第33話 幸せ報告


「う~ん……」


 メールボックスに入っていた葉書。郵送で届くものなんて広告DMがほとんどだから、メールボックス自体めったに開けることもない。週末の朝、1週間分のDMを全部バックにつめて出勤し、会社で眺めてそのままゴミ箱へいれてしまうのがいつもの流れ。それが、なんで……。


 『結婚しました』のメッセージ付きの写真。幸せそうに笑う新郎は、1年ほど前に別れた彼だった。なんで、こんなの?と思えば仲良くケーキカットをしている花嫁、見た事がある。

 彼の学生時代のサークルで一緒だったという女性。彼に誘われて参加した飲み会にも何度か来ていた。明るくて、サバサバしていて元気な女性。たしか、年上の彼氏がいるって聞いた気がする。


 いいんだけどさ。別れたんだから、誰と付き合っても、結婚しても。でも、わざわざこんな葉書送ってこなくてもいいんじゃないかなぁ?傷つけられたんだから、見返してやる、幸せだぞ、いいだろう!ってこと? 

 う~ん……。

 どうしているかなぁ、って時々気にしてたけど。元気だといいな、次のヒト見つけて幸せだといいなぁって思ってたけど。


 なんだか、なぁ……。




「これ、女がやったんじゃない?」


 熱帯夜の続く都会のビアガーデン。社内のゴミ箱に捨てるのもどうかと思い、毎週恒例の女子会に持ってきてしまった葉書。男前ジョッキに後押しされて思わずテーブルに出してしまった葉書はあっという間に千夏さんに取り上げられた。いつもにこやかな愛衣の額によった皺。私の為に怒ってくれている人がいるって、ありがたい。

 ああ、なんだかやりきれなかった気持ちが落ち着いてきた。


「相手の女は、私の住所知らないと思いますよ」


 そもそも、元彼ですら正確な住所を知っているか微妙だ。家には何度も来たし、最寄りの駅名とか、町名ぐらいは知っているだろうけど、彼は私に年賀状すら書いたことはない。住所を紙に書くなんてできるんだろうか。


「そういわれてみれば、私も正樹と別々に住んでいたときは、お互いに住所までは把握してなかったかもなぁ。愛衣ちゃんは?武人の住所、言える?」


 少し考える素振りを見せて、フルフルと首を振る愛衣。まぁ、普通はそうだよね。


「彼がやったにしても新しい彼女がやったにしても、もう関わるなってことかと思うんで放っておきます。気分は悪いですけど、関係のない人だし」


 忘れます、と笑う私に溜息をつく千夏さんと愛衣。

 彼がやったなら、小さい男だ。新しい女がやったなら、自信のない女だ。そう笑う私に、「強くなったねぇ」と笑ってくれる。



「自信の無さなら、私に勝てるヒトはそういません。自信のない私は、自信のないヒトに優しいんです」


 『捨ててあげようか?』と言ってくれた千夏さんを丁重にお断りして、家まで連れ帰ってしまった葉書。改めて見ても、彼は幸せそうに笑っている。私には、出来なかったこと。彼女が、叶えてくれたんだ。


「良かったね……」


 こんな葉書でも彼の幸せを喜べるのは、少し強くなれたということだろうか。


 彼と別れて、徹の元にもいかずに踏ん張った、と思う。

 千夏さんは、一人で過ごす週末の極意とやらを教えてくれた。おかげで、一人で呑みにも日帰り旅行にも一人でどんどん行けるようになった。

 愛衣はヨガに誘ってくれた。ガチガチだった身体も随分柔らかくなって、一緒に心まで柔らかくなってきた気がする。

 毎日楽しいかも?なんて思い始めた所に届いた葉書。気分のいい物ではないけど、今ならちょっと溜息をつく程度で忘れられる、はず。

 我ながら、この一年で強くなったもんだと思う。





「由夏ちゃんが、いい女だってことだよ」


 ニコニコと笑いながら料理を取り分けてくれる武人さん。

 引きずっていたつもりはなかったのに、週が明けても時折溜息をつく私を心配した愛衣が、武人さんとのご飯に誘ってくれた。邪魔しちゃ悪いから、と一応遠慮してみたんだけど、武人さんチョイスのお店が気になって『ご飯だけ』と甘えてしまった。


「いい女、ですか?」


「そう。どっちが送ったにしてもね。別れてるのに気になるのは『いい女』だからだよ」


「武人さんらしいですねぇ」


 『いい女』なんて自信があれば、きっと笑って済ませられる。元カノを気にするなんて小さい男、情けない女だ、と。そう思うのに笑えないのは、葉書を送った気持ちがわかるから。

 彼がやったのなら、悔しかったんだろうな。新しい彼女がやったのなら、『私の方が上なのよ』っていうことかな?

 どちらにしても、私に対しての悪意。幸せ一杯の葉書に込められた悪意に、灰色の気持ちが胸に広がっていく。悪意を向けられるだけのこと、しましたから。



「『俺幸せだから、もう気にしなくていいよ』って事にしておかない?」


 なんと……。

 いくらなんでも、それは無理があるんじゃないなかなぁ、と思うのにニコニコと笑う武人さんを見ると、上手い言葉が見つからない。


「相手の真意なんてわからないんだから、都合よくとっておけばいいんだよ。もう会わないんでしょう?」


「会わないですけど……」


 確かに真意はわからない。それでも、それはいくらなんでも図々しくないだろうか。


「嫌な思い、させましたから」


「3年も付き合ってたんだったら、お互い良い思いも、嫌な思いもしたでしょう? 由夏ちゃんにそんな小さい男だったと思われていたら、彼かわいそうじゃない?」


 確かに、誰かと付き合えば嫌な事も良い事もある。でも、限度ってあるでしょう?


「そこまで罪悪感持つほど悪い事してないと思うけどなぁ。徹とは何もなかったんでしょう?久しぶりに会った幼なじみと遊ぶのがそれほど悪いとは思わないし……」


「武人さん、愛衣が同じことしてもそれ言えます?」


「……幼なじみが徹だったら、嫌だね」


 ちょっと、言ってること全然違うし。


「嫌だけど、別れたりはしないよ。幼なじみに会うなとは言えないから、俺も一緒に付いていくかな?こっちも友達連れて。みんなでワイワイ、これなら嫌じゃない」


 武人さんなら、やりそう。カラカラと笑う武人さんを見てると、元気が出てきた。


 改めて、葉書に写っていた幸せそうな笑顔を思い出す。うん。マイペースで、空気も読めなくて、でも人に嫌がらせするようなヤツじゃないことは、良く知っている。

 幸せ報告ってことに、しておくか。




「ご馳走様でした。すみません、急にお邪魔したうえ、ご馳走になってしまって」


「どういたしまして。週末、何食べたい?」


 ニコニコ笑った武人さんから、とんでもない言葉が飛び出した。週末って?


「土曜日、何食べたい?」


 もう一回言った。ええと……。


「今週は、ヨガのレッスンがあるので。また今度、で」


 よし、このまま笑って逃げよう、いや帰ろう。


「夜までダラダラしているから終わってからでも大丈夫だよ。何食べたい?」


 いや、あの……。

 いつも穏やかに笑っている姿にすっかり油断してたけど、やっぱり武人さんも徹や正樹さんの友達だ。


「元彼も幸せそうだし、そろそろいいんじゃない?」


 いいって、何が? 罪悪感だけで離れていたわけじゃ、ないんですけど。

 恨めし気に見上げる私に、笑顔を崩さない。武人さん、手強い……。


「まだ、ちょっと……」


 一人でいることにも慣れたし、卑屈にならずに千夏さんと一緒にいることぐらいはできるようになった。それでも、徹の側は、まだ……。


「愛衣が由夏ちゃんに元気になって欲しいって思うなら、それには協力する。でも、俺は徹の友達でもあるんだ。そろそろ、よくない?」


 ええと……。


「徹に、会いたいとは思えない?」


「……」


「まぁ、考えてみてよ。由夏ちゃんの好きそうなもの作って待ってるから」


 迷う私に、引いてくれた。優しい人では、あるんだよね。





 自信が持てたら、自分から徹の側に、と思っていた。そうなりたいと、思った。

 それでも、なかなか性格なんて変えられない。この一年で、強くなったと思うけど、徹の側には行けなかった。どうしたいのか、なんて自分でもよく分からない……。




「自信、ねぇ。そんなもの、つけようと思ってつくものじゃないよ」


 カラカラと笑う千夏さん。そりゃぁ千夏さんは、なんて卑屈な気持ちが口をついて出るのを必死で抑える。

 正樹さんの横に並ぶのが嫌だったなんて、嘘じゃないかと思うぐらいにいつも楽しそうに正樹さんの隣にいる。楽しそうな姿に、憧れる。


「由夏ちゃんに必要なのは、勢いかな?あとは、妥協?」


「妥協、ですか?」


「そう。徹に釣り合うように、なんてものすごいハードル高いって知ってる?そんな高いところ目指すより、『まぁいいか』って大事だよ」


「はぁ」


「それに、徹は全然気にしてないしね。何人か元カノ知ってるけど、別にすっごい美人じゃなかったし、バリキャリってわけでも、女子力がすごく高いわけでもなかったよ?」


 『すっごい』はつかなくても美人なのでは?私が噂で聞いた徹の歴代彼女は、綺麗な子ばっかりでしたけど……。


「なんでもできるヤツの隣に並ぶのには、同じぐらいできなくちゃいけない、なんて事はないでしょう?仕事も遊びも、あの人たちは尋常じゃないから真似しようと思ったら倒れちゃう。適度に距離取って、学べるところは学んで、自分が楽しめそうなところだけ参加すればそれで充分」


 一理あるかも……。

 負けず嫌いの徹が影でしている努力は尋常じゃなかった。それを見てるからこそ、自分の努力不足が情けないと思っていたけど、あれ、真似しようと思ったら倒れるかも……。


 う~ん……。

 『まあいいか』かぁ。

 幼なじみとして、なら。昔はこのままの私で隣にいたし。

 一年たったし。

 徹、もう彼女いるかもしれないし。

 『まぁ、いいか』


「ヨガが終わったら、お邪魔しようかな。夕方でも、千夏さんまだいます?」


「夜までいるよ!何食べたい? 武人に連絡しておく」


「暑いから、サッパリしたものがいいかな」


「わかった!武人に張り切ってもらおう!」


 千夏さんも愛衣も、もう料理習う気ないんですね、と笑えば悪びれなく『武人に任せた方が美味しい』と言い切った。それ、言っちゃダメなヤツです。

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