二章 襲撃のカタストロフィ 6

 人型アルコーンを撃退した後、凛、遥、由羽の三人は校内に残ったアルコーンを手分けして討滅した。その大部分は既に凛によって倒されていたので残存敵数は大したものではなかったが、学校の全てを見て回るのはそれなりに時間を必要とした。


 身動きの取れる生徒や教師は校庭の一か所に集められた。

 全校生徒は千人余り、教師もその分いる筈だが、動ける人間は四、五十人程度だった。九百人以上の人間が犠牲となった事実に、相人は胸の痛みを感じずにはいられなかった。


 懸念事項はまだある。


「早く、あるちゃん達を助けに行かないと……!」


 避難を完了させると、真っ先に凛がそう言い出した。

 襲撃とほぼ同時に、相人の携帯に或子から連絡が入った。恐らくは研究所も同時に襲撃を受けている。今、研究所でアルコーン相手に戦えるのは負傷している或子だけだ。


「ハーミーズさんが万が一の為に、この近くに研究員の乗った車を待機させてるって言ってたよね。その人の車に乗ればすぐに行ける筈だよ」


 流石にハーミーズもこんな事態を想定していた訳ではないだろうし、恐らくは相人や凛の安全の為の備えだったのだろうが、今回は別の意味で役に立った。


「涯島君は学校に残って怪我人の応急処置を手伝って。えっと、遠浪さんと白蝋君。どっちか私に付いてきてくれる? 一人は念の為にここに残ってほしいんだけど」


 凛は一見冷静に指示を出したが、その表情はかなり引きつっている。


「ちょ、ちょっと待ってください! 一体、これは一体何なんですか? 説明もなしに来てくれって言われても、訳分かんないです」


 遥が待ったをかける。ごく当然の抗議だ。由羽も遥と同意見らしく、その隣で不審げな目を凛や相人に向けている。しかし、今は丁寧に説明している時間はない。


「移動しながら説明する。もう一人には涯島君、お願い。――時間がないの。ごめんなさい」


 凛が二人に頭を下げたが、それだけでは遥も由羽も納得した様子はない。

 仕方がないので、相人は自分が説得することにした。


「頼むよ、遠浪、白蝋君。かなり時間が惜しい。人の命がかかってるかもしれないんだ」


 それは、説得というより懇願に近い。相人にできるのはその程度でしかない。

 頭を下げる相人を前に、遥と由羽は少しの沈黙の後顔を見合わせた。


 そして、遥は大袈裟に、由羽は小さく溜め息を吐いた。


「はあ、何かずるいなあ。先輩にそんなに必死に頼まれちゃ、断れないじゃないですか」

「……同じ立場の遥が納得したなら、俺も受け入れるしかないみたいですね」


 言葉の通り、遥は相人の懇願に折れたようだが、由羽は遥の決心に追随することにしたらしい。了承した筈の由羽の目には、相人に対する何か冷たいものが混じっていた。


「それじゃあ、俺が行きます。遥は残ってくれ」

「はいはい、了解」


 遥を危険から遠ざける為か、相人と一緒にいることを避けたのかは分からないが、ともかく話は由羽が研究所に向かうことに決まった。


「それじゃあ行きましょう。車まではそんなにかからない筈よ」


 凛と由羽は走って校門を抜けた。


 二人を見送ると、今度は相人は遥に対して説明を始めた。事情の説明は中々に困難だった。日常からあまりに乖離している。遥も、突然の事態に混乱していたということもあり、すんなりと信じるという訳にはいかなかったようだ。それでも何とか事実を認めさせることができたのは、実際に超常の光景を目の当たりにし、力を自ら行使したからだろう。


「……信じるしか、ないみたいですね」


 どうにか説明を終えた時だった。

 校門に数台のワゴン車が乗り付けてきた。そのワゴン車に、相人は見覚えがあった。以前研究室に連れていかれた時に乗った物と同じ車種だ。


 凛達が戻ってくるにはまだ早い。ということは、研究室からここまでやってきたのだ。

 先頭車から男が一人降りてきた。皺だらけの白衣と癖毛。ハーミーズだった。


「ハーミーズさん!」

「ああ、涯島クン……。こっちでも何かあったのか……」


 ハーミーズは、明らかに疲弊していた。相人が以前見た時のような飄々とした様子は鳴りを潜めている。研究室でも何か尋常でない事態が発生したのだ。


「アルコーンが襲ってきました。喋れない奴が沢山と、喋れる奴が一体。そっちでは何があったんですか?」


 相人の問いに、ハーミーズは目を伏せる。


「研究室も襲われた。逃げ出せたのは一部だけだ。桶孔クンは回収できたが……」

「百目鬼さんは? 百目鬼さんはどうなったんですか!?」


 思わず、相人は声を荒げる。ハーミーズは、歯を食い縛る。


「百目鬼クンは、ワタシ達を逃がす為に、研究室に残った」

「そんな……!」


 学校が襲撃された際、相人が以前襲われたアルコーンはいなかった。あの男が研究所に行った可能性は高い。覚醒直後とはいえ、凛と或子の二人がかりでも敵わない程の相手だ。まともに戦えるのが負傷した或子だけとなれば、勝ち目はない。それどころか、敵は他にもいるかもしれない。最早絶望的と言える状況だろう。


「だ、だけど、さっき天王寺さんが白蝋君を連れて研究室に向かいました! 二人の到着まで百目鬼さんが持ちこたえてくれれば……」


 淡い希望を相人は口にする。しかし、ハーミーズの表情は暗いままだった。


「天王寺クンが出たのはいつ頃だい?」

「えっと……大体、十分くらい前です」


 ハーミーズは、首を横に振った。


「残念だが、研究所まで車でも三十分かかる。交通ルールを無視して飛ばしても二十分以上はどうしても必要だ。とてもそれまで百目鬼クンが一人で耐えられるとは……」

「そ、そんなの分からないじゃないですか!」


 相人は、ハーミーズの現実的な見解に、反射的に叫んでいた。

 返ってきたのは、沈痛なまでの静寂。相人も本当は分かっていた。希望などないに等しい。それでも縋らずにはいられなかったのだ。相人には、祈ることしかできない。

 凛達が間に合うことを、或子の生還を。




 やるべきことは果たした。後は、この状況を生き延びるだけだ。


 伯難大学病院の一角で、或子は息を潜めていた。


 敵襲は正に唐突だった。三体の人型アルコーンが、十数体のアルコーンを率いて現れた。

 こちらの戦闘員は或子のみ。しかも以前の怪我から全快した訳ではない。対して、敵にはあの時の体を刃に変えるアルコーンに加え、同格と目される二体と、他にも通常のアルコーンが十数体。彼我の戦力差は数えるまでもない。


 或子達が最も避けなければならないのは、研究成果の消失、あるいは奪取されることだ。

 研究を主導したハーミーズの頭にはその成果が全て詰まっている。ハーミーズさえいれば成果を失うことは避けられる。


 そこで、或子が囮となり、研究室内の資料、データ全てを破棄し、ハーミーズを含め可能な限り多くの人員を逃がすことにした。ハーミーズ達を逃がすまで時間を稼ぐことのできる可能性があるのは、或子だけだったからだ。


 作戦は成功した。右肘から先の喪失程度、安いものだろう。幸いここは大学病院だ。応急措置に必要な道具は揃っている。パトス粒子を傷口に集中して出血も抑えた。辛うじて意識を失わず、使われていない病室に隠れることができた。


「……我ながら、怖いくらいにうまくいったわね」


 通常のアルコーンだけでなく、人型三体を相手に今も生きているのは、正直言って奇跡だ。無論、時間を稼ぐことに専念していたという理由もある。だが、それだけでは説明できない。

 思えば、相手の動きには不自然なところがあった。敵は三体いたというのに、体を刃に変える例のアルコーンを除いた二体はどうにも本気ではなかったように思える。一体はそもそも戦闘に参加しようともせず、残り一体は能力を使用する素振りを見せなかった。


 だが、それよりも重要なのは、アルコーンが何故研究室を襲撃できたのか、ということだ。研究室の研究内容には、外部にはカモフラージュされ、アルコーンへの対策の研究どころかパトス粒子の存在自体漏れてはいない筈だ。本来、アルコーンが研究室を襲撃できる筈がない。

 これは深刻な問題に繋がるかもしれない。後日、しっかりと検討する必要があるだろう。


 しかし、それも今考える必要はない。ともかく、作戦は成功した。

 敵はハーミーズ達を取り逃がしたことを知ると、刃のアルコーンを残して撤退した。或子の始末はそれで十分と考えたのだろう。それならば、まだ希望はある。襲撃を受けた時点で凛達に襲撃を通達しておいた。このまま息を潜めていれば、助けが来るだろう。


 凛の力は強大だ。きっとあの男相手でも逃げ延びるくらいなら大丈夫な筈だ。

 そう考えて、或子の胸に痛みが走る。


「調子いいなあ、私。凛を巻き込んでおいて、命惜しさに期待してる」


 或子は、後悔していた。本当は、凛も相人も伊織も巻き込みたくはなかった。特に、親友である凛に危険な目には遭ってほしくはなかった。

 それが矛盾した感情だということは分かっている。そもそも、凛と親しくなったのは、研究室からのイペアンスロポスの調査と、戦力の確保という指令があったからだ。そもそも、凛を巻き込む為に近付いたのに、今それを後悔している。


「って、こんな時に自己嫌悪しても仕方ないか」


 首を振って、ネガティブな感情を頭から追い出す。

 巻き込んだことを後悔はしていても、凛に会ったことは後悔していない。


「……でも、謝るくらいはしておこうかな」


 巻き込んでしまった時は怪我やら何やらで、ちゃんと話せなかった。凛や相人が見舞いに来てくれた時も言いそびれてしまっていた。

 こうなった以上、巻き込んでしまったことは取り消せない。せめて謝罪の言葉を届けたい。凛や相人は謝る必要なんてないと言うだろう。それでも、言わなければ気が済まないのだ。


「――ごめんね、凛」


 或子は、息を潜める。生き延びて、友人達に向き合えるように。




 凛は由羽を連れ立って、研究員の運転で伯難大学病院にやってきた。


 何とか由羽を納得させることはできた。既にアルコーンと交戦していることが大きかった。


 正門前に到達した時、既に異常があったことは明らかだった。恐らくは耐性なくアルコーンを見たのだろう。数名が倒れ込んでいた。他にも、建物のあちこちに破損の跡が見える。

 胸が引き裂かれそうになるが、時間がない。凛達は先に進んだ。目指すは脳外科特別研究室。病院内の被害者も無視して進んで、研究室に辿り着く。しかし、研究室には誰もいない。パソコンは一つ残らず破壊され、紙の資料すら残らない程徹底的に荒らされていた。


 そこからは、凛と由羽、研究員の三手に別れて病院内を探索することになった。

 凛は、真っ先に現在使われていない改装予定の旧病棟を探すことにした。既に使用されていないのならば、人はいない。或子が他の人を巻き込むような場所に逃げるというのは、考えづらいというのが、凛の考えだった。


 その建物に一歩足を踏み入れた瞬間、凛は或子がここに逃げ込んだことを確信した。あちこちに戦闘の跡がある。その殆どが、刃渡りの長い刃物で斬り付けられたような痕跡だった。凛は、以前見たアルコーンを思い出す。

 更に進むと、所々に赤い染みが見える。明らかに血液だった。


 そして、遂には人の腕が床に転がっているのを見付けた。


「……っ!」


 右腕。肘から先の部位だった。周囲に血が広がっている。それは、明らかに女性の腕だった。

 そこから連想して、最悪の場面が脳裏に浮かぶ。首を振って、悪い想像を振り払う。


「……大丈夫、あるちゃんは生きてるに決まってる」


 言い聞かせるように呟く。状況から考えて或子の腕の可能性は高い。だが、それでも生きている可能性だってある。プロドティスの肉体は頑丈なのだ。きっと、大丈夫だ。


「あるちゃん、あるちゃん、あるちゃん……!」


 意識せず、或子を呼ぶ。


 虱潰しに病室を見て回るが、空の病室を見る度に不安が増していく。もしかしたら、次見る部屋に変わり果てた或子がいるかもしれない。次第に凛の目に涙が溜まっていく。


 或子との出会いはおよそ一年前。或子が凛のクラスに転校してきたことが始まりだった。

 大したきっかけがあった訳ではない。或子が話しかけてきて、何となく仲よくなって、一緒に過ごすようになった。思えば、知り合ってからたった一年足らずで親友と呼べるようになったのに、特別な何かがあった訳ではなかった。ただ一緒にお昼を食べて、休み時間にお喋りして、休日に買い物に行ったり、お互いの家を訪ねたり、そんな他愛のない毎日がどうしようもなく楽しかっただけだ。


 その思い出があるから、泣きそうになりながらも、凛は或子を探す。全速力で、一秒たりとも足を止めることなく。


 そして、凛は遂に或子を見付けた。


「……あ、ああ」


 ――最悪の形で。


 或子の四肢と首は胴体から斬り離され、それらは無造作に、ばらばらに転がっていた。噴き出した血が病室を赤く染め上げている。


 膝の力が抜け、崩れ落ちる。或子の首と、目が合う。

 責められているようには感じない。安らかとも思わない。苦しそうだとか、そういうことも分からない。これに感情などない。何も訴えはない。もう死んでいる。ただの物体だ。もうお昼も食べないし、お喋りも買い物も、凛の家に来ることも凛を家に招くこともしない。


「嫌ああああああああああああああああああああああああああああ――――――――!」


 百目鬼或子は、死んだ。

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