第5話 ティーカップとパンケーキ(後編)

「それで……あの、リーザ」

「何かしら?」


 私達は桟橋の方へ並んで歩いた。海からそよぐ風は涼しく、火照った私の顔をゆっくりと冷ましてくれるのがありがたかった。


「さっきの件だが。連中と何かもめ事でも?」


 リーザは困ったように眉根を寄せ、視線を両手に持った箱へ落とした。

 箱の中身は正直ずっと気になっていた。彼女が歩く度にガチャガチャと、ガラスが擦れあうような物音がしていたから。


「よく前を見て歩かなかったから、思いっきりぶつかっちゃったのよ。故郷にいる母から、誕生日祝いにティーカップを送ってもらったのが届いて。うれしかったから。自分のそそっかしさにもう、頭くるわ」


 音の謎は解けた。私はリーザの心境を察した。


「落として割ったみたいだな」

「そう。ほんと、私馬鹿よ。母にもね……もう少し落ち着きを持ちなさい、って怒られてばかりだったの」


 そう言ってリーザは視線を海へ向けた。努めて明るく振る舞っている様子が、そのほっそりした横顔から十分うかがえた。


「ここはエルシーアだから同じ物は手に入らないが、いい店を知っている。流行りのデザインのものから、アンティークまで品揃えが豊富でね。よかったら案内するが……」


「ジャーヴィス」


 リーザが振り返った。長い艶やかな黒髪の一筋が顔にかかり、彼女は何気ない仕種でそれを払った。


「へえ……あなた優しい所があるのね。みんなが言ってたのと全然違う」


 私は一瞬むっとなった。別に、人にどう思われようと気にしていないつもりだが、勝手な事を言い回られるのは不愉快だ。


「どう……違うんだ?」


 私は好奇心に負けてリーザに尋ねた。


「そうね……。愛想が悪くて近寄りがたいでしょ。興味があるのは勉強だけ、っていう雰囲気。あんまり笑わないから、心が冷たそうな人……」


「結構はっきり言うんだな」


 私は思わずつぶやいた。ショックがないといえば嘘になる。

 特に興味があるのは勉強だけ、とは。


「だって……私も正直そう思ってたから。あ、でも今は違うわ。だってあなたは私を助けてくれたじゃない? あのとき私、すごくうれしかった」


 リーザの言葉に、私は気恥ずかしさが再び戻ってきたのを感じた。

 彼女の視線を感じながら、私は静かに打ち寄せる波を見つめ淡々と言った。


「当然の事をしたまでさ」


 リーザが小さく嘆息するのが聞こえる。


「ジャーヴィス……。そんな態度だから誤解されるのよ。もっと自然にこう、笑顔とか浮かべながら言えば、冷たそうな人だなんて思われないのに」


「無理に笑う事が自然なのか? 私はそうは思わないが」


 リーザは箱を持ったまま小さく微笑した。まるであきらめきった笑顔だった。


「あなたという人がだんだん分かってきたわ。ええと、話を戻すけど、本当にアンティークの店とか知っているの?」


 私はうなずいた。


「ああ。アスラトルの<西区>には、陶器類を扱う専門の店が並ぶ通りがある」

「……いいなぁ。うっとりしちゃう。私、古い歴史あるものが大好きなの。ジャーヴィス、今度そこに連れてってくれる?」


「ああ、いいとも」

「うれしい! あなたと思いきって話をしてみてよかったわ」


 リーザは本当によく笑う。私はできそうにないが。

 彼女がさっき言った「笑顔」とはこういうものだろう。頭で理解はしたが実際……私にはやっぱりできないだろうと思った。


「ジャーヴィス、もう少し話をしてもいい?」

「えっ?」


「いや……私、エルシーアの人間じゃないでしょ? ホントはまだ友達って呼べるひとがいないの」


 リーザは桟橋をゆっくり歩いて行き、その先端まで来るとしゃがみこんだ。

 私は彼女の隣へ腰を下ろした。

 彼女の寂しさは理解できる。私も知り合いが誰もいないアスラトルへ来て、やっと一年がすぎたばかりだから。


「焦る事ないさ。こうして今、ひとりいるじゃないか」

「ふふ、そうね」


 彼女の返事はまんざらでもなさそうで、私は内心ほっとしていた。

 気をよくした私は、気になっていたことを訊ねてみた。


「リーザ、君はどうしてここへ入ったんだ? エルシーアの人間でも、女性が希望して入学してくるのは毎年数十名ほどなのに」


「あら、いけない?」

「いや、そうとは言っていない。ただの好奇心だ」


 リーザの瞳が一瞬険しさを増したので、私は慌てて弁解した。


「ジャーヴィス、私の国……アムダリア国の事は知ってる?」


 アムダリア国。私は脳裏にざっと地図を浮かべた。

 このエルシーア国の北にある小さな小国。その面積はエルシーアの10分の1ほどしかない。そしてアムダリア国の北には、北の軍事大国シルダリア王国の領土が広がっている。


「世間一般的な事しか知らない。ただ……アムダリア国があるから、シルダリアはエルシーアへ容易に手が出せない。国境を守る君の国の人達には感謝している」


「ふふ……軍人らしい見解ね。そう、私の国が小国ながら自治権を持てるのも、また、国境をうかがうシルダリア国に攻められないのは、エルシーア国のおかげなんだけどね」


 リーザは微笑して言葉を続けた。


「ま、私も微力ながら国を守る役目につこうと思ったわけよ。エルシーアは優先的にアムダリア国の人間も入隊を認めてくれるの」


 私は複雑な思いでリーザの話を聞いていた。

 国を守るとか、私はそんな高尚な目的で、士官学校へ入ったわけではなかったから。


「ジャーヴィス、あなたはどうして海軍に入ろうと思ったの?」


 穏やかな表情を浮かべながらも、鋭く光るリーザの紅の瞳。

 私は息が止まりそうになって、思わず胸を押さえた。

 今まさに、その理由を聞いて欲しくないと考えていたのだ。


「あ、その……」

「どうして? みんなの噂話をちょっとだけきいたんだけど、ジャーヴィスって王都の人でしょ? 軍人になるならそっちでも可能のはずよ?」


 私は軽くため息をついて、眉をしかめた。


「……海軍じゃないと駄目なんだ」

「えっ?」


「あ、そう、海軍に入りたかったんだ」

「ジャーヴィス、それ理由になってない」


 私は視線を宙にさまよわせながら、天を仰いだ。

 ごまかしがきかない自分の性格が昔から嫌いだった。嘘をつこうとしても、顔や態度に出てしまうのだ。私は早々観念した。


 そう、恥ずかしいと思うのは、きっとリーザと自分を比べてしまうからだ。

 私が海軍に入った理由。

 それはつまらない……本当につまらない理由。


「絶対笑わない、って約束して……欲しいんだが」

「笑わない」


 即答だった。息付くひまがないほどの。


「絶対だぞ」

 私はリーザに念を押した。自分でも見苦しいと思いながら。


「ええ」

 リーザは口元をきゅっとひきしめて、私を見つめた。


「……死んだ父の事を知りたいと思ったんだ」


 私は自然と顔に笑みが浮かぶのを感じながら、寄せては返す波の白い泡を眺めていた。


「お父様は、海軍の軍人だったの」

 リーザの問いに私は静かにうなずいた。


「父は母と王都で結婚してから、単身アスラトルへ行き、海軍に入ったのさ。船に乗れば王都どころか、エルシーアにすらいつ帰ってくるかわからない。私や妹、姉は父の存在をほとんど感じる事なく育った。私は随分父を憎んだよ。母が夜、声を押し殺して泣いていたのを知っていたから」


「ジャーヴィス……ごめんなさい。私……」


 リーザは目を伏せうなだれた。私は咄嗟に、艶やかな黒髪がうねる右肩へ手を置いた。


「謝る事はない。ただ私は君と違って、自分の為に海軍へ入った事が恥ずかしかっただけなんだ」


 リーザはゆっくりと再び顔を上げた。優しく私を見るその紅の瞳には、ありがたいことに理解の色が宿っていた。


「ジャーヴィスはお父様が好きだったのね」

「……リーザ」


 私はリーザの肩から手を放し、立ち上がった。


「好きではなかったさ。ただ、彼がここに来て、何を感じていたのかが知りたかった。海軍に入ればそれが何かわかるんじゃないかと思って……」


 ガチャガチャと割れたティーカップの擦れ合う音を立てながら、リーザが立ち上がった。


「少しはお父様の事、わかったの?」


 リーザに問われ、私は小さく息を吐いた。


「十年前、エルシーア海を牛耳っていた月影のスカーヴィズ一味との海戦で、上官を庇って死んだそうだ。少なくとも、軍人としての父は尊敬できる人間だったらしい……」


 私の胸中は複雑だった。父を知る人達が正直うらやましくもあった。


「軍人としては尊敬できても……父親としてはまた別かぁ……」

「リーザ、君って人は本当に鋭いな」


 私は思わず感嘆の声を漏らした。リーザは割れたティーカップの箱を抱えたまま、まるで私を諭すような口ぶりで言った。


「でもジャーヴィス。あなたは本当はお父様の事、もう許してあげているんじゃない? ううん、お父様の事が好きだから、もっともっとお父様の事を知りたいのよ。違うかしら?」


 私は思わず出てきた笑いを噛み潰した。こんな形で父の事を認めるなど思っても見なかったから。さすがにそれをすぐ肯定することはできなかった。


「それはどうかな。でも……父の事を一つだけ理解できたよ。王都は四方を山に囲まれているから……アスラトルに来るまで、私は海を見たことがなかった。今なら父が、海に惹かれたのもわかるような気がする」


 そっと私の腕にリーザが手をかけた。


「あなたがそう感じるのは、お父様の血を確かに受け継いでいる証拠よ」


 潮騒の音と波長をあわせたようなリーザの声は、心地よく私の耳に響いた。

 それは長きに渡って私の心を散々乱していた嵐を鎮めていき、目の前に広がるエルシーアの、碧緑色の静かな海面のように平穏を取り戻してくれた。


「そうかな」

「そうよ」


 リーザが目を細めて微笑した。才女といった雰囲気ではなく、少女の無邪気で無垢な笑い。私もついつられて微笑んだ。

 彼女の前では力まずに、自然に振る舞える事に気が付きながら。


「いたぞ! おい!」


 桟橋の突端にいた私達の背後へ、男の怒鳴り声が浴びせられた。

 振り返った私とリーザは、あの92期生の四人組が港へ走って来るのを見た。


「……しつっこい連中ね。私、ちゃんと謝ったのに」


 リーザは憤慨して足をだんっ! と打ち鳴らした。


「あの雰囲気はかなりやばいな」


 私はため息をついて制服のボタンに手をかけた。四対一ではかなり分が悪いが、リーザを守らなくてはならない。


「ジャーヴィス、待って」


 ケンカは避けられないと思った私の考えを見抜いたのか、リーザが制服の裾を引っ張った。


「私闘は規則違反よ。あんな連中のせいで私、あなたに怪我をさせたくないし、あなたの評価を落としたくない」

「リーザ、連中はやる気だ。やむを得まい」


 四人は息をきらせながら桟橋へ走ってきた。


「私はあんな連中とあなたが関わる必要はないと言ってるの!」


 リーザはきびすを返すと桟橋に繋いである小帆船へ飛び乗った。


「ジャーヴィス! 早く」


 私は彼女の機転に驚嘆しつつ船に乗った。

 リーザがもやい綱をひっぱり係留を外す。私は素早くオールを出して、桟橋に当て、船の前進に勢いをつける。


 教官がほめたたえるような手慣れた段取りで、リーザはマストを立てて、帆を瞬く間に広げた。私達の乗った小帆船が桟橋から10リール以上離れた頃、92期生達は喘ぎながら、近くのそれに飛び移るのが見えた。


「待ちやがれ!」


 さんざん悪態をつく声がしばらく聞こえていたが、彼等の姿はどんどん小さくなっていった。


「最低ー! マスト一つロクに立てられないなんて。笑っちゃうわ!」


 長い黒髪を日の光に輝かせながら、リーザは私に話しかけた。

 私は舵柄だへいを握り、帆に適度な風をはらませるよう注意を払いつつ、リーザのいうことに同意していた。


「しかしリーザ。今は逃げおおせたが、校内でいつあいつらに絡まれるかわからないぞ」

「ふふ……そうね。でも大丈夫よ」

「えっ?」


 私は彼女の意味ありげなセリフが理解できず、説明をもとめた。


「あの人たち92期生でしょ。明日アルスター号で訓練航海に行っちゃうわ。半年間。そこから帰ってきたら今度は私達が訓練航海に行く番。一年は顔をあわせない」

「ふ……。あいつら、今度こそ卒業してくれたらいいのにな」


 あまりの都合の良さに私は可笑しくて笑いだした。


「それは無理ね。小帆船のマスト一つロクに立てられない人達よ。海軍士官になる人間にふさわしくないから、今度はきっと放校処分だわ」

「で、リーザ。私達はこれからどうしよう」


 小帆船は士官学校の港が見えなくなるほど、外海へ近付いていた。

 船首にいるリーザは、潮風になびく長い髪を手で押さえながら、私の方へ振り向いた。


「授業はもう終わっているし。ジャーヴィス、このまま<西区>の商港へ行きましょうよ。さっき、言ってたでしょ? 陶器のアンティークを扱う店を教えてくれるって」


「……これから?」

「そう。まさかジャーヴィス、ウソついたんじゃないでしょうねー」


 マストに手をかけてリーザがじっと私を睨んだ。


「嘘なんてついたら、君にすぐばれるはずだけどね」


 私の言葉にリーザはぷっと吹き出した。

 どうも本当にそうらしい。


「リーザ、こぶを作りたくなければ、頭を下げろ。いくぞ!」


 私は帆の上げ綱を緩めて、舵柄を左にきった。


「いやー! ジャーヴィスっ! 危ないじゃないっ!!」


 旋回してきた帆桁ヤードから、頭を庇ってリーザが船底へ這いつくばる。

 私はそれに満足感を覚えながら、無事に方向転換をおえて商港への針路をとった。


「ジャーヴィス、あなたの操船荒っぽすぎ!」

「注意はしただろう。よかったなー。頭にこぶ作らなくて」

「そういう問題じゃないー!」


 私はこの後、調子に乗ってリーザをからかった事を後悔する。

 彼女が気に入ったアンティークのティーカップを、誕生日祝いとして買ってあげる羽目になったのだ。


 これで私の朝食は、半年先までパンケーキにした。




 ―完―



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る