二章 襲撃のカタストロフィ 3

 凛がアルコーンと遭遇したのは、教室で昼休みを過ごしている時だった。

 相人と同時刻、或子からのメールを受け取った矢先のことだった。


 教室にやってきたアルコーンは一体だけではない。凛が幾ら倒しても次々とやってくる。既に五体は倒したが、まだ敵はやってくる。

 アルコーンとの戦闘によって、既に教室内の机や椅子は散乱して凄惨な有様だ。

 反応現象によって、大半のクラスメイトが行動不能になり、残ったクラスメイトは凛を除いてたった四人だったが、未だに犠牲者の数は零だった。動けなくなったクラスメイトや、まだ動けるクラスメイトにアルコーンの手が伸びる前に、凛が残らず倒していたからだ。


 しかし、それも限界がある。理由は分からないが、以前、白い男と戦った時よりも出力が落ちている。パトス粒子が感情と密接な関わりがあるというのなら、あの時程の激情がないからか。以前の出力なら複数体纏めて吹き飛ばせたが、今は一体ずつが限界だ。教室の入口で一度に入る数が制限されているので対応できているが、それでも厳しい部分はあった。

 或子からのメールや、相人のことも気になる。凛は焦っていた。同時に、反応現象で激情に支配されぬように己を律する。


 敵の攻撃の手は休まらない。教室の前と後ろの扉からそれぞれ二体侵入してきた。


「天王寺さん! これ何!? どういうこと?」

「ごめんなさい! 上手く話せない! でも、みんなは守るから!」


 クラスメイトからの問いに、前方の扉からの二体を立て続けに吹き飛ばして答える。すぐさま、後ろから入ってきた二体も吹き飛ばす。

 そこで、アルコーンの侵入が途切れた。一瞬気を緩めそうになるが、すぐに気を張りなおす。この平穏は束の間に過ぎない。いずれまたアルコーンがやってくる可能性は高い。このまま教室に籠城していてもアルコーンを待ち続ける状況に精神をすり減らすだけだ。イペアンスロポスの力が感情によって出力が変わるとしたら、いずれ押し切られる。


 凛は教室を離れることを決断した。しかし、そこに問題が一つある。反応現象によって倒れた人をどうするかだ。このまま捨て置けばアルコーンに殺されることは想像に難くない。だが、倒れた生徒を全員連れていこうとすれば、動ける人間が背負っていくことになる。そうなれば、移動が遅くなり、アルコーンの餌食になりかねない。


 凛が倒れた生徒を見捨てる決断をしなければならないことに胸を痛めた時だった。


「うわあああああああああああああ!」


 一人の男子生徒が教室の外に向かって走り出したのだ。

 恐怖に耐えられなくなったのか、アルコーンが途切れたことで外に出たいという欲求に抗えなかったのかは分からないが、この状態で凛から離れるのは危険だ。


 そして、更に危険なのは、


「今なら逃げられる!」

「こんな所でじっとしてたらおかしくなっちまう!」

「早く逃げなくちゃ!」


 最初の生徒に反応して追随しようとする生徒の出現だ。

 次々に走り出す生徒達の表情は、明らかに普段のものとは違っていた。冷静さが全く感じられない。たった一つの感情に支配されているような、引きつった表情。イペアンスロポスがアルコーンを目にした時の反応現象だ。凛は経験があるからよく分かる。


「待って、みんな!」


 追走する形で凛が制止するが、彼らは気にも留めずに教室の外に出てしまった。


 自分が迷ってしまったせいだ。教室から離れる決断、倒れた生徒を見捨てる決断。どちらも遅過ぎた。もっと早く決断していれば、もっと早くみんなを纏めていればこんな事態は起こらなかった。凛は自分を責めながら外に出た彼らを追う。


 それも、遅かった。


「ああああああああああああああああああ!」


 凛が教室の扉を跨いだ瞬間、悲鳴が轟いた。


 悲鳴の方向に目を向けると、逃げ出した生徒達の前に三体のアルコーンが迫っていた。三人が、アルコーンを前に慄いている。

 三人? 凛は疑問を感じる。教室を出たクラスメイトは四人だった筈だ。一人、足りない。

 その事実に気付いたら、その先を理解するのに時間はいらなかった。三人のクラスメイトとアルコーンの距離はまだ数歩分離れているが、アルコーンの体には赤い染みがある。


 最初の一人は、既に犠牲になったのだ。


「ッ――、伏せて!」


 慟哭しそうになる衝動を押さえつけて、まだ生きている三人に叫ぶ。このままでは三人もアルコーンに殺される。しかし、砲撃を放とうにも、凛とアルコーンの間に彼らがいるので、アルコーンに当たる前に彼らに当たってしまう。だから、凛は叫んだ。

 だが、凛の声は極度の恐慌状態にある彼らに届かない。


 彼らと凛の距離は三メートル足らず。走れば一秒もかからない距離。しかし、彼らとアルコーンの距離はそれ以上に近い。更に言えば、アルコーンの運動性能は人間を凌駕している。

 逃走の結果は明らかだった。

 三体のアルコーンがまるで凛に対する盾にするように三人それぞれの体にしがみつく。そして、万力のようにアルコーンの腕が彼らの体に食い込んでいく。


「あ、ああ……」


 三人の断末魔の叫びが耳に入り込んでくる。――私のせいだ。

 声すら発せなくなってもなお、アルコーンは力を緩めない。――私が迷ったから。

 骸が耐え切れず、赤い液体を周囲にまき散らすまでアルコーンは彼らを離さなかった。


 ――違う。そうじゃない。私のせいじゃない。


 凛の髪が激情によって漏れ出した高濃度のパトス粒子によってうねりだした。


「……のせいだ」


 敵は人体にはおよそ不可能な速度で迫りくる。その膂力は触れただけで人の命を奪い去るには十分だろう。


 それがどうした。近づいてくるということは、それだけ攻撃を当てやすいということだ。触れられただけで死ぬのなら、その前に消し飛ばしてしまえばいい。

 凛の前方に力が収束する。目に映ることのないパトス粒子の塊は破壊衝動そのものだ。


「お前達のせいだ――ッ!」


 砲撃の威力も、一撃の範囲も教室で撃ったものとは段違いだった。余波だけで壁や床、天井が震え、悲鳴を上げる。超高濃度のパトス粒子は、目の前の三体を丸ごと飲み込んだ。

 直撃を受けたアルコーンは吹き飛ぶ間もなく四肢をもがれ、一瞬で行動を停止した。


「はあ……、はあ……」


 敵を撃滅した途端、凛の体中から汗が噴き出した。

 また、反応現象だ。自分では制御できない怒りに支配されていた。だが、今はどうでもよかった。そんなことよりも、目の前で実際に人が死んだということが凛の心を追い詰めていた。守れなかった。そんな言葉が呪いのように脳裏に浮かび上がる。


「まだ、生きている人がいる筈……」


 凛は希望に縋るように呟いて、崩れ落ちそうな足を無理矢理に前に進めた。

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