第38話 よっぱらい
11時を少し回って、リビングのテーブルに料理が山盛りになったころ修さんがやってきた。500mのビールとチューハイが、それぞれ一箱。指先に引っかかっているエコバックには、サングリアだの焼酎だの。この人、実は酒屋で働いているんじゃないかと思うぐらいに軽々と持っている。
「すごい量……」
「ああ、こないだ途中から来たから最初の量見てねぇのか。この後、正樹と千夏も持ってくるぞ」
何を言っているのかと言わんばかりの顔に、一瞬、私の方がおかしいのかと錯覚するが、そんなことはない。いくら時間が長いとはいえ、7人でこの量はちょっと呑みすぎな気が……。
何か一つぐらい持ちますよ、と手を出したがあっさりよけられ、修さんは大量のお酒を持ってさっさとリビングに行ってしまった。
「ビールとチューハイ、冷やすの手伝ってくれよ」
「あ、はい」
冷蔵庫に入るんだろうかと心配していれば、部屋に並べられたクーラーボックスに次々と缶を詰め込んでいた。そういえば、こないだも飲み物はクーラーボックスに入っていたな。
「先に呑みたいもの自分で選んで、こっちに入れて」
武人さんが持ってきたのは、氷水の入った大きな鍋。なんか、お祭りみたい。アソートセットになっていたチューハイは、どれも甘そうでアルコール度数も低めのものばかり。こんなのも買うのかと思って一つ一つ眺めていれば、愛衣の好みだという。
「あんまり呑めないらしいけど、お茶飲んでるのも味気ないだろ?」
さらりと気遣い発言をしたが、千夏さんも私も甘いチューハイはほとんど呑まない。愛衣一人でこの量は……。チューハイは月に一回ぐらいしか買わないのか?
「正樹も呑むんだよ。なのに、自分では買ってこないでいつも俺が買ったのから選ぶんだよなぁ」
ううん、正樹さんですね。でも、確かにあれば呑むっていうのはあるかもしれない。手に取ったチューハイになんとなく惹かれて、鍋の中の氷水に泳がせる。次は、私も何か買ってこよう。
クーラーボックスが一杯になったころにやってきた正樹さんと千夏さんも、両手に一杯のお酒を持ってきている。ワインにリキュール、割りもの用らしき炭酸やらウーロン茶にウィスキーまで。かぶっていないってことは、一応担当が決まっているのかな。炭酸水だけ冷蔵庫に入れて、冷やさなくてもいいようなものは、部屋の隅に並べられた。種類も量も、下手な居酒屋よりもあるんじゃないだろうか。
「はい、とりあえず乾杯」
氷水から出されたばかりのチューハイはまだ冷え切ってはいないが、軽めでさっぱりした口当たり。昼呑み最初の一杯には調度いい感じ。
渡されたお皿には既に山のような料理が盛られていて、ソファーに寄りかかった千夏さんと並ぶ。ううん、居心地いい。これは、毎週来たくもなるよね。昨日は、愛衣が嫌がってるんじゃないかとか、恋人と一緒に過ごせる週末を毎回友達との宅呑みに充てるってどうなの、とか思っていたのに。自分でも勝手だと思うが仕方がない。これ、楽しい……。
「遅くなりましたぁ」
愛衣が顔を出したのは、12時を少し過ぎた頃。駅で一緒になったという徹に続いてリビングに入ってきた。肩にかけた大きめのトートバックを寝室に放り込み、クーラーボックスからチューハイを取りだして私の横にちょこんと座る。その姿が可愛くて、思わず抱きしめた。
「由夏?もう酔ってるの?」
「……そうかも」
私はお酒が好きだが、強い方じゃない。お茶を飲みながらゆっくりと呑んでいたつもりだったが、自分で思っている以上に酔っているのかもしれない。
「そっかそっか」
クスクスと笑いながら愛衣が私の背中を叩くのが心地いい。
そこから先は、ところどころ記憶が飛んでいる。皆でテレビを見ながら、好きな芸能人やら食べ物、行ってみたい場所の話なんかもした。正樹さんや修さんは女子トークにガッツリ絡んできていたけど、徹と武人さんは何やら二人で別の話をしている。窓から入り込む光が紅くなってきたころ、このまま居たら寝ちゃうかも、と思ってまだ呑んでいる人たちを置いて先に帰ってきた。まだ日が暮れる前なのに赤い顔で帰るのがちょっと恥ずかしかったのに、次の記憶は家の中。そう、気がついたら家にいた。ううん、お酒って怖い。
着替える事もなく少し眠り、目が覚めると外はもう真っ暗だった。
昨日買っておいたジャスミン茶を取り出しテレビをつければ、バラエティ番組には千夏さんが好きだと言った芸人が出ている。さっきはあんなに盛り上がったのに、一人で見ても全然面白いと思えないのだから、人間って不思議だ。にぎやかな経験をすると、寂しがり屋になるのかもしれない。
テレビを眺めながらも、頭には武人さんの言葉が回っている。
『自分を卑下しても前には進めない』『逃げた先には、もっと大変なことがある』
愛衣が、自分を卑下する事が悔しい。愛衣は、逃げる必要なんてない。それをうまく愛衣に伝えられない自分が情けなくて悔しくて、黙って見守る武人さんを尊敬する。
ジャスミンティーを飲み切るころには酔いもさめてきた。愛衣は、自分でちゃんと考えている。私には言わないけど、ちゃんと頼る人がいて、居場所もある。私の事を嫌っているわけではなくて、今必要なのは、私ではないということ。自信を持つのに時間がかかるのは、よく分かっている。時間のかかり具合では、私は愛衣よりもずっと上だ。
少し寂しいけど、今の愛衣は私から何か言われるのは嫌なんだろう。自分が待ってもらっているのだから、今は愛衣が結論を出すのを見守りたい。武人さんのように、見守る器を持ちたい。
徹も、私の事をこんな風に思ってくれていたんだろうか。そうだとしたら、私はとても幸せなのだろう。
まだ携帯に残る徹の名前。電話をかける事もメールを送ることもないのに、一番見ている名前。電話番号もアドレスも知っている、いつでも連絡が取れる。それだけでいいと思っていた。名前を見るだけで、安心できた。それは、私にとって徹の存在が大きいから。じゃぁ、徹にとっては? 徹は私に、何を望んでいるんだろう。まだ、女として見ているんだろうか。ちゃんと知りたいのに、知りたくない。聞きたいのに、いつでも聞けるのに、聞けない。
徹が私に何を望んでいるのか知っても、きっと私は変われない。だから、聞けない。
「情けない、なぁ」
まずは、私の気持ちをはっきりさせなきゃ。
自分の気持ちを整理するには紙に書きだすのがいいって、以前テレビで見たことがある。ちょっと、試してみるか。不要なノートやメモ帳なんてないので、とりあえずパソコンを起動して、思いつくままにキーボードを叩く。
面倒見のいい兄貴
今、一緒にいる事は楽しい
気まずくなってしまうのは、嫌
人の多いところで、隣に並ぶことは緊張する
徹に集まる他の女の視線が、怖い
人の視線を気にするのはもう嫌だから、隣に並びたくない
近くにいたい
私以外の女性が隣に並ぶのは、本当は嫌
徹の側に行けなくなる事はもっと嫌
ここまで書いて、自分で呆れた。近づけない癖に、側にはいてほしいのか。
私は、拒絶されることが怖いんだ。徹にも、その周りの人にも。お前なんて釣り合わないよ、と言われて笑われている気がして、怖い。
自分が望んで隣に行って、受け入れてもらえなかったらもう今のようには一緒にいれない。だから、動けない。失くしたくない。
情けなくて、卑怯な自分に、やっと気が付いた。
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