三章 再会のアガペー 2

 ビルが立ち並ぶビジネス街を抜け、閑静な住宅街を通り、家々の甍が木々に変わった山間部に、新たな拠点となるその建物があった。相人達を乗せた車は、木製で二階建ての、いかにも自然の中に佇むペンションの前に停車した。


「さ、着いたよ。ここが新たな研究所で、基地という訳だ」


 車から降りた面々の前で、ハーミーズが手を広げた。

 予想していたものとかけ離れた光景に、相人は目を丸くする。


「あの、研究所……ですか?」


 思わず、相人の口から疑問が飛び出した。


「ああ、だからワタシはこれから室長ではなく、所長ということになる」

「あ、いや、そういうことじゃなくて……」


 噛み合わない会話に、変な汗が流れる。ハーミーズのマイペースには、未だ慣れない。


「みんな行こう。ワタシがこの研究所を案内するよ」


 ハーミーズが玄関の戸を開く。一同も急かされるように追随する。

 ペンションのようだったのは外観だけでなく、内装も宿泊施設そのものだった。玄関ホールからは一階の部屋に続く廊下と、二階への階段が確認できる。それだけではなく、受付のある管理人室まである始末だ。


「何か、合宿みたい……」


 遥が呟く。相人も全く同感だった。これでは合宿所か何かだ。研究所のけの字も見えない。


「まずは一階を案内しよう。ああ、そこの管理人室は研究員が交代で待機してるから、外出する時は一声かけてくれ」


 一息に説明すると、ハーミーズは先に進む。戸惑いながら、相人達も付いていく。


「ここは食堂だ。食事の担当については後で話し合おう。ああ、研究員が作る時は味にあまり期待しない方がいい。嫌なら君達が作ってくれると助かる」

「ここは風呂場だ。男女に分かれているので時間は気にせず使ってくれ。掃除は、まあ、食事と同じ感じだ。協力を願うよ」

「トイレも男女に分かれてる。掃除は……言うまでもないね」

「さて、ここからは二階だ。といっても二階はみんなの寝室くらいしかない。部屋割りは決めてあるが、交換は好きにしてくれ」

「おっと、忘れちゃいけない。ここが二階のトイレだ」


 一通り見て回ったが、相人の感想は一ミリも変化しなかった。他の面々の顔を見る限り、いや、見なくても自分と同じだと分かる。

 ハーミーズはというと、一区切りして満足したような表情だ。


 何とも言えない雰囲気に、相人がどうしたものかと思案していると、凛が一歩前に出た。


「あの、これのどこが研究所なんですか?」


 凛の態度からは隠しきれない不満が見て取れた。それも仕方のないことだ。悲壮とも言える覚悟をした筈が、途端にこれなのだからたまったものではないだろう。


「一見そうは見えないだろう? よく聞いてくれた。付いてきてくれ。きっとお気に召す」


 機嫌よく答えるハーミーズは、やっぱり不思議な人だと相人は思わざるを得なかった。


 次の行き先は玄関ホールに面した管理人室だった。ハーミーズに続き、相人達も入室する。

 ハーミーズは床を手で探っている。かと思うと、立ち上がって相人達の方に振り向いた。


「さあ、ご覧じろ。ここがワタシ達の新たな拠点、パトス粒子変容体対策研究所だ――!」


 ハーミーズが右足で床を踏みつけると、異変は起こった。

 軽い地鳴りの後、ハーミーズの後方の床が動き出した。大凡一メートル四方の床が横にスライドし、その下にある空間を相人達の前に晒した。どうやら、地下に続く階段らしい。


「ひ、秘密基地……」


 ベタとすら言えるしかけに、相人は呆然と呟く。


 妙に得意げなハーミーズが先導して地下に降りる。

 一列になって階段を降りると、そこは地下とは思えない程に明るかった。十分な照明で照らされた廊下を歩くと、左右に三つずつ、計六の部屋があるのが分かった。


「前は研究室は一室しかなかったんだが、第一から第四まで用意されている上に、ワタシの個人研究室まで配備されているんだ。。少し見てみるかい?」


 部屋の広さは伯難大学病院にあった研究室の二倍程はあるだろうか。そんな広さの室内を四人の研究員が忙しそうに動き回っていた。


「部屋は広くなったが人は減ってね。他の研究室にもいるが、ワタシを含めて研究員は十数人になってしまったよ」


 アルコーンの襲撃が原因だ。伯難大学病院が襲われて、半分以上の研究員が命を落としたのだ。ハーミーズの言葉に一瞬、場が暗くなる。


 その雰囲気を変えようとしたのか、純粋に疑問に思ったのか、由羽が挙手をした。


「研究室が四室で一室がハーミーズ所長の研究室なら、もう一つは何の部屋ですか?」


 地下には六つの部屋ある。由羽の言うようにハーミーズの説明だけでは一部屋足りない。


「ああ、そこなら今から使うからね。さ、移動しようか」


 まるで引率の教師が生徒を集める時のように手を鳴らすと、ハーミーズは第一研究室を出て地下の奥に向かう。

 最奥、左側の部屋には会議室と書かれていた。




「さあ、会議を始めようか」


 ハーミーズは一番奥のホワイトボードを背にした席によりかかるように座った。

 促されるまま一同は着席したが、ハーミーズの言葉には誰も反応しない。そもそも、会議といきなり言われても何の会議なのか聞かされていないのだから、反応しようがない。


「あの、議題は……?」

「ん? ああ、そうか」


 相人が指摘して、初めて気付いたらしい。


「議題は今後の方針だ。それを踏まえて、何か報告のある者」


 話し合う内容は分かったものの、やはりハーミーズの呼びかけに応えるのは沈黙だった。

 数秒経ってから、特に何もないと判断したのか、ハーミーズが口を開いた。


「ふむ。それなら、ワタシの方からみんなに報告しておこうかな。少々立て込んだ話だし、昨日は慌ただしかったから、話さないでおいたんだ」


 ハーミーズは人差し指を立てた。


「昨日、アルコーンに研究室が襲われたが、疑問に思っている者もいるだろう。何故、アルコーンが研究所の場所を知っていたのか、と」


 ハーミーズの言葉に、相人ははっとした。目まぐるしい状況の変化でよく考えていなかったが、アルコーンが襲撃した以上、研究所の所在を掴まれていたということだったのだ。


「その答えの可能性を、ワタシは昨日、アルコーンに襲われる中で見た。研究所を襲った敵の中に人語を解するアルコーンは三体いたが――ワタシはその内の一体を見たことがある」


 ハーミーズのその台詞は、相人にもおかしいと感じることができた。


「あの、人型アルコーンのことは僕達が最初に襲われた時まで知らなかったんですよね? だったらハーミーズさんが人型を見たのは昨日が初めてなんじゃないですか?」

「そう、涯島クンの言う通りだ。ワタシは昨日初めて人語を解するアルコーンを見た。だが、確かにその内の一体を知っているのだよ。――正確には、そいつと酷似した人間をね」

「人、間……?」


 実在の人間と同じ姿をしたアルコーン。ハーミーズの言葉には、何か不吉なものが含まれているような気がした。


「昨日ワタシが見た人型は先程言った通り、三体。長身で体を刃に変える男。刃のアルコーン以上の巨体で、全身が筋肉に覆われた男。そして、ワタシが知っていたのはもう一人――小学生くらいの少女の姿をしたアルコーンだ」


 女のアルコーンは、今までにはいなかった。見た目も、今までに比べると幼い。少年と形容できるタラリアも高校生くらいだった。


「大体、五年前くらいだろうか。この頃はまだアルコーンなんていなかったし、プロドティスの確立や、イペアンスロポスの発見から間もない頃だ。まだ、百目鬼クンとも会う前だね」


 ハーミーズは前傾姿勢になった。その表情は、いつの間にか真剣なものに変わっていた。


「我々は、当時は国の研究機関という訳でもなく、伯難大学の一研究室だった。ワタシは外部から招かれて研究をしていたんだが、そこの教授が、娘を連れてきていた。当時小学六年生だから、涯島クンや天王寺クンの一つ上になるか。無論、普通ありえないことだ。――だが、その少女は特別だった。天才だったよ。小学生にしてワタシ達の研究を理解する程にね」


 にわかには信じられない話だった。天才少女、と言葉にしてしまえば簡単だが、それを実感しろというのは、相人からすればかなり無理のある話だった。


「その少女――西園にしぞのあいというんだが――愛クンはワタシ達の研究に協力していた。凄まじい少女だったよ。イペアンスロポスの原理を究明したのは半分近く彼女の功績だし、ワタシがプロドティスを着想したのも、彼女の協力あってこそだった」


 ハーミーズの口から、西園愛という少女の華々しい功績が、現実離れした所業が語られたが、相人が引っかかったのは、彼女の天才ぶりではなく、西園愛という名前だった。

 初めて聞く名前だった。その筈だ。そんな少女と自分に接点などある訳がない。


 だというのに、相人にはどうしても聞き覚えがあるような気がしてならなかった。


「卓越した頭脳を持った少女だったが、しかし、悲劇というものは誰にでも平等に襲いかかる。いや、この場合、彼女が優秀だったからこそ起きた悲劇かもしれないが」


 心なしか、ハーミーズの表情が曇る。


「自殺したんだ。学校で酷いいじめを受けたようでね。小学生離れした子だ。そういう扱いを受けやすかったのかもしれない。その前にもいじめられて、やむなく転校したと言うし」


 まだ幼い少女が死を選ぶ程に追い詰められてしまった事実に心が痛を痛めるより先に、おかしなことに気が付いた。

 気付いたのは相人だけではなかった。遥が堪え切れず立ち上がる。


「ちょ、ちょっと待ってください。さっき言ってませんでしたっけ? その子を見た、って」


 正確には、少女に酷似したアルコーンではあったが、おかしなことに違いはない。

 ある人間と同じ姿をしたアルコーン、というだけでも今までになかったというのに、死人の姿を持つアルコーンとなれば、不気味だと言わざるを得ない。


「そうだ。あえて、アルコーンとは言わず、彼女を見た、と言っておこう。考えにくいことだが、そう仮定することで解決する問題がある」

「……敵が情報を得た理由、ですね」


 凛がハーミーズに対して回答する。疑問が一つ晴れたというのに、その表情は晴れ晴れとしたものとはかけ離れていた。


 無理もない。同時にそれを越える疑問と疑惑が噴出したのだから。

 何故、アルコーンは西園愛の姿をしているのか。果たして本人なのか。もしそうだとしたら、彼女は死んだ筈ではなかったのか。どれも、今の相人達には答えの出せない問題だった。


 そして、相人にとってはもう一つ。何故、自分は西園愛の名前を知っているのか――?


「ワタシからの報告はこんなところだ。質問は……ワタシが聞きたいくらいだ」


 一通り話し終えて、ハーミーズはおどけたように肩をすくめた。


「それじゃあ、今後の行動方針について話し合おうか。特別意見がなければワタシの指示に従ってもらおう」


 そこから、ハーミーズからの幾つかの通達を聞いて、その場は解散となった。

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