第42話 伝えたい

 土曜の夜は、電車の本数も少ない。次の電車がくるまで10分近く。

 ホームのベンチに愛衣と並んで座った。


「……いつも武人さんのご飯食べれる愛衣は、幸せだね」


 言いたいことがうまく出てこなくて、話しやすいことから言葉になる。いや、言いたいことはこれじゃないんだけど。


「作ってもらえる時は、ね。たまに武人さんが忙しくて私が作るときもあって。それが、ねぇ」


「あ~、武人さんにご飯作るのは、嫌かも……」


「気にしなくていいし美味しいよ、とか言ってくれるんだけど、絶対武人さんが作った方が美味しいって思うと。デパ地下で買った方がいいんじゃないかと思う」


 デパ地下総菜、いいと思うけどなぁ。でも、手作り派の武人さんは嫌なのかもしれないな。


「それ、言った事ある?」


「……あるよ。めっちゃ嫌な顔された。だったら俺が作るよって」


「やっぱりね」


 作って食べることを当たり前にできる武人さんには、理解できないことかもしれない。でも、私にはよく分かる。


「前は一緒に料理教室行ったよね。また行ってみない?武人さんには内緒で」


「内緒で……。いいかもね。教えてくれるっていうんだけど、なんか、ねぇ」


 彼氏に料理習うって、気まずいよね。武人さん、手際よすぎて横で包丁使うの緊張するし。1年前に武人さんの家で作った背中のまるまったエビフライを思い出しながら二人で笑った。久しぶりに、二人でお腹の底から笑った気がする。


「ねぇ、愛衣」


「ん~?」


「愛衣の仕事、私好きだよ。丁寧だし、愛衣がまとめてくれた資料はわかりやすい。あれってセンス大事だよね。愛衣の仕事じゃないものを頼んでも、笑顔でやってくれるでしょう? あれ、すごくありがたい」


「仕事で頼まれたものは、断らないでしょう?由夏だって、自分の仕事じゃないものいっぱい抱えているじゃない。由夏に頼んだものは早く上がるって評判いいんだよ。私には急ぎの仕事回ってこないから」


 自嘲気味な笑顔に、息がつまる。伝わらないのかな。


「私は早いから至急のものはよく回ってくるけど、愛衣みたいな気遣いは出来ない」


 私の方が仕事は早いよ、でもそれが何だっていうんだ。仕事って、早い事だけがいいことじゃぁないでしょう? 愛衣のやっていること、私にはできないんだって。ああ、上手く言葉が出てこない。


「まとめた書類に可愛い付箋張って一言添える。伝言メモも、綺麗な文字でわかりやすい。皆がやりたくない仕事でも、嫌な顔見せずに引き受ける。愛衣がいるだけですごく空気が柔らかくなるんだよ」


 ねぇ、ちゃんと聞いて。すぐにはわかってもらえないかもしれないけれど、愛衣の仕事はすごく重要なんだよって、ちゃんと聞いて。


「でも、それってね」


「愛衣じゃなきゃできないの。愛衣が誰でもできるって思っていること、私にはできないの。うちの部署、愛衣がいないとギスギスするの」


 あれ、なんだか世界が歪んできた。ああ、きっと私は相当酔っているんだな。


「……ありがと」


「……」


 駄目だ。これ以上口開いたら、私泣く。タイミングが良いのか悪いのか、ホームにやってきた電車に『帰ろうか』と柔らかく笑う愛衣。黙って一緒に立ち上がり、電車に乗り込む。



 変な事、言っちゃったなぁ。

 ベッドに寝転びながら、反省。いつもこう。なんで、もっとうまく言葉に出来ないんだろう。気持ちが先走って言いたいことを伝えられない。愛衣、どう思ったかな。

 千夏さんに、会いたいなぁ。頼ってばかりの私。忙しいのはわかっているけど、あの笑顔が見たい。




「おはよう」


「おはよう」


 今週のお茶当番は私。ちょっと早く来てお茶をいれて配るだけ、なんて思えないのは私の心が狭いからだろうか。朝のちょっとは大きいんだよ、とか自分が飲みたいなら自分でいれたらいいのに、とか思ってしまう。それが顔に出ていたらしく、愛衣に笑われらた。


「本当、由夏はお茶当番嫌いだよね」


「……どうしても、面倒なんだよね。特に朝」


「向き不向きって、あるかもね。私も本当は面倒なんだけどね」


 ニコニコと笑う愛衣につられて一緒に笑う。何もなかったように仕事が始まり、いつも通りの終業時間。


「ねぇ由夏。今日時間ある?仕事片付きそう?」


「今日?」


「千夏さんから連絡きて、これからご飯行かないかって」


 それは、行かなきゃ!


「速攻終わらす。先に行ってて」



 言葉の通りに、30分で仕事を終わらせた。ちょっと明日に持ち越しちゃったけど仕方ない。どうせお茶当番だし、早朝出勤で片付けてやる。愛衣と千夏さんの待つお店に急ぐ。


「ついた!」


 鼻息荒く千夏さんの隣に座り込んだ私に、二人が笑う。


「ちょっと、一カ月ぶりの再会にその一言ってどうなの?」


「ああ、ええと、ええと。千夏さん久しぶり、元気だった?大丈夫?」


 改めて出てきた再開の言葉に、二人は更にお腹を抱えて笑い転げる。まぁいいか。


「はい、とりあえず乾杯。お久しぶりです!」


 私の呼吸が落ち着くよりも先に出てきたビールを合わせた。ああ、千夏さん変わってない。


「二人とも、土曜日正樹から私の事何か聞いた?」


「……毎週実家に帰っているって事ぐらいかな。後は、週末の家事は正樹さんがやっているってこと?」


「そうかぁ。ま、口が堅いっていうのは良い事としておこう。実は、さぁ。別れるかもしれない」


「は?」


 あまりの衝撃に本当に目の前が真っ白になった。何言っているの?二人で千夏さんの次の言葉を待つ。


「今、実家がバタバタしていてさ」


 実家?千夏さんの?


「私の父って転勤が多くて、自分の家を持つっていう事をしないままこれまで来たの。だから、去年定年した時に父の実家に引越しして今更母と祖母で同居。それだけでも母のストレスってかなりだったと思うんだ。今更、嫁姑ってさぁ。あ、祖父はずいぶん前に亡くなったから、祖母だけね」


 それは、中々大変そう。だけど? 


「最初は、祖母が骨折して入院。骨折の原因は母じゃないかなんて噂にもなって、ストレスと祖母の看病疲れで母も寝込んじゃって。近くに住んでいる妹から泣きながら電話があって、週末ごとに帰っているんだ」


 それは、大変です……。


「週末だけじゃ大したことできなくて、妹も今妊婦だし。母も気が弱くなっちゃって、帰ってきて欲しいなんて言われていてさ」


「は?」


「考えちゃったんだよねぇ。実家、新幹線で3時間近くかかるんだ。これからこういう事があってもすぐには帰れないし、仕事しながら毎週帰るってすごく辛いし。今の年だったらまだ仕事も探せるけど、5年後、10年後は厳しい。帰る気があるなら、今だなって」


「……正樹さんは、なんて?」


「決めたら教えてって」


 正樹さんらしい。千夏さんの事は、千夏さんが決める。それは、わからなくないけど。


「まだ迷っているんだけどさ、帰るなら正樹とは遠距離。それも、先の無いヤツ。だから、実家に戻るなら別れると思う。住んだ事の無い町での転職だって、不安だし」


 困ったように笑う千夏さんに、息ができなくなる。普段は潔さを感じる瞳が迷っているのがわかる。


「こうやって、さぁ。急に何かが変わる事があるかもしれない。その時、ちゃんと判断できるように、やりたいことをやっておいたらいいよ」


 やりたいことをやっていたら、判断できるんだろうか。がんばったからこその未練とかは、無いんだろうか。




「またね。しばらくは平日にご飯に誘うわ」


 いつもと同じようにカラカラと笑って手をふる千夏さんに救われる。不謹慎だとは思うけど、わざわざ報告してくれたことが嬉しい。何もできない自分が、不甲斐ない。


「正樹さん、どうするのかなぁ」


「どうだろう」


 ずっとずっと、千夏さんを好きだった正樹さん。その真直ぐな気持ちは、今でも変わらないはずなのに、千夏さんが決めることに口は出さない。それも、正樹さんの愛情なんだろうな。


「止めて欲しい、とかないのかな?」


「止められたら、千夏さんの判断じゃなくなっちゃうかも」


 『やりたいことをやったらいいよ』千夏さんの言葉が、重く胸に沈む。私にも、愛衣にも向かった言葉。私達よりも、ずっと仕事が好きだった。会社に行くのが楽しいと言っていた。正樹さんが良いと、きっぱりと言い切っていた。やりたいことをやったんだろうか。やりたいことをやったら、後悔とか未練とかは、無いんだろうか。


 声が、聴きたいなぁ。私よりも賢く、二人をずっと見ていた、徹の声。

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