二章 襲撃のカタストロフィ

二章 襲撃のカタストロフィ 1

 目が覚めて、相人は研究員から改めて説明の続きを聞き、問われるまでもなく戦いを選んだ。相人自身に戦う力はないが、それでも力になりたかった。何より、この件に関わり続けることで伊織を元に戻す方法を見付けなければならない。

 説明を受けるともう暗くなっていたので、その日は家に帰ることにした。


 翌日、学校帰りに大学病院に足を運んだ。今日の目的は脳外科の病棟だ。或子の病室までは凛と一緒だったが、相人は途中で病室を抜けた。お互いに、一対一の時間が欲しいと話し合った結果だ。


 相人は或子の物とは別の病室の扉を開ける。たった一つのベッドの周りに、見舞い客用らしい椅子が一脚と、テレビを乗せた棚がある。そして、中央のベッドに点滴が繋がっていた。

 横たわる患者は今や動くことも、外部に対して何の反応も返せない親友だった。


「やあ、伊織。退屈してるんじゃないか?」


 声をかけて、椅子に座る。返事はない。分かっていたことでも、やはり辛かった。

 何の反応もない伊織だが、意識がないという訳ではないらしい。脳は確かに活動しており、間違いなく覚醒状態ではあるのだ。しかし、アルコーンを目撃した際の反応現象により、感情が恐怖ただ一つに固定されており、自我の発露すら妨げられているというのが現状だ。


「百目鬼さんは明後日には退院できるそうだぞ。あんな怪我だったのに、プロドティスの治癒力は凄いんだってさ」


 たとえ無意味でも相人は語りかける。まだ、意味がないと決まった訳ではない。こうして話しかけることで何か変わるかもしれない。とにかく、どんなことでも試す価値はある。


「お前もさ、早く治るといいよな。なあ、伊織」


 返事はない。空しいまでに相人の声は一歩通行のまま、何も返ってこない。


「なあ、伊織……」


 分かっている。分かっていたのに、相人の目に涙が溜まる。

 不安な顔は見せられない。反応現象というものがあるなら、伊織が元に戻るとすれば、それはきっとポジティブな感情がきっかけになる筈だ。


 ぎこちなく笑顔を作った相人に、病室の入り口から声がかけられた。


「無駄だよ。アルコーンの反応現象は、日常で発生し得るどんな反応現象よりも圧倒的に強い。人間の感情の振れ幅では治りようがない」


 確かハーミーズ・マーキュリーという名前だった、と相人は記憶を辿る。

 ハーミーズはそのまま病室に入ってくる。相人は慌てて涙を拭いて、苦笑する。


「そう簡単にいかないことは分かってるんです。でも、何もしないではいられなくて……」

「まあ、必ずしも合理的な行動を取らないのも人間の興味深いところだ。徒労に終わるだろうが、君の行動は応援させてもらうよ」


 そう言って、ハーミーズは立ったまま伊織の顔を覗き込む。


「あ、座りますか?」

「いや、そう長居はしないから遠慮しておこう。今日は君に会いに来ただけだからね」

「僕に、ですか?」


 思わず聞き返す。説明なら、研究員から既に受けているが……。


「ああ。昨日は途中で君が倒れてしまって、あまり顔を合わせられなかったからね。君がここに来たと聞いて顔を出してみたんだ」

「そうなんですか……」


 相人はハーミーズに対する第一印象を修正する。人付き合いは苦手な職人気質な男だと思っていたが、わざわざ相人に会いに来る程対人関係に積極的だとは思わなかった。


「まあ、大体君がどういう人間なのか、印象くらいは掴めた。これ以降は追々把握しよう。今日はこれで失礼するよ」


 ハーミーズは、言い残して病室の外に向かって歩き出した。

 あまりにあっさりとした対応に、相人は拍子抜けする。確かに長居しないとは言っていたが、予想以上だ。相人はハーミーズが人間関係に積極的という認識を改める。最初の見立て通り、ハーミーズは他人には分からない自分一人の世界を持っている。


 そこで、言い残していた言葉を思い出した。


「あの、ありがとうございました」

「何故、礼を言う?」

「だって、忠告してくれたじゃないですか」


 ハーミーズは伊織に語りかけることを無駄だと言った。相人はそれを忠告と受け取った。


「だが、君は徒労だとしても続けるのだろう? なのに礼を言うのか」

「ええ、それでも忠告してくれたことには変わりありませんから」


 ハーミーズの表情が、皮肉めいた笑顔に変わる。


「どうやら、ワタシは君の印象について、誤ったものを掴まされていたらしい。君は、天王寺クンと同じような、友達思いな人間だと思っていたよ。そうだな、君は……」


 ハーミーズは顎に手を当てて少し思案すると、また先程と同じような笑みを作る。そして、相人に背中を向けて外に歩き出し、こう言った。


「――お人よし、かな」


 取り残された相人は、何だか煙に巻かれたような妙な気分になった。

 ハーミーズが相人に抱いた印象は変わったようだったが、それは相人も似たようなものだった。いや、正確には変わったというよりは分からなくなったと言うべきか。


「不思議な人だなあ……」


 それが相人がハーミーズ・マーキュリーという男に現時点で抱いている印象だった。




 一人の為に用意されたにしてはやや持て余し気味の病室で、凛は或子と語らっていた。

 或子の体調は懸念していたよりは良好のようで、当人はもう入院は必要ないと言っている程だった。脅威的な回復力はプロドティスの力の恩恵だろう。


 相人が伊織の元へ向かい、凛と或子の二人きりになって、話題は自然とアルコーンとの戦いに関するものへ変わっていった。


「……今まで、あるちゃんはずっと戦ってきたんだよね」

「室長も言ってたでしょ、凛が思ってる程じゃないよ。もしかして、私のこと歴戦の戦士とか、そういう風に思ってる?」


 凛の問いに、或子はどこか冗談めかして返す。

 ハーミーズは今回が規格外だと言っていたが、それでも女子高生が命を賭けて戦うこと自体、異常なことに変わりない。或子の笑顔が凛を安心させる為の仮面に見えた。


「私に会う前から戦ってきたんでしょう? 会ってからの一年間も、ずっと一人で。どうして、そこまでできたの?」


 凛は或子のことをごく普通の女子高生だと思っていたが、ただの女子高生が理由もなしに二年間戦い続けられるとは思えなかった。


「何か深刻そうな顔で聞くね。何かあった?」


 或子はあっけらかんとした態度で聞き返す。

 凛は一瞬躊躇して、


「えっと……ハーミーズさんには戦うって答えたけど、一日考えて、私もあるちゃんみたいに戦い続けられるのか、不安になったっていうか……」


 凛は、少しずつ自分の心にあったわだかまりを言語化していく。


「昨日、桶孔君が倒れて、あるちゃんが怪我して……私、すごく嫌な気分になった。自分を抑えきれなくなって、頭が真っ白になった。もうあんな思いはしたくないって、もう友達が傷付くのは嫌だって思ったから、戦うって決めた。だけど、それだけであるちゃんみたいに戦っていけるのか、分からなくて……」


 凛の告白を聞いた或子は、少し悩むような素振りを見せた後、どこか寂し気に笑った。


「……凛は、私が一人暮らしだって知ってるよね」

「う、うん」


 何度か或子の家に遊びに行っているが、家族に会ったことはない。


「実はね、父さんと母さんはアルコーンに殺されたの。私達家族……というか、私が被験者として実験に協力してたんだけど、二年前に奴らが初めて現れた時にね。結局、生き残ったのはプロドティス化の手術を受けてた私だけ」


 或子は淡々と、特別感情を込めた様子も見せずに語る。


「犠牲者は二人だけじゃなかった。他にも研究員が何人も死んだ。結局当時使っていた研究室は使えなくなって、室長が昔使っていたここに逃げるように移ったの」


 凛は、或子の語った内容に衝撃を受けずにはいられなかった。嫌なことを思い出させてしまったことへの謝罪や、友人としての慰めも出てこない。昨日見たテレビ番組のことや、試験の話をしていた相手の口から、こんな壮絶な内容が飛び出してきた事実に圧倒された。

 そして、凛の中で不安が強まる。自分の決意など、或子のそれに比べれば矮小に過ぎる。


「だからさ、私も凛と同じなんだよ」


 或子が続けた発言は、凛には前後の文脈が繋がっていないようにしか思えなかった。


「そんな……私とあるちゃんじゃ、全然違うよ」

「ううん。違わない。だって、私の理由は凛と一緒なんだから」


 また、或子は笑みを浮かべる。ただし、その笑みはいつも凛に見せている快活なものだった。


「アルコーンが憎くないなんて、そんな聖人みたいなことは言わない。昨日は私も結構頭に血が昇ってたし。だけど、私が戦う理由は復讐じゃない。何人も人が死ぬところを見て、一番に思ったのは、怒りだとか憎しみじゃなくて、喪失感と無力感だった。あんな思いはもう沢山。だから私は戦うの。――ほら、凛と一緒でしょう?」


 敵わない、と凛は或子の笑顔を見て思う。

 このまま凛の覚悟を否定すれば、それは或子の覚悟を否定することになる。結果的に、凛はこれ以上反論できなくなった。


「あとさ、凛。今は不安かもしれないけど、きっと凛は最後まで戦うよ。正直、凛にはもっと平和に過ごしてほしい気持ちもあるんだけど、多分止めても無駄だから止めない。だって、凛は一度決めたら他が見えなくなるくらい突っ走る子だからね」


 或子は凛の額を人差し指で突いて悪戯っぽく笑った。


「う。……私、そんな向こう見ずじゃないよ」

「本人は気付かないものなんだねー。親友の私にはお見通しだよ?」


 恨みがましい視線を送る凛に、或子は突き出した指を上に向けて得意げに答えた。

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