三章 再会のアガペー 5

 アルコーンは食事や睡眠せずとも生存できる。補給の必要のない彼らが人目の付かない場所に隠れれば、それを見付けることは困難になる。

 今この時も、彼らアルコーンはそういう場所に身を潜めていた。


 その拠点の中で、人間達から刃のアルコーンと呼ばれる大男――ハルパーは、アルコーンでありながら人間の名を持つ少女、西園愛と相対していた。


「ねえ、ハルパー。ちょっといいかしら」


 ハルパーに代謝というものは存在しないが、もし人間ならば冷や汗を流していただろう。


 今日、少女は外出をしていた。アルコーンが今も見付からずにいられるのは身を潜めているからだ。一度外に出てしまえば、姿を見た人間を再起不能にする彼らは、イペアンスロポスからすれば見付け易いことこの上ないだろう。

 そういった危険性を彼女は考慮しない。彼女には恐怖も、冷静な心も、誰かの言葉を受け入れる従順さもないのだから。

 彼女が外に出たのは、『彼』に会う為だ。彼女の行動は全て『彼』への愛情に収束する。友情や恩情といった、その他の情など、彼女は一切持ち合わせていない。


 故に、ハルパーは自らが情けをかけられることはないと分かっていた。


「あなた、私に隠していることはないかしら?」

「まさか。あんたに隠しごとが通じるとは思っていない」


 ここで認める訳にはいかない。まだ西園愛が疑念を抱いてる段階だった場合、認めてしまえば自ら止めを刺すことになる。

 態度に不自然な点はなかった。声のトーンや身振りも普段と何ら変わらない。少女が確信に至っていないのだとすれば、十分に騙しおおせる対応だった。


 しかし、そんなものは無駄だった。西園愛が右手を伸ばしてハルパーの胸に添えられる。人間ならば、心臓の位置。


「ハルパー。私が短気なことくらい知っているわよね? 分からない? 私はどうして相人を襲ったりしたのか聞いているのよ」

「……ッ!」


 反射的に、ハルパーの体が硬直する。人間に恐怖を与える筈のアルコーンである彼が、逆に恐怖で身動きを封じられた。少女がハルパーに触れたその手は、彼らアルコーンにとって死刑宣告にも等しい絶望だ。西園愛は、アルコーンの死そのものと言ってもいい存在だ。


「答えて、ハルパー。私に戻りたいの? 違うわよね。あなたはとっても怖がりだもの」


 何も知らぬ者から見れば、大の男が小学生程の少女を前に怯え竦むという、奇妙な光景に見えるだろう。だが、当事者であるハルパーからすれば至極切迫した問題だった。

 恐怖と絶望で、声を出すことすらできない。必死にこの状況を切り開く言葉を探すが、西園愛が持つ情報が分からない以上、何を言っても墓穴を掘るような気がしてならない。


「最後の質問よ。ハルパー。どうして廃屋で相人を襲ったりしたの?」

「はい、おく……?」


 最終通告を受けたハルパーは、しかしその言葉に希望を見出していた。

 もしかしたら彼女の追及からは逃れられないかもしれない。しかし、これ以上黙っていても結果は好転しない。ハルパーは西園愛が見せた僅かな隙を突くことにした。


「は、廃屋なら分かる……! イペアンスロポスを見付けたから攻撃したんだ! 例の奴がいるなんて知らなかった! 勝手に外に出ていたことは謝る! だが、あんたの目的の邪魔は決してしていないと誓う!」


 正しく死ぬ気で弁解する。もし納得させられなかったらハルパーの命運はここで尽きる。

 西園愛の目が細まる。ハルパーに手を添えたまま、数秒時が流れる。


「……そう。そうね。イペアンスロポスは邪魔だものね。分かったわ、ハルパー」


 そう言って、西園愛はハルパーから手を離した。時が止まっていたかのように身動きできずにいたハルパーの体が、漸くその縛りを解かれた。


「はあ……はあ……!」


 緊張から解放されたハルパーは荒く呼吸する。

 なんとかやり過ごすことができた。苦しい言い訳かもしれないが、ともかく生き残った。


 ハルパーは、安堵した。


「ああそうだ、ハルパー。一つ言っておくことがあったわ」


 その瞬間に、死神の声を聞いた。


「――次に勝手なことをしたら、分かるわよね」


 耳元で囁かれたその言葉にハルパーは心底恐怖した。

 そのまま少女がその場を離れた後も、暫くはハルパーはそこから一歩も動けなかった。


 愛はハルパーを脅しつけると、拠点の外へ出た。西園愛は基本的に気まぐれだ。気分次第でアジトの外に出ることがしばしばあった。表面上、ハルパーは彼女を止めていたが、彼女がそんな言葉に縛られないことは分かっていた。ハルパーからすれば彼女の外出は好都合だ。


 座り込んだハルパーの近くに二人のアルコーンが立っていた。


「大変だったねえ、ハルパー。愛は怒ると怖いからなあ」


 ハルパーを慰めるような調子でタラリアが言った。イペアンスロポスとの戦闘で負傷した右足と左翼は既に回復している。あの程度ならパトス粒子さえあれば、アルコーンの再生力は短時間で再生を可能にする。


「いつも思うが、よくあいつを呼び捨てにできるな。アイギスが黙ってねえだろ」

「あはは! そんなのハルパーも同じじゃないか。あいつとかあんたとかさ。それに、愛は友達なんだから名前で呼ぶのはおかしくなんかないよ」


 タラリアの言動には疑問を呈したかったが、タラリアからすれば敵ですら友達なのだ。何を言っても無駄だろう。

 正直、ハルパーはタラリアのこういうあっけらかんとした態度が苦手だった。こちらのペースが崩されて仕方がない。


「ハルパー。本題は何だ」


 地鳴りのような低音でハルパーを急かしたのは、ハルパーよりも更に大きい、巌と形容するにふさわしい巨人だった。


 キビシス。イペアンスロポスの拠点をハルパーや西園愛と共に攻めたアルコーンだ。タラリアと違い、落ち着いているキビシスは、ハルパーからすれば曲者しかいないのアルコーンの中で一番話しやすい相手だった。とはいえ、キビシスはまた違う意味で敵わない相手なのだが。


「お前らに頼みがある。これから話すことは他の誰にも気付かれないようにしてくれ」


 声を一段低くしてハルパーは切り出した。タラリアは息を呑み、キビシスは泰然としてその言葉を受け止めた。

 ハルパ―は悪だくみの概要を語った。


「ええっ?」


 ハルパーの提案に、タラリアが声を上げる。直後にハルパーの忠告を思い出したのか口を押えて周囲を見回した。

 今度はタラリアも声を小さくして尋ねる。


「でも、そんなこと、また怒られちゃうんじゃない? そしたら今度こそハルパーは……」

「いいか、タラリア。これは俺達全員の為なんだ」

「どういうこと?」


 ハルパーの返しにタラリアは首を傾げた。ハルパーは僅かに口の端を上げた。


「おびき寄せるんだよ、イペアンスロポスを。奴らを一網打尽にする」

「で、でも、勝手にそんなことしたら、愛が黙ってないんじゃない?」

「ああ、だから、これは秘密だ。アイギスは密告しかねないから、奴にも秘密だ」


 ハルパーが念を入れるとタラリアは俯いた。普段の騒がしさが嘘のように押し黙った。


「おい、どうした」

「――感動したよ!」


 顔を上げたタラリアの目は輝いていた。


「自分が消えちゃうかもしれないのに人知れずみんなの為に戦おうだなんて、僕は感動したよ、ハルパー!」

「お、おう……」


 タラリアの態度の変化に若干ハルパーは付いていけていなかった。


「よおし! 僕も頑張るぞー!」


 そう言って、拳を握り締めたかと思うと、タラリアは走り出してどこかへ行ってしまった。

 タラリアの挙動はいつも奇々怪々だった。操りやすいが制御しづらい。それがハルパーがタラリアに抱いている感想だった。


 ハルパーが呆れつつ、説得の成功に満足していると、黙っていたキビシスが口を開いた。


「貴様は嘘が多いな、ハルパー」

「ふん、やはりお前は気付いていたか」


 欺瞞を見破られたというのに、ハルパーは笑みを浮かべていた。


「主の追及は正しかったのだろう? 貴様は初めから例の男を狙っていた。そして、タラリアに対しても……」

「ああ、だが、俺達の為ってのは嘘じゃねえぜ?」


 したり顔で語るハルパーに対して、キビシスは平坦な態度のままだ。常に冷静であることがこのアルコーンの特徴だった。


「その勘定には、主は入っていないのだろう」

「当たり前だ。あの女のせいで、俺達はいつまでも怯えていなくちゃならねえんだ。お前なら分かるだろう」


 ハルパーは分かっていた。キビシスは冷静ではあるが、常にリスクを回避するタイプではない。必要と分かれば、ある程度大胆な策にも乗ってくる男だ。

 キビシスは黙っている。ハルパーの提案を吟味しているようだ。

 あと一押しだな、とハルパーは続けて説得する。


「もし、あの女が目的を達成したとして、その後に俺達が必要だと思うか? 必要ないと見なせば、あいつは容赦なく俺達を消すだろうよ」

「――一つ、聞き忘れていたな」


 ハルパーの言い分に、キビシスは尋ねることで返した。


「タラリアに語ったイペアンスロポスの討伐というのは建前だろう。私達の本来の目的は何だ」


 ハルパーはキビシスの言外の了承の言葉に口元を歪める。隠しごとを見抜かれるという点ではやりづらいが、話が通じやすいという点でキビシス程やりやすいアルコーンは他にいない。


「奴さえ手に入れれば、あの女に対抗できる。例の男――涯島相人をおびき寄せる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る