第37話 見守ることと守ること


「明日、来るよね?」


 別れ際の千夏さんの言葉に一瞬返事が遅れるが、愛衣とも約束をしている。いまさら行かないなんて選択肢はない。行きますよ、と笑ったつもりだがうまく笑えたのかは自信がない。千夏さんの微妙な表情からして、上手な笑顔は出来ていなかったのかな。


「自信を持つって、時間がかかるんだよ。それを見守るぐらいの器はあるヤツだから」


「……はい」


 わかっている。誰が何を言っても、愛衣が自分で納得しないと自信なんてものはつかない。数字に表れないから、なおさらそうだろう。自分は待ってもらっているのに、人の事だと焦れてしまった自分が情けない。これじゃぁ、駄目だよね。


「千夏さん、何時ぐらいからいます? 明日はヨガないので早く行こうかと」


「十一時ぐらいかなぁ。ゆっくり起きて、ダラダラ準備して、武人の家でご飯食べるんだ。修も大体そのぐらい。徹と愛衣ちゃんが来るのはお昼過ぎかな?家の事全部済ませてからくるみたい」


 金曜女子会して遅めに帰るから、土曜の午前中ぐらいしか家事できないんだろう。愛衣、毎週そんなんでいいのかなぁ。たまには二人でゆっくりしたいとか思わないのかな。武人さんの評価が下がった今は、『友達とワイワイやるのが好きな人』から『彼女の気持ちをあんまり考えない人』な印象になっているから人間って不思議だ。


「……私達にも、不信感?」


 私の顔はよっぽど正直ならしく、千夏さんが困った顔をして私を見つめる。ううん、不信感、というか……。


「私の周りでは聞かない話、かな?」


 そう。徹に聞いた時にも毎週はどうなのかと思った。でも、それが彼らの『普通』なのかと納得したんだけど、愛衣よりも長くお邪魔するのは流石に、ちょっと。武人さん、愛衣の気持ちはちゃんと聞いてくれているんだろうか。


「でも、明日はそのぐらいに行きますね。おすすめのおつまみとワイン持っていきます。」


 ちょっと早めに、一番に行こう。誰も居ない部屋で、武人さんに聞きたいことがたくさんある。




 少し迷ったけど、いつも通りに目覚ましをセットしていつもと同じように朝食を食べて化粧をし、洗濯物を干し、ついでに水回りを軽く掃除。一人暮らしの私の家の家事なんて、ちゃんと起きれればあっという間。やばい、暇になっちゃった。

 じっとしていると、昨夜の千夏さんの言葉が頭を回る。『今の愛衣ちゃんが仕事辞めても面倒見ないよ』

 ただただ自分を卑下している愛衣。そんな必要がない事は充分にわかっている。それでも、自信が持てなくて寄りかかりたくなる時があることも、知っている。出来る事なら武人さんに受け入れてほしいと思うのは、勝手な事なんだろうか。


「まぁ、人の生活支えるって、大変だよね」


 自分を納得させるための独り言。わかっては、いる。女だからと言って、彼氏に生活の面倒を見てもらおうなんて、図々しい。そんなこと、きっと愛衣だって望んでいない。





「由夏ちゃん?早いね」


 若干驚いた顔の武人さん。そうですよね、早いですよね。

 結局グルグルグルグル考えて煮詰まった私は、我慢ができなくていつもの出勤時間を少し過ぎた頃に家を出た。途中コンビニで買い物なんてしてみたけれど、武人さんの家に着いたのは九時を少し過ぎたばかり。何やってんだろ、私。


「すみません、いきなり……。買い物とかあったら手伝おうかと思って」


 まぁ、これは本当。買い物だけじゃないけど、毎回一人で準備は大変だろうから、少しぐらいはお手伝いをしようと思ってた。まぁ、かえってお手間がかかるかもしれないけれど。


「ああ、聞いてない?食材は宅配で届くし、酒は正樹と修が買ってくるんだよ。あとは各自自分で欲しい物買ってくる感じなんだ。まぁ、入って。これから作るから、手伝ってよ」


「ありがとうございます」


 かなり戸惑っただろうに、嫌な顔一つ見せずに招いてくれる優しい人。そうなんだよ、優しいんだよ、武人さん。だから、ショックだったんだろうなぁ。

 自分の気持ちを整理しながら、武人さんについて部屋に上がる。あれ?愛衣の彼氏の家に一人で来るって、私もかなりダメだった?リビングに入る手前で考え込んでしまい足が止まった私に武人さんは笑ってくれた。


「愛衣には、俺から連絡しておくから」


「すみません……」


 自分の想像力の無さが、申し訳ない。


「いいよ、手伝いに来てくれたんでしょう?まだ食材届いてないけど、簡単な物だけ作り始めているんだ」


 キッチンには所狭し、と広がる野菜達。これで、まだ食材届いていないんだ。毎週、どれだけ作るんだろう。会費制ってわけでもないみたいだったけど、武人さん負担なのかな?愛衣に聞いても『いらないって言ってた』と言われてしまったし。

 そんな余裕があるなら、と思ってしまう自分が卑しい。


「ピクルス作るから、適当な野菜切ってもらえる?」


「あ、はい」


 適当に好きな物切って、と指された場所に山となっている野菜から胡瓜と大根を取り出したが、どのくらい切ったらいいのかわからない。ええと、何人分だ?


「これに一杯になるぐらい、かな?」


 渡されたのは巨大なタッパー。これ、大根半分以上、胡瓜だって十本以上入るんじゃない?


「夕方くらいにならないと食べられないんだけど、毎回ピクルス人気なんだよね」


 笑いながらお酢と砂糖を混ぜている姿は、お母さんみたい。そういえば、一年前は料理教室なんてやったなぁ。


 武人さんに言われるままに、切ったり混ぜたりしているうちに食材も届いて、本格的な料理に代わり、私はすっかりお手伝いをする小学生。手がふさがっている武人さんに代わり、食材を袋から出したり冷蔵庫にしまったり。



「由夏ちゃん、さぁ。愛衣の仕事ぶり、気になる?」


 野菜を揚げながら、直球が飛んできた。


「……気に、なります」


「愛衣、仕事できないの?」


「そんなことないです。評価にはならないけど、愛衣に頼んだ仕事は正確だから、皆頼りにしてるんです」


 ムキになって身を乗り出した私に、武人さんは苦笑した。


「ありがとう」


「武人さんが、お礼言う事じゃないです」


「うん、でもありがとう。愛衣の事見ててくれる人がいて良かった。仕事できない子じゃないと思うんだけど、会社が違うとやっぱりわかんないからさぁ。俺が何言ってもダメなんなよね」


「……愛衣、武人さんに相談することもあるんですね」


 若干、武人さんに妬けてしまう私は心が狭いのだろう。


「相談っていうか、愚痴?ちょっと最近シンドイみたいでね。今日、その話で早く来たんでしょう?」


「……わかって、ました?」


「うん、まぁ。昨夜千夏から連絡来たんだ」


 ああ、それで。千夏さん、どこまで喋ったんだろう?


「愛衣が仕事に自信失くして悩んでるのを気にしているってことと、俺が愛衣の面倒見ないって言ったらすごくショック受けてたって」


 苦笑混じりの自己申告。聞きたかったこと教えてもらえてありがたいですけど、私そんなにわかりやすい顔してますか?


「由夏ちゃんからしたら冷たいって思われるかもしれないけど、俺は愛衣が言っていることってわからないんだよ。評価されないことが嫌なら配置変えとか、転職だってありだと思う。今の部署で役に立ちたいと思うなら、数字の評価が無くても目指すものはある。どちらも選ばないで自分を卑下しても前には進めないだろう?自分を卑下して仕事しているの見てるよりも、働きたくないから専業主婦になりたい!って言われる方がまだいいよ」


「そう言ったら、面倒見るんですか?」


 知らずに睨むような目つきになったことは、大目に見ていただきたい。


「ちゃんと、専業主婦になるつもりなら、ね。逃げ込むんじゃなくて」


 わかる?と続ける武人さんに何も言えなくなった。『専業主婦は大歓迎なヤツ』って昨夜千夏さんってた。大歓迎でも、仕事から逃げたら面倒は見ない、かぁ。


「居心地の悪い場所から逃げるって、そんなにダメな事ですかねぇ?」


「必要な時もあるって聞くけどね。でも、逃げっぱなしなわけにはいかない。逃げた先では、もっと大変な事がある。今の愛衣が、逃げるしかない状況だとは、思えないんだよなぁ。由夏ちゃんもいるし、人間関係とか会社自体の制度が悪いわけじゃないんだろう?」


 ああ、ちゃんと愛衣をみて、考えている。そう、決して居心地の悪い会社じゃない。若干古い体制ではあるけれど、一緒に働くのが嫌だと本気で思う様な人はいない。これって、すごい事だと思っている。


「まぁでも、本気で逃げて来たら、何にも言えなくなっちゃいそうだけどね」


 困ったように笑う姿に安心する。武人さん、本気で愛衣の事を考えているからの言葉だよね。表面だけを取って、こんな朝早く押しかけてご迷惑おかけしました。ごめんなさい、と素直に謝った私の口にピリ辛に炒められた砂肝が放り込まれた。ネギと一緒に炒められたそれは、甘辛くてとても美味しい。やっぱり、料理上手だよなぁ。


「武人さんの奥さんになって専業主婦は、可哀そうかも……」


 思わず口をついて出た言葉に、武人さんが本気でショックを受けたらしく床に座り込んでしまった。いや、その、と言葉を探す私に若干恨めし気な目をした武人さんがヒラヒラと手を振る。


「いいよいいよ。千夏にも言われるし、実は前付き合ってた子にも、それに近い事言われたんだ」


「……やっぱり」


 こんな時、上手い言葉が出てこないどころか、思わず本音が漏れてしまう自分が本気で嫌になる。再度言葉を探して目を泳がせている私に、笑ってくれる武人さんは、大人だ。


「そういうところ、由夏ちゃんだよなぁ。いいよ、気にしなくて。でも、俺料理作るの好きだけど、人が作ったものにケチつけたりしたことないよ」


 ええと、別に武人さんが愛衣の料理にネチネチ嫌味を言うとか思ったわけじゃなくて、ですね。腕の違いがありすぎて、自分の料理出すのちょっと嫌だな、とか思ってしまったわけです。努力はしますけど、得手不得手ってあるじゃないですか。


「平日でも時間があれば俺が作るし、休みの日は3食作るし」


 ブツブツと続ける武人さん。ん?平日? 


「最近ね、平日もここに居る事あるんだ」


「……愛衣に、武人さんがいて良かった」


 うん、ちゃんと愛衣を見て、考えて、癒しを与えてくれる。こんな素敵な人と一緒にいられるってすごく素敵な事だと思う。

 今は、私では愛衣の力になれない。


「そういってもらえると、照れるね。でも、愛衣は由夏ちゃんのこともすごく頼りにしているよ」


「そうだと、いいな」


「今は楽しそうに仕事している由夏ちゃんには言いにくいこともあると思うんだ。でも、それだけ。自分で整理出来たら、また由夏ちゃんを頼っていくと思う。何せ、俺が妬けちゃうぐらいに仲いいでしょ?しばらくは、俺に譲ってよ」


 カラカラと笑う武人さんに黙ってうなずいた。

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