羽根が撃ち貫こうとしていた場所に既に由羽はいなかった。


「お前の羽根にあるしかけについては、見当が付いていた」


 落下しながら由羽は語る。


「俺達が地面にいた時は無尽蔵に思える程に羽根を射出していたのに、空を飛んだ途端に攻撃は散発的になった。だからお前の攻撃は無限に撃ち出せるのではなく、何らかの補給手段があるのだと踏んだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ……」


 落ちる由羽を、足場だった円盤が移動して受け止める。


「地面にいた時は円盤が目隠しになって補給の瞬間は見えなかった。空中ではお前が補給をしなかった。だが、逆に言えばそれで大体の見当が付くんだよ。俺達に見られると困る補給手段、あるいは俺達に見られないことで何らかの利点のある補給手段だとな」

「な、何で……」

「そこから推測した。既に撃ち出した羽根をもう一度翼に向けて飛ばしているんじゃないかとな。そう考えて地面を見ると答えは明白だったよ。俺達が円盤に身を隠していた時の羽根は一つも残っていなかったからな。だから、お前が最後の切り札として補給手段を攻撃に使うことが読めたんだよ」


 由羽が自らの思考を語り終えても、タラリアの困惑は治まっていなかった。むしろ、困惑は狼狽に変わってすらいた。


「違う……! 僕が聞きたいのはそんなことじゃ……」

「ああ、何でここに遥がいないのか、か?」


 由羽がタラリアの考えを見透かしたように言った瞬間、タラリアの双翼が黒い鎖によって縛り上げられた。


「なっ、何でそんなところに……!」


 タラリアが空を見上げる。鎖の出発点――遥はタラリアの頭上にいた。


「やっとあなたを見下ろせましたよ、タラリア!」


 遥はタラリアが振り返り、反撃をする寸前に鎖を使って自らを空高く投げ飛ばした。それまで前を向いて飛ぶことに専念していたタラリアには気付くことができなかった。振り返った後も、由羽が前に陣取っていたので、あの一瞬では遥の不在には気付けない。

 遥が空に投げ出されることで、足場となっていた円盤が遥の能力の射程外になり、体を固定していた鎖は消滅した。それによって、由羽は補給の羽根から逃れることができた。


「ここなら羽根を補給しても届かない――!」


 空を飛ぶタラリアより高い位置に羽根は着弾しない。故に遥に攻撃は届かない。


 翼を縛られたタラリアは落下を始める。それは下にいる由羽の射程内に入るということだ。由羽が円盤を足場にしている以上、それに阻まれて由羽にも羽根は届かない。

 由羽の周囲に大きな物とは別に、一枚の円盤が出現する。

 上と下に挟まれ、羽根を縛られ、補給も封じられたタラリアに逃げ場はない。


「これで俺達の――」

「――あたし達の勝ち!」


 二人の勝鬨と共に白い少年は切り裂かれ、そのまま地面へ墜落した。


 遥は由羽に円盤で受け止められ、二人は地面に着地する。生き残り、勝ち残った。これまで飄々と逃げ続け、生き残り、勝ち残り続けたタラリアを下して。


「う、ぁ……」


 由羽の体がふらつく。それを遥が受け止める。


「まったく、無理するんだから」

「無理、じゃ、ないさ。遥と、なら……できる、と、思ってた」


 強がりにも聞こえる由羽の台詞に、遥は半ば呆れたような笑顔で応える。その笑顔には、照れ臭くてしまいこんだ激励の言葉も込められていた。


「こんな体じゃ今から洋館に向かうは無理ね。あたしも由羽を放っておく訳には――」

「は、はは、はははははは――!」


 遥の体に悪寒が走る。今の笑い声は、紛れもなくタラリアのものだ。

 ぎょっとして、倒した筈のタラリアに目を向ける。タラリアは地面に横たって身動き一つできない状態に見える。しかし、今間違いなく高らかに笑い声を上げた。


「楽しかった。楽しかったよ。君達は本当に最高の友達だ」


 致命傷を与えた。まだ生きていてもすぐに死ぬ。だというのに、タラリアは笑っている。


「君達と友達で本当によかった。最後の最後にこんなに面白いことができたんだもの」


 遥は相人が言っていたことを思い出す。アルコーンの特性についてだ。人語を話すアルコーンは西園愛の感情を切り取って生まれる。そして、自らの起源となる感情に支配される。

 タラリアの感情は友愛。この少年には友情しかないのだ。相手からの友情などお構いなしに、自らの一方的な友情のみを見続けている。だから、こうして死ぬ時にも笑っていられる。


 しかし、決して曇らない筈のタラリアの顔が僅かに曇った。


「ああ、でも、愛との約束は守れなかったなあ。ご、めん、ね、愛……」


 どこまでも自由に見えた少年は、最期に自らを作り、自らを縛った創造主への悔恨を口にして、静かに果てた。

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