第28話 待つ

 自覚した恋心。情けないことに、焦って結果を求めて空回りに終わってしまった。

 俺の言葉に怯えた顔の由夏。抱き寄せれば、今までにないぐらいに固くなる身体。俺が望んでいるのは、こんな由夏ではない。


 俺は、何が望みなんだろう。


 部屋を出たときには、すでに電車が動いている時間ではない。車で20分、歩いたらどの位かかるのか。


 歩きながら思い出すのは、子供の頃の由夏。

 無鉄砲で、好きなことしかしなくて、嫌なことからはひたすら逃げ回っていた。

 いつも、由夏の後始末は俺の役目。

 そうしているうちに、後始末がうまくなって、苦にならなくなった。

 由夏も、自分でできないことは俺を頼るようになって、それが少し嬉しくて。

 自分の気持ちをうまく言えない由夏に変わって、俺が由夏と周りのヤツらをつないでいた。


 由夏が、笑ってるのが嬉しかった。

 それは、由夏のためなんかじゃなかったんだ。


 こんなに時間がたってやっと気づいた。俺の望みは、由夏を側に置きたい、誰にも渡したくない。俺だけを頼って欲しかった。くだらない子供の独占欲。


 『彼氏』から由夏を取り戻したい。これで兄貴だなんて、我ながら良く言ったもんだ。


「嫌われちまったな」


 こらえきれなかった独り言を、静かに闇が飲み込む。



 月曜日、始業よりもかなり早い時間に出勤し、人の雑用までも片付ける。何も考えずに済むように。

 仕事の速度が上がったせいか、俺に割り振られる仕事がどんどん増えていき、修まで俺に雑用を押しつけるようになってきたが、残業すら歓迎したい今の俺は全て黙って引き受ける。


 眉間に刻まれた皺は、日に日に深くなっていった。


「徹~、最近怖いって評判だよ?」


 ヘラヘラ笑いながら、ついでに、と言わんばかりに仕事を回そうとしてきた正樹を睨むが『あ、ダメだった?』なんて笑っているのを見ると、気が緩む。気付けばつられて笑っていた。

 昨日まで千夏は出張だったとか、聞いたような気がする。


「帰りたいなら、置いていけ。やっといてやる。どうせ俺は、まだ帰れねぇからな」


 俺の言葉に元々大きめの目がさらに大きく丸くなる。なんだよ、押し付けようとしていたくせに。


「やっといてやるから、早く帰ってやれ。千夏、待っているんじゃねぇのか?」


 書類を取り上げて、シッシッと手で払う真似をすれば、困った顔で笑う。


「いいよ。千夏は、大丈夫。そんなマジになんないでよ。最近、徹仕事しすぎ」


「……そうか、なら、自分でやんな」


 正樹から目をそらして、PCに向かう。離れた席から、キーボードを打つ音だけが響く。終わるのは、おそらく俺のほうが遅いだろう。


いつも笑っている正樹に武人。心配そうにオタオタしながら様子をうかがう修。

ありがてぇなぁ、なんてガラにもないことが頭をよぎった。



「終ったぁ~。さ、徹も帰ろう。それ、急ぎじゃないんだろ? 」


「ああ?仕事残して帰るなんざ、しねぇよ」


 軽く睨んでみるが 『いいじゃんたまには』と笑う正樹にPCを落とされ、無理やり帰り支度をさせられれた。

 会社の地下にある居酒屋に、二人でカウンターに並ぶ。こんな予定じゃ、なかったんだがなぁ。


「で、アニキにもカレシにもなれなくて、凹んでるの?」


 返事もしない俺を肯定、と取ったのだろう。カラカラと笑いながらビールを飲み干す。言いたいことをハッキリと言うコイツの言葉、普段なら嫌いじゃねぇんだがなぁ。


 今日は。

 由夏の、事は。


「千夏から、伝言。『弱者の気持ちを思い知ったか』ってさ」


 そういや、昔正樹にも千夏にも、きついこと言ったような気もするなぁ。

 もう、何を言ったのかも覚えていねぇけど。


「悪かった、って、伝えといてくれ」


「自分で言えばぁ? 週末、千夏も一緒にご飯行こうよ。なに食べたい?」


「……」


 行かない、という選択肢は、俺にはないだろうな。

 昔の千夏は、由夏に似ていた。会いたく、ない。自分がこんなに女々しいなんて、思わなかった。



「ねぇ、徹?昔言われたこと、そのまま返していい?」


「あぁ?」


「由夏ちゃんが、いいの?他の女じゃ、ダメなの?」


「さぁ、なぁ……」


「徹らしいねぇ」





「徹~、久しぶり!」


「ああ。正樹、まだ仕事終らねぇんだ。先に呑んでていいって」


 かなり策略的に、俺は定時に会社を追いだされた。仕方なく、待ちあわせの店で一人呑んでいれば、仕事を終えた千夏が先に来た。正樹抜きで、千夏と二人。千夏と由夏が重なる。

 由夏が飲みこんだ想いを、千夏から聞かされるんじゃないかと思うと、落ち着かない。


 まだ、覚悟が出来ない。


「……徹?聞いてる?」


「あ? ああ、悪い。聞いてなかった」


 何を話していたんだか、気がつけば、千夏の手元のジョッキは空。次は? とメニューを差し出せば、笑われた。


「悩んでますねぇ、徹さん」


「別に、悩んでるってわけじゃねぇがな」


 悩むっていうのは、どうしていいのかわからず、答えが出せない時の事だろう。俺は、答えがわかっている。無理なものは無理、なんだろう。

 わかって、いる。


「正樹から、聞いてはいたんだけど、ここまでとはねぇ。徹は何でもできて、自分の気持ちの切り替えもうまくて、人の気持ちを察して先回りしてくれる。そういうところ、本当にすごいと思う。でも、もっと、我儘になっていいと思うよ?我儘に、自分のしたいことしてみたら?」


 したいことをしたい、と言った時、兄貴でなくなった俺に、怯えていた。その時の事を話せば、千夏がカラカラと笑いだした。


「それ、ちょっと違うと思う」


「違う?」


「そう、怯えてたんじゃなくって、ビックリしたんじゃない?つりあわないって思って、隣に立つのも気が引けていた徹。でも、頑張って、妹として、幼なじみとして、やっと隣に立ったのに。ちょっと前進したら、いきなりそんな事言われて、ビックリして言葉もでなかった。それだけだと思うよ。徹は人が本気で嫌がることは、絶対しない。由夏ちゃんも、知っているでしょう? 怯えるわけないじゃん」


「……」


「皆が皆、瞬時で判断、回答、が出来るわけじゃないんだから。相手の気持ちを察して先回りして、代わりに答出しちゃうよりも、すこし、待ってあげたらいいんじゃないかな?由夏ちゃんが、どうしたいのか答えを出せるまで」


 ああ、そうなのか。


「正樹は、お前さんが答えを出すのを、待ってたなぁ」


 楽しそうに、嬉しそうに、悲しそうに、千夏の行動に一喜一憂していた正樹を思い出す。

 いつも、楽しそうだった。

 いつも、つらそうだった。


 それでも、千夏の言葉を待っていた。


 もう待てない、と言ったときでさえも、選ぶのは千夏。

 正樹はただ、千夏の選択を待っていた。


 情けねぇヤツ、と当時の俺は思っていた。でも、今はその懐の深さに感動すら覚える。俺はまだ、由夏から嫌だと言われたわけじゃぁなかったな。


「あの頃、正樹に嫌な思いさせて、ごめんね」


「……謝る相手は、俺か?」


「正樹には、謝った。あの頃、みんなもこんな気持ちで見てたんだなぁって。大事な友達に、嫌な思いさせてごめんねぇ」


「……」


「正樹は、ねぇ。いいヤツだよぉ。私には、もったいないぐらい。だから、由夏ちゃんの気持ち、少しわかるんだぁ。私も、自信なんかない。正樹の事が好きって言う、可愛い女のコが出てきたら、譲っちゃうかも?」


 少し赤い顔をして、千夏が呟く。


「正樹は、お前以外はいらねぇよ。安心しな」


 そうだ、千夏よりも、俺の方が知っている。正樹が、どれだけ千夏を欲していたか。千夏が驚いたように俺を見上げ、嬉しそうに微笑む。


「ありがとう」



 仕事を片付けた正樹が合流したのは、かなり遅い時間になってからだった。


「徹の仕事、引き受けたのはいいけど、終わらないんだよねぇ。最後、武人に押し付けてきちゃった」


 ぐったりとした正樹をみて、二人で笑って呑みなおす。終電前には解散、帰る頃には正樹は元気になっていて、千夏と手をつないで帰って行った。仲が、いいな。



 目が覚めると頭が痛い。そんなに呑んでねぇんだけどなぁ。昨夜の千夏の言葉が、痛む頭をグルグル回る。


「散々俺が待っていたこと、知ってるのかよ」


 部屋で一人、悪態をついてみても、なにも変わらない。ここまで捨てきれなかった想いを、簡単に捨てることなんてできない。由夏がどう思おうと、俺が納得できないのなら、先には進めない。俺は俺が納得できるのを、待つしかねぇんだろうなぁ。



「俺が納得するまでに、由夏の答えが出てりゃぁいいけどな」


 アイツは、迷う。自分の気持ちに正直に、っていうのが苦手なヤツだ。迷って、悩んで、答えを出すのに時間がかかる。そうやってアイツが出した答えを、聞きたい。

 それは、兄貴としてか男としてか。

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