五章 律動のカルディアー 6

 後方へ流れていく景色にも気を留めず、ハーミーズは全速力で車を走らせた。


 現在時刻は午前七時過ぎ。ハーミーズが目を覚ましたのは今からおよそ一時間前。昨日眠りに就いたのは深夜二時頃。目覚めるには少々早い。

 それは自然な覚醒ではなかったからだ。ハーミーズを起こしたのは机の上に重なって置かれている書類だ。傍から見れば無造作に置かれている書類だが、ハーミーズは自分にとって使いやすいように配置している。何もなければ、今朝のように音を立てて崩れたりはしない。

 机に突っ伏して寝ていたハーミーズはその音で目を覚まし、相人を追跡していたGPSの情報があるタブレットが見当たらないことに気付き、大急ぎで研究所を発った。


 昨日の時点で相人の反応は町外れの廃工場で止まっていた。まだ移動していなければ凛もそこに向かった筈だ。凛がいつ出発したかは分からないが、凛がアルコーンと対峙する前に追い付いて止められるかもしれない。そう考えてハーミーズは車を走らせていた。

 しかし、廃工場に到着したものの、道中で凛らしき人影を見付けることはできなかった。


「間に合わなかったか……!」


 珍しく感情的にハーミーズがハンドルを殴り付けると、ハーミーズの拳から出る筈もない、聞いたこともないような轟音が地鳴りのような振動と共に鳴り響いた。


「なっ、何だ……!?」


 驚愕と共に疑問の言葉を発したが、この音の源が何であるか、ハーミーズには分かっていた。ここまで凛を見かけなかった以上、凛は既に戦闘を開始している筈だ。つまり、戦闘音だ。


「始まりには間に合わなかったが、まだ終わってはいない……」


 このまま車の中にいてもどうにもならない。ハーミーズは念の為持ってきていた簡易的な救急用具を持って、廃工場に向けて歩き出した。

 戦闘能力のないハーミーズが敵の前に姿を晒す訳にはいかないが、とにかく現状を把握する必要がある。もし凛が危険な状態ならばどうにかして車に乗せて逃げなければならない。

 恐らく凛によって壊されたであろう廃工場の入り口から中を窺うと、そこにはハーミーズが想像していた光景とは少々異なるものがあった。


 鉄骨や配管の残骸がそこら中に散らばり、宙に埃が舞っている。そして、奥に目を向けると刃のアルコーンが仰向けに倒れ伏し、凛がそれに背を向けて座り込んで何かをしている。


「一体、何を……?」


 破壊の傷跡から、相当激しい戦闘があったことは明らかだ。刃のアルコーンの様子を見るに、凛が勝利したのだろう。やはり、先程の轟音は凛によるものだったようだ。


 ハーミーズが分からないのは、勝者である凛が一体何をしているのか、ということだ。

 アルコーンがいないのならば身を隠す必要もない。ハーミーズは凛に駆け寄る。


「天王寺クン、何をし、て……」


 凛に近付いて、ハーミーズはそれを目の当たりにした。倒れ、胸から血を流す相人を。

 凛は自分の上着を相人の胸に巻き付けて止血しようとしているようだったが、みるみるうちに赤く染まり、相人の体から血液が流出し続ける。


「ハーミーズさん! 涯島君が! 私、助けるって、絶対助けるって言ったんです。だから……」


 凛はハーミーズに気付くと、縋るように懇願した。


「落ち着きなさい。あとはワタシがやるから、下がっているんだ」


 ハーミーズは凛を手で制して、相人の前に座る。

 まず止血をした凛の判断は正しいが、出血が多すぎる。上着程度では失血を止めておけない。布を替える必要がある。それに、患部を見ないことには適切な応急処置はできない。ハーミーズは相人の胸を覆う血まみれの服をはぎ取った。


「これは……」


 鋭利な刃物によって胸に穴が空けられている。この位置は心臓だ。普通なら、即死していてもおかしくない。だが、呼吸は止まっているものの、心臓は鼓動し、脈はある。恐らくは、融合しているアルコーンが宿主を死なすまいと、心臓を強制的に動かしているのだ。

 しかし、それでも脈動は秒を追うごとに弱まり、相人の体からは血が流出し続ける。このままでは失血死する。輸血用の血はあるが、このまま使っても傷を塞がない限り輸血してもすぐに流れてしまう。手持ちの道具ではこれ程の傷を縫合するような手術はできない。相人の心臓のアルコーンにもそれ程の治癒力はないようだ。研究所に帰ればどうにかなるだろうが、それまで相人が保つとも思えない。


 助からない。そう悟ったハーミーズの手が止まる。


「ハーミーズさん……? ハーミーズさん!」


 凛がハーミーズの名を呼ぶが、そちらに顔を向けることもできない。


「お……お願い、助けて! 私、助けるって言ったのに、私じゃ助けられない! もう誰も死なせたくない!」


 悲痛な願いに対し、ハーミーズは俯いて手を震わせることしかできなかった。


「復讐なんてどうでもいい! 私があいつを倒したのは、涯島君を助ける為なのに……!」


 友の仇に対する恨みを忘れる程の願いすら、ハーミーズには……仇?


 凛の言葉の一部がハーミーズの中で引っかかった。あいつ……仇、つまり刃のアルコーンだ。だが、刃のアルコーンの何が引っかかった?

 血が足りない。設備が足りない。違う、問題はそこではない。治癒力が足りない。アルコーンの治癒力が足りない。相人の心臓と『融合』しているアルコーンの治癒力が足りない。


「そんな、馬鹿なことを……」


 ハーミーズは、自分の発想に戦慄した。こんなことは、許されざる行為だ。上手くいく可能性は低い。たとえ成功したとしても、それを相人が望むだろうか。いや、それどころか助かるのは、相人ですらない別物かもしれない。

 やめるべきだ。そんなことに手を出してはならない。悪魔の所業だ。


「……まったく、ワタシは愚か者だ」


 思わず、自嘲する。

 彼ら、彼女らと出会い、共に過ごしたこの数日間。どちらかと言えば他人を振り回す側だと思っていた自分が保護者のような立場に甘んじてしまっていた。そして、その状況をどこか喜ばしく思っていた自分もいた。身も蓋もない言い方をするなら、情が移ってしまった。


「涯島クンに刃のアルコーンを移植する」

「え……?」


 凛が呆けたようにハーミーズを見た。


「正確には、涯島クンの心臓に、刃のアルコーンを融合させる。成功するかは、正直ワタシにも分からないが――」


 まず融合が成功するとは限らない。成功しても、拒絶反応が起きる可能性が高い。もしかしたら、蘇るのは相人の体をした刃のアルコーンや心臓のアルコーンかもしれない。


「それでも、ワタシにはここで見捨てる選択肢は選べないようだ」


 これは決して人道的な医療行為ではない。人類に対する反逆になりかねない罪悪だ。


 それでもハーミーズは動き出した。ただ、目の前の少年を助ける為だけに。

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