岬け家訓第21条『秘密は流せばみつになる』
「ンンンン! これにて全150条!
頭の中でそう声がして、わたしはがばりと飛び起きる。
びっしょりと汗をかいていたせいで、ひじがすべって机の上にあごをぶつける。
ここは……「7-1」組。その机のひとつに、わたしは有名な彫刻『考える人』みたいなかっこうで、座ったまま意識を失っていたらしい。
そして、目の前には満面の笑みのイッペンさん。
そのとなりには不安げな顔つきをした、1年生の「死神つき」、田中怜央くんの姿もあった。
ええっと……たしかお昼休みに、怜央くんとばったり出会って、立ち話もなんだから、って変な理由でこの教室に入って……そこから記憶がない。
「イッペンさん、なにかしましたね?」
怜央くんがこんな悪いこと(たぶん)を思いつくはずがない。
そうなれば、当然、犯人はこの死神以外にありえない。
なんといっても、イッペンさんは催眠術を使えるのだ。
わたしの記憶が飛んでいるのも、きっとそのあやしい術のせいにちがいない!
「ンンンン! 岬け家訓第21条!」
「『秘密は流せばみつになる』!」
21条はまだ教えてもらっていない……えっ!?
イッペンさんにびしりと指をさされると、わたしは知らないはずの家訓を、反射的におおごえでとなえていた。
「良好、良好。完成まであとすこしですなあ!」
な、なに?
わたしは勝手に受け答えをした自分の口を、おそるおそる指でつねる。
わたしの意思とは無関係に、わたしの知らない家訓をとなえる。
まるで、わたしの中に、まったくべつの何者かが、入りこんでいるみたいで……ぶきみだった。
「優依おねえさん……」
怜央くんがこわごわ、わたしの目をのぞきこんできた。
「ごめんなさい。イッペンさんに、お願いされて……」
「ううん、だいじょうぶ」
たぶん……だけど。それより……。
「イッペンさんが、わたしになにをしたのか、教えてくれない?」
「う、うん」
怜央くんの説明はこうだった。
怜央くんを使ってわたしをここに誘い出すのが、イッペンさんの計画だったらしい。
イッペンさんは案の定、怜央くんを言葉たくみにだまし、わたしにサプライズをしたい、みたいなことを言っていたらしい。
それを信じた怜央くんは、わたしをこの教室までつれてきた。
教室に入ると、イッペンさんはいきなりわたしに向かってパン! と手をたたいた。
それで、わたしの意識はとだえた。
怜央くんにやったのと同じ、催眠術だ。
イッペンさんは意識を失ったわたしを机に『考える人』のポーズで座らせると、ぶつぶつとなにかをつぶやきはじめたという。
おどろいた怜央くんは、変なことはやめてほしいとイッペンさんを止めようとしたそうだけど、まあ、そんなことで止まるようなひとじゃないことくらい、わたしにもわかる。
直接は話してくれなかったけど、よく見れば、怜央くんの目が赤い。
きっと、必死に、イッペンさんを止めようとしてくれたんだ。
それで、イッペンさんの猛烈な反撃にあって、泣かされちゃうくらいに。
時間にして十分ほど。イッペンさんはわたしの耳元でなにかをつぶやき続けた。
そして、わたしが目を覚まし、今にいたる……。
なるほど……なんとなく、わかってきたぞ……。
「岬け家訓第4条!」
わたしは逆に、イッペンさんにびしっと指を向けてそう声を張り上げた。
「ンンンン! 『きみの後ろに黒い影』!」
やっぱり……前からそんな気はしてたけど、イッペンさんは岬けの家訓を知っている。
つまり、イッペンさんがわたしに行ったのは、催眠状態での、「すりこみ」だ。
無意識のわたしに、岬けの家訓を話して伝える。
すると、わたしは自覚のないまま、家訓を覚えてしまう、という寸法だ。
こんな便利な方法、ふつうに考えて、ありえない。
だって、そんなことが可能なら、みんな暗記はばっちりできるようになるはず。
だけど……わたしにかぎっては、家訓だけは、それが可能なのだ。
暗記はそんなに得意じゃないはずなのに、家訓だけは、いちど聞いたら絶対に忘れない。今までずっと、そうだった。
問題は、なぜイッペンさんが、わたしのこの体質のようなものを知っていたのか、ということ。
……いや、ちがう。
なぜ、わたしは、こんなふうに家訓を覚えられる?
わたしは、いったい、なんなんだ?
「ンンンン……お嬢様、準備は整いました。では、参りましょう」
半分、気を失っていたわたしに、イッペンさんはうやうやしく手をさしだす。
「まだ脱落者はひとり。これではたりません。さあお嬢様! これから! 本当の! 戦いを! はじめましょう!」
岬け家訓第2条『けんかはやめとけお腹がすくぞ』……いや。
岬け家訓第144条『勝てる戦い捨てるべからず』。
知らないはずの家訓が、頭の中でぐるぐるしている。
わたしの意識は、だんだん、どんどん、ぼんやりしていく。
「優依おねえさん……?」
怜央くんの声で、わたしははっと正気づく。
危なかった……あともうすこしで、底のない穴に落ちてしまいそうな、そんな感じだった。
「これはこれは。呪言の影響が想像以上に弱い。お嬢様は、
「怜央くん、ちょっと、手伝ってくれる?」
わたしは立ち上がろうとして、転びかける。
平衡感覚がかなりなくなっていて、ずっと目が回っているみたいだった。
怜央くんがあわててわたしをたすけ起こしてくれる。ありがとうとお礼を言って、肩をかりて立ち上がる。
ふらふらとする4年生のわたしのほうが、1年生の怜央くんより身長も体重も上だ。
それでも怜央くんは懸命に、わたしを支えてくれた。
「とりあえず、ここを出よう」
わたしの言葉にうなずいた怜央くんといっしょに、教室のドアまで歩く。
イッペンさんが、小さく、つぶやく。
「ナナ」
ドアにふれて、開けば、4年生の教室のある廊下に出る……はずだった。
だけどわたしたちが出たところは、きのう蒼馬先輩といっしょにおとずれた、石造りの旧校舎の中だった。
「え! どこ、ここ?」
はじめて見る光景に、怜央くんは困惑して、動揺する。
「だいじょうぶ。旧校舎の中だよ」
なのでわたしは、自分の動揺を悟られないように気をつけながら、ひとまず怜央くんが安心できるように説明した。
「うわっ! なんだよきみたち! どうしてここに?」
いきなり声をかけられ、怜央くんが悲鳴をあげてわたしに抱きついてくる。
たしかに突然知らない場所に飛び出して、こんなふうに声をかけられたら、そりゃあびっくりするよ。
でも、わたしはよろけながら、だいじょうぶだよと怜央くんをぽんぽんたたく。
「ゴーナ。ちょっと変なことになってて……」
旧校舎の廊下のすみで、いじけたように座り込んでいたのは、蒼馬先輩の死神だったゴーナだった。
「ふうん、あのペテン師、いよいよ強硬手段に出たってわけねえ」
わたしがさっき起こったことを説明すると、ゴーナは思いきり顔をしかめた。
「ねえゴーナ、あなたも、いろいろ知っているんでしょ?」
「知っているけどね、教えてはあげられないよ。優依くんの安全のためにね」
「どういうこと?」
「ぜんぶを知って、理解してしまったら、その時点で、優依くんはただ目的を果たすためだけの道具と化してしまう……って言っても、信じられないだろうけどさ」
「わたしは……道具なの?」
「ヒヒヒ……それはちがうよ、優依くん。きみはまだ、ちゃーんと人間だ。きみを道具にしてしまわないように、レーコが必死になっているんだよ」
「レーコさん……」
わたしは……やっぱりまだ、レーコさんをゆるせない。
レーコさんが、わたしを守ってくれようとしてくれているのは、信じられる。
だけど、だからといって、わたしになにも伝えずに、ひとりでぜんぶ背負いこむのは……ちがうと思う。
だって、わたしとレーコさんは、パートナーだから。
わたしがレーコさんを信じてるのに、レーコさんがわたしを信じてくれないんじゃ、この関係は成り立たない。
たとえ、話してしまうことでわたしが危険な目にあうとしても、それもふくめて、レーコさんがわたしを守ってくれるって、信じてるのに。
「ああ! まだるっこしい!」
「ニア、うるさいよ」
かつかつと足音をひびかせながら、ふたりの声がこちらに迫ってきた。
「岬優依、だな」
まず現れたのは、黒いスーツをおしゃれに着くずした、若い男のひとだった。
「まってよニア。あっ、どーもです。おれ、2年1組の
ウイーと明るくグータッチをしてくるのは、怜央くんよりすこし背が高い男の子。
ただその雰囲気はむだに明るくて、この短い間にはやくも苦手意識がめばえそう……。
かんたんに言うと……チャラい? そんな感じ。
「んで、こっちはおれの死神のニア。いいやつなんで、なかよくしてやってください」
「なかよくするひまが、あればいいんだがな」
ニアさんはしかめっ面で、わたしを見下ろしてくる。
「岬優依、単刀直入に言う。きみはこのままだと……」
ちらりとゴーナを見るニアさん。
ゴーナは肩をすくめて、どうぞと先をうながす。
「死神に、なってしまう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます