第6話 越権行為(1)
※話が長いので、全4章となっております。
◆【第1章】ジャーヴィス副長ご乱心?
エルシーア近海。
いつもの「使い走り」任務を終えて、アスラトルへ帰港するロワールハイネス号の後部甲板にて。水兵たちを集めてジャーヴィスが立っている。
ジャーヴィスの顔は緊張しているのか、その表情は氷のように固く青ざめていた。
それにも増して、水兵たちの顔も納得がいかないというように不満げな表情である。自分たちから発言すれば反逆罪に問われることもあるので、彼らを代表して、航海長シルフィードがジャーヴィスに訊ねた。
「今、何て仰ったんですかい?」
ジャーヴィスは鋭い青い瞳を細め、胸の前で両腕を組んだ。まもなく正午になるので、天頂にかかる太陽の光がじりじりと甲板を焼き付けている。
「何度でも言う。しばらくの間、私がロワールハイネス号の艦長を務める」
「一体どういうことなんですか? 突然そんなこと言い出して? グラヴェール艦長に何かあったんですか?」
ざわつく水兵達を見るジャーヴィスの青い瞳が、『グラヴェール艦長』という名前で一瞬空を仰いだ。
「そういえば僕、今日はまだ艦長のお姿をみてません。
航海長シルフィードの隣に立っていたクラウス士官候補生がぽつりと口を開いた。
大男のシルフィードが呆けたような顔でクラウスを見下ろす。
「俺も見てないな。そう言われれば。もう昼前だっていうのに、今日は艦長、一度も甲板へ上がってきて……ねぇよな…?」
シルフィードが同意を求めるように周囲を見回した。
「ああ」
「俺も見てないです」
目が合った数人の水兵達がこくりと頷いた。それを確認したシルフィードは、垂れた緑の瞳を訝しげに細めながらジャーヴィスに再び問いかけてきた。
「ジャーヴィス副長が『艦長代理』を務めるのには、当然、正当な理由がおありでしょうね?」
シルフィードの口調にはトゲがあった。ロワールハイネス号の『艦長』を務めるとジャーヴィスが言ったのに、シルフィードは『艦長代理』と言い直したからだ。
ジャーヴィスは無表情のまま目を伏せ頷いた。
「ああ。皆も知っているだろうが、艦長職は、その職についている者が病気や怪我などで指揮を執れる状態ではない時に限り解任が可能で、代行者を任命できる。そしてその代行者は、副長である私だ。よって私がグラヴェール艦長に代わり、アスラトルへ帰港するまで艦長を務めると言っているんだ」
「ジャーヴィス副長、一体艦長の身に何があったんですか!?」
「そうですよ! 一方的に艦長になると言われましても、どうしてグラヴェール艦長がロワールハイネス号の指揮を執れないのか、副長はまだ僕らに説明してくれてません!」
「何があったか知らねぇですけど、冷静な副長らしくない」
シルフィードがそっとジャーヴィスの隣に近づき、二人だけにしか聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「越権行為、ですよ。正当な理由じゃなかったら、反乱罪で軍法会議ですぜ?」
シルフィードが心配してくれるのは、ジャーヴィスにもよく理解できた。
ジャーヴィスは腕を組んだまま静かに頷いた。
「わかっている。だから、私がグラヴェール艦長の代わりを務めなければならないのだ」
ジャーヴィスは伏せていた顔を上げて、鋭く水兵達を見回した。
「今から名前を呼んだ者だけ、私と一緒に艦長室へ来てくれ。部屋が狭いから全員連れて行くわけにいかないんだ。後で詳細を話す。それ以外の者は当直についてくれ。いいな」
ジャーヴィスは見張りのエリック、航海長シルフィード、士官候補生クラウス、この3名を連れて、後部ハッチの階段を下りた。
この階段を下りた真正面には、静まり返った艦長室の扉がある。
ジャーヴィスはしきたり通り、二度扉を叩いた。
けれど艦長室からは、返ってくるはずのシャインの声がしない。
「艦長、どうしたんだろう」
「寝てるんじゃないっすか?」
ごつんとシルフィードが、見張りのエリックの頭をこずいた。
「馬鹿。エリック、艦長は眠りが浅いんだ。そりゃ、時々真昼間から部屋でうたた寝してることもあるけどよ。病気じゃないかぎり、昼まで甲板に姿を現さなかったことは今まで一度もなかったぜ」
シルフィードが伸びかけた顎の無精ひげをぽりぽり掻く。
「失礼します」
シルフィード達の声を無視して、ジャーヴィスが艦長室の扉を開けた。
「中に入れ。そら……みんな入ったな」
「――」
ジャーヴィスはシルフィードやクラウス、見張りのエリックの顔に安堵の表情が浮かぶのを、艦長室の扉の前で眺めていた。
彼らは艦長室の真ん中にある、応接机の対面――藍色の長椅子に体を横たえ、目を閉じているシャインの姿を見ている。
いつ呼ばれてもいいように、すぐ起きて甲板に上がれるように、シャインはケープのついた青い航海服姿のままだった。
「なんだ。脅かしやがって。艦長、やっぱり寝てるんじゃないですか」
悪い冗談はやめてくれ。
シルフィードの言葉をジャーヴィスは唇をひきつらせて遮った。
「ああ。グラヴェール艦長は眠っている。どんなことをしても、一向に目を覚まさないがな」
「えっ?」
「ええ?」
「ええええええ――!?」
「そんな馬鹿な」
シルフィードがずかずかとシャインが横になっている長椅子の所へ近づいた。
まじまじとその顔を覗き込み、小さく上下する胸を眺め、おもむろに右手をのばした。
「艦長、わりぃ。先に謝っておきますぜ」
シルフィードがやおら伸ばした右手でシャインの左頬を抓る。柔らかな頬の肉をつまみあげ、その痛みでシャインが目を覚ますのを、この大男は期待している。シルフィードの目論みを看破したジャーヴィスの唇に笑みがこぼれた。
「グラヴェール艦長!? マジかよ! おい!」
シャインはシルフィードに頬を抓られてもぴくりともしない。
相変わらず小さな寝息を立てて深い眠りに陥っている。
「マジで起きねえのか!? 嘘だろ?」
シルフィードがシャインの肩を掴んで揺する。
「艦長! もう昼ですぜ! いい加減起きて下さいよ!」
がっくんがっくん。
脳味噌まで揺さぶっているのではないだろうか。そうジャーヴィスが危惧するほど激しくシルフィードはシャインの肩を揺さぶっているが、やはりシャインは目を覚ますどころか、昏々と眠り続けている。
「副長……一体、艦長どうしちまったんですか?」
息を切らせ、ようやく事態を納得したシルフィードが立ち上がり、戸惑った目つきでジャーヴィスを見た。
「それは私も知りたい所だ。でも艦長が目を覚まさないんだ。何か悪い病気じゃなければいいが」
「――まさか」
気まずそうな声を発したのはクラウスだった。
士官候補生が喘ぐように漏らしたそれをジャーヴィスは聞き逃さなかった。
「クラウス。お前、何を知っている?」
「えっ、あ、その……僕は」
クラウスはジャーヴィスの鋭い視線から逃げるように、シャインが横になっている長椅子の所へ近づくとその場に膝をついた。
「クラウス?」
クラウスはやおら顔をシャインの唇に近付けた。
「――ああ、やっぱり!」
半ば怒ったような口調でクラウスが立ち上がった。
近づいたジャーヴィスと目が合うと、候補生は悲しげにかぶりを振った。
「艦長、あれをシルヴァンティーと一緒に飲んじゃったんだ。唇から林檎の香りがする。シルヴァンティーには鎮静効果の成分が入っていて効きすぎることがあるから、あれほどお茶と一緒に飲まないで下さいね、って念を押したのに!」
「クラウス、あれって何だ」
「あれって、そりゃ、あれですよ。眠り薬」
「は?」
クラウスはため息をついてジャーヴィスとシルフィード、水兵のエリックに向かって口を開いた。
「昨日のお昼過ぎでしたっけ。昼食時に艦長がぼやいてたんです。最近いつもより眠りが浅くて、日中頭がぼんやりするって。一度でいいからちゃんと眠れば、それがすっきりするんだが、何かいい安眠方法を知らないかって。すごくお困りの様子だったから、僕、ネスティーユを分けてあげたんです」
「……なんだって?」
ジャーヴィスは目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。
「ネスティーユ――どこかできいたことがあるな。そうだ……ネスティ、『安眠花』か。おい、それは睡眠導入の作用はあるが、大量に摂取すると死に至る劇薬だぞ!」
「うわっ!」
ジャーヴィスは感情の任せるままクラウスの襟飾りを掴んで、その顔を覗き込んだ。
「艦長にどれだけの量の薬を渡したんだ! 第一、どうしてお前がそんな薬を持っている!」
「だ、だだ、だって! 僕だって、眠れない時があるんですっ! 副長に怒られた時とか。なんで言われたとおりにできないんだろうって、すごくすごく落ち込む時があるんです! そうしたらきりきり胃が痛んじゃって。うう……」
「ジャーヴィス副長、クラウスを離してやって下さいよ。息が詰まっちまう」
シルフィードがたまりかねたのかジャーヴィスの肩に手を置いた。思わず我に返る。クラウスの襟飾りを掴むジャーヴィスの手から力が抜けた。
ぱっとクラウスはジャーヴィスから避難するように離れて、シルフィードの後ろに隠れた。その眼の中に見える怯えを察したジャーヴィスは、自分が何をやっていたのか理解した。
「クラウス。すまない……状況に流され私は冷静さを失った。許してくれ」
「……い、いいえ。大丈夫です。確かに、僕が軽率だったんです。でも」
片手でシルフィードの航海服の上着を掴みながら、クラウスが視線をシャインが眠っている長椅子の方に向けた。
「艦長には錠剤を二つ渡しました。二回分です。早速昼寝に使うと仰ってました。でも一度に二錠飲んじゃったんだと思います」
「昼寝って……もちろん、昨日の、だな?」
クラウスがため息をつきながら頷いた。
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