第41話 気になるけど
「由夏ちゃん久しぶり。入って入って」
ニコニコと笑う武人さんに、修さんが重たそうな段ボールを押し付けた。
「重!こんな重いの俺持ちたくねぇんだけど」
「俺はずっと持ってたんだよ。いいいだろ、一つぐらい」
ああ、やっぱり重いですよね。車の鍵とチーズを持って、ドアの開閉くらいしかしなかった事が少し申訳ない。リビングに移動すると、すでに徹が呑み始めていた。あれ?今日早くない?
「久しぶり」
「ああ」
「さっき、アサミに会ったよ」
「聞いた」
聞いた?誰に?修さん、連絡していた気配なかったけど?
「アサミから。直接連絡がきた」
ああ、そうですか。まあ、クラス会やった時に連絡先ぐらいは教えてるよね。私と会ったなんてわざわざ連絡しなくてもいいのに。相変わらずだなぁ。
「お前、変わらねぇなぁ」
呆れを含んだ溜息に、若干苛立つ。
「人間そんな簡単に変われないでしょう? 何年この性格だと思ってんのさ」
言い返されると思っていなかったのか、徹の目が丸くなる。私だって、徹相手になら言い返すぐらいしますよ。ただちょっと、女同士の戦いは苦手なんだよね。
「そうだな」
クツクツと喉の奥で笑いながら、修さんが持ってきた飲み物をクーラーボックスに入れていく。あ、ちゃんと手伝うんだ。
「そういえば、徹は飲み物買ってきたりしないよね」
「俺は、食材担当。宅配で届いているのは俺が注文している」
あの大量の食材、徹だったんだ。お金は出すけど手は出さない、の典型だな。
「選ぶのも、徹?」
「バラバラ」
バラバラ?皆で選ぶってことかな?まぁ、武人さんの希望は優先しないと食材だけあっても仕方ないしね。
「コイツ、これでグルメだからね。産地とかこだわるんだよね」
武人さんが笑いながら、今日届いたのであろう発砲スチロールの箱を指す。そういえば料理教室やった時の海老、すごい立派だったな。
「どうせ食うなら、旨い方がいいだろ」
若干面白くなさそうに呟くのは、もしかして照れている?
「だからこいつは食材担当。こだわりの全く無い修は、どこで買っても同じ味の呑みもの担当。正樹は気まぐれだからその時々で好きな物買ってくる。ちなみに俺は調理、片付けだから基本買い出しはしない」
なるほど。ちゃんとそれぞれ適任ってことだね。バランスのいい人達なんだなぁ。感心しながらクーラーボックスに飲み物を詰めていく。あれ?ワインなんか呑んでる人いたっけ?
「ああ、ワインは冷蔵庫。正樹が来た時に無いと怒るから」
ブツブツといいながらも両手にワインを持ってキッチンに向かっていく修さん。仲がいいよなぁ。いい会社だなぁ。
今日のメインは、海鮮フライ。海老、ホタテ、牡蠣、イカ。どれも肉厚。高いんだろうなぁ、と思ってしまう私は貧乏人なんだろうか。フライにならなかった海鮮達は酒蒸しやらバター焼きやらになってテーブルに並んでは、すぐに誰かのお腹に収まっていく。相変わらずだなぁ。
「正樹、連絡あったか」
「いや」
武人さんと徹が小さな声で話しているのが、酔いの回った私の耳にも入ってきた。これ、聞いてもいい事なのかな。遅くなるっていっても、もう5時近い。今日は来ないのかもしれない。
「お腹すいたぁ。武人、なんか出来立てのもの食べたぁい」
チャイムと同時に玄関の開く音、間延びした声。鍵とか、かけてないんですね。入ってきたのはスーツ姿の正樹さん。あれ?休日出勤だったのかな。
「お前なぁ。人の家での第一声がそれってどうよ?お邪魔します、とか言えねぇの?」
「オジャマシマス。ねぇ、今日のメインなに?」
「……海鮮フライだったけど、もうないぞ。あるもの食え」
「エビフライ食べたい!」
全く会話がかみ合っていないのに、溜息をついた武人さんはキッチンに消えていった。きっと、これから揚げるんだろうな。ゆっくりできない武人さんには同情するけど、揚げたてを食べたい気持ちは、わからなくはない。
「お疲れ」
本日何度目かの乾杯。正樹さんは、心なしかぐったりとしながらチーズをつまんでいる。
「疲れたぁ。まだ家にも帰ってなくてさ」
会話を聞いていいのか迷ったけど、自然に耳がそちら向く。ここで話しているんだから、きっと聞いていてもいいんだろうな。いいことに、しよう。バレバレなほど聞き耳を立ててみたが、詳細はよく分からない。わかったのは週末の仕事が終わったら、そのまま出かけて一泊していたこと、千夏さんの方が遅くに帰ってくることぐらい。
「由夏ちゃん、愛衣ちゃん、千夏から伝言。しばらく週末は忙しいから、平日にご飯に付き合ってくれないかって」
「……身体、大丈夫なんですか?」
「平気だよ。千夏丈夫だから」
カラカラと笑う正樹さんに、中々言葉が出てこない。千夏さんから誘ってくれているんだから、いいのかなぁ。
「今日も、忙しいんですよね?」
「うん、毎週実家に行っているんだ。日曜の夕方ぐらいに帰ってくるから、掃除も洗濯もゴミまとめるのも、スーツをクリーニングに出すのも、毎週俺」
しょうがないんだけどさ、と笑っているけど本当に疲れていそう。昨日、仕事が終わってから家に戻っていなくって、それでお酒呑んで大丈夫なのかな。
「暇な時期なんだから、仕事休んでもいいんだぞ。有休残っているんだろう?千夏も休ませて、すこしゆっくりしたらどうだ?」
徹の言葉に、大丈夫だと笑う。私だったら、休んでいいって言われたなら休むけどなぁ。
「正樹が休まないと、千夏だって一人で休めねぇだろ?」
「大丈夫だって。いいんだよ。ちゃんと二人で話しているから」
いつも笑っている正樹さんが、怒った?
イライラとした様子の正樹さんに、徹が困ったように溜息をもらす。
「お前がいいなら、いいさ。でも、倒れる方が迷惑だからな」
「……わかっている」
エビフライできたぞ~、と武人さんがキッチンから出てきた。凍り付いた空気に気が付いているんだろうに、何も触れない。エビフライと一緒にテーブルに出てきたのは、ピクルスに豚しゃぶサラダ。ブドウに梨。身体に優しい物、正樹さんの好きな物。なんだか、武人さんってお母さんみたい。
今夜は男性陣が泊るとかで、私と愛衣は7時前には引き上げた。さっきの徹と正樹さんの会話は気になるけど、そこはまだ私は踏み込んじゃいけないんだろう。
「千夏さん、平日のご飯って言ってたけど誘ってもいいと思う?」
愛衣が心配そうに呟く。毎週末実家に行くと言うからには、何かあったんだろう。疲れているのに、私達との夕食に付き合わせる事には、やはり罪悪感はある。それでも……。
「会いたい、よねぇ」
「……うん」
二人並んで、無言で歩く。駅が近づくことで道は明るくなるが、気持ちは沈んだまま。背中を蹴飛ばしてくれた千夏さんに、会いたい。今日ね、私のコンプレックスの元に会ったんですって訴えて、何だそれって笑い飛ばしてほしい。
「千夏さんに笑ってもらうと、何だか元気が出るんだよね。そんな気、しない?」
「……する」
まだ千夏さんがこんなに忙しくなる前、武人さんの家で時々愚痴をこぼしていたという愛衣は、私よりもずっと千夏さんに元気をもらっていた。カラカラと笑う千夏さんに会いたい。
「いつも元気をもらってばかりだからさ、なにか出来る事があればいいんだけど」
「うん。でも、千夏さん自分の愚痴とか言わないからねぇ。私達じゃ頼りにならないってことなんだろうなぁ」
「うん」
「何があったのかなぁ」
「うん」
週末ごとに二人で実家。話だけだと、おめでたい話題なのかという気もするけれど、正樹さんの疲れ方や話し方、皆の反応からもおめでたい話題ではない気がする。なんの解決策もなく、駅についてしまった。
なんだか、今日は残念な一日だった。
せっかく行った買い物ではアサミに会うし、千夏さんには会えないし、正樹さんにも何にも聞けなかったし。何より、愛衣にしたい話できなかった。愛衣の仕事はちゃんとすごいよって、伝えられなかったことが、寂しい。楽しいはずの土曜日が、残念な一日に変わったことが情けない。『変わらねぇなぁ』呟かれた徹の声が頭を回る。
本当に、変わっていない? 女同士の戦いは苦手だけれど、出来ることは増えている。愛衣に、ちゃんと伝えるぐらいは出来るんじゃない?
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