第5話 ティーカップとパンケーキ(前編)

【前書き】

※こちらはジャーヴィスの士官学校時代の話となります。




◇◇◇



 私は17才の時に、アスラトルにあるエルシーア王立海軍の士官学校に入った。高官の子息などは14才で入学し、海軍の幹部候補生としてのコースを歩むから、私は彼等と比べるとかなり遅すぎるスタートだ。


 しかし私は、自分の将来を悲観していなかった。

裏で官職を買うしきたりは恒例だが、基本的に海軍は実力主義な所である。


その例にもれず士官学校は、成績で何もかも評価を下した。特に、成績優秀者へ支払われる報奨金の存在は大きくありがたかった。

 私は亡き両親が残してくれた僅かばかりの貯えを、王都にいる姉と妹へそっくり置いてきたから……。


 だが私の属する95期生でのトップの地位が、まさか脅かされる事になろうとは。

 それが、との出会いだった。



◇◇◇




 士官学校の中庭に打ち立てられている掲示板には、先週行われた筆記試験の成績結果が貼り出されていた。中庭は石積みの回廊で、ぐるりと囲まれた四角い空間である。


「ほおー、今回の定期試験の首座はリーザ・マリエステルだぜ」

「先月も確か彼女だったよな。どうしたんだよ。“提督”ヴィラード・ジャーヴィス閣下?」


 同期のクラスメイトに肩を小突かれながら、私は拳を握りしめ、無機質な印刷の文字を見つめていた。その名前は95期生トップの座から私を二ヶ月連続で蹴落としたのだ。


 たかが試験、といわれるかもしれない。

 しかし私には死活問題だ。


 トップになれば報奨金が15万リュールもらえるが、二番目だと7万リュールに下がってしまう。毎月の学費を払えば、僅かしか手元に残らない額なのだ。


 憂鬱だった。

 これで二ヶ月間、朝食はパンケーキを食べなければならない。


 願わくは早く訓練航海に出たかった。そうすれば三食ついてきて、おまけに航海日数に応じた給金が振り込まれるのに。

 まだ半年も先というのが恨めしい……。


 人が増えてきたので、私は複雑な思いを胸に掲示板から離れた。

 そのときだ。

 回廊の前方で、彼女――リーザ・マリエステルの後ろ姿が見えたのは。


 すらりとした若木のような肢体に、私と同じ灰色の制服を着て、結われることなく腰まで伸ばした艶やかな黒髪が揺れている。

 両手に青い包装紙でくるまれた箱を抱えたリーザの前には、92期生の緑の制服を来た四人の男子生徒が、その行く手をふさぐように立っていた。


 ネクタイをゆるめ、制服の上着のボタンをかけることなく着崩した、実に不愉快極まりない連中。四人のうち真ん中の濃い金髪頭と、その左隣にいる青白い顔をした、プラチナブロンドの生徒は無精髭を生やしっぱなしだ。


 私は嫌悪感で胸が一杯になった。

 誇り高き王立海軍の士官は、常に紳士であらねばならない。


 92期生は20才。だが彼等はもう少し年上のようだ。

 毎年必ずいるのだ。卒業試験をクリアできず留年している連中が。

 金持ちの子供なら、卒業と共に与えられる少尉候補生の地位を買うことによって、大抵ここを出て行くのだが。


 リーザは彼等と言い争っているようだった。

 そして、どうも折り合いがつかなかったのか、彼女はきびすを返して私の方へ走ってきた。


「通して! お願い!」


 彼女を追って四人組も走ってくる。私はその意図を理解した。

 目の前に来たリーザを隠すようにその背後につき、掲示板の前でごったがえしている生徒達の人込みにまぎれたのだ。


「こら! 通せ。邪魔だ!!」


 背後から聞こえる罵声と共に、金髪頭の手が後ろから伸びてきたので、私は人込みにいるのを幸いに、肘鉄をさりげなく脇腹へ入れてやった。


「うがあっ!」


 うめく男子生徒の声は、掲示板を見ようと集まった生徒達の喧噪にかき消された。


「こっちだ、行こう」


 人込みから抜けた私はリーザに声をかけた。彼女は箱を大事そうに小脇に抱えたまま顔を上げ、ゆっくりうなずいた。

 透き通った――それでいて情熱的な紅の瞳が私を見返していた。



 ◇


 

 私とリーザは士官学校内の裏手にある、こじんまりとした港へ出た。

 小さな湾内に作られたそこには、一人乗り用の小帆船が10隻ほど、マストを倒して船底に格納されたまま、木の桟橋に行儀良くロープで係留されている。


 年若い新入生たちが、帆船に親しむために使われている物だ。

 かくいう私も17才で入学したから、最初の一週間はこれに乗ったのだが。

 港内に人影はみあたらず、ただ打ち寄せる静かな波の音だけが辺りに響いている。


「ごめんなさい。なんか巻き込んじゃって」


 はらりと前に垂れた黒髪の房を手で払いながら、リーザが言った。


「いや……私は構わない」

「あなた、ヴィラード・ジャーヴィスさんだったわね」

「えっ、あ、何故、私の名を?」


 リーザはそのややつり目がちの紅い瞳を細め、ふふふと笑った。


「定期試験でいつか抜いてやろうと目標にしていたから」


 私は思わずリーザを凝視した。

 そんなことを言われるなど、思ってもみなかったから。

 私は誰かに目標とされるような、そんな大した人間では無い。試験で手を抜かないのは、ひとえに報奨金を生活費のたしにして、毎日パンケーキを食べる地獄を送りたくないからだ。


「私、リーザ・マリエステル。三ヶ月前アムダリア国から、95期生に志願入学したばかりなの。あ、助けてくれてありがとう。私ったら、お礼言うのすっかり忘れてたわ」


 リーザは快活な口調でそう言いながら、さっと右手を私に差し出した。

 私は思わず辺りを見回した。潮の音しかしないことを確認して、彼女の白い手を取った。彼女の手は小さくて柔らかかったが、手のひらはざらついている。


 それに気付いたリーザは、気恥ずかしげに一瞬うつむいた。

 無理もない。訓練でロープを扱うのだからどうしても手が荒れる。

 私もそうだ。


「言葉を交わすのは今日が初めてだが、君の事は知っている。この二ヶ月ずっと、君に首席の座を奪われたからな」


 リーザはやや大仰に握手をした手を振った。


 そしてさっきみせた恥じらいを吹き飛ばすように、にんまりと笑みを浮かべて言った。


「あらー、私ったら”提督”にライバル視されてたのね。うふふ、光栄だわ」

「……やめてくれ、その言い方は」


 私は握手した手を放し、額に思わず手を当てた。


「どうして? みんなあなたのこと、そう呼んでるわよ」


 なんの疑問も持たず言うリーザを、私は恨めしく思った。

 だからって、そう呼んでいいなど言ってない。

思わず顔をしかめた私を見て、リーザは小さくうなずき微笑んだ。


「ごめんなさい。でも、私はいいと思うわ。だってあなたは、一年間ずっと95期生のトップだったのよ? これってやっぱりすごいことじゃない?」


 私は何と答えようか迷っていた。いい成績をとりたくて勉強しているわけではない。パンケーキをとにかく食べたくないがために勉強しているのだ。


「私の名はジャーヴィスだ。あだ名で呼び合う程、私達は親しくないと思うが」

「……」


 リーザの夕日のような瞳が一瞬大きく見開かれた。そしてそれが徐々に細められ、彼女はついにうつむいた。

傷つけてしまっただろうか? 私はふと不安になった。いくら初対面とはいえ、私の言葉は率直すぎた。


「………ジャーヴィス、あなたってホントおもしろいわ」

「えっ?」


 私の心配をよそにリーザは顔をあげると、さも可笑しそうに声を立てて笑った。両手に持った箱を取り落としそうになるほどの勢いで。


「確かにそうよね。私が悪かったわ。だから、これを機に仲良くして下さる?」

「……」


 私はまたも返事ができず、戸惑った。顔が上気してきて、なんだかとても気恥ずかしかった。


「私でよければ……別に構わないが……マリエステルさん」

「リーザでいいわ。もうお友達なんだから。でも、あなたの事はどう呼んだらいいかしら」


 私はリーザに苗字で呼んでもらうように言った。

 姉や妹以外の女性から名で呼ばれるのは、免疫がないせいか受け付けそうにない。



(後編へ続く)


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