岬け家訓第137条『かしこいものは危険を知るもの』

 洞窟に入ったみたいだった。

 いや、じっさいに洞窟に入ったことはないんだけど……とにかく、雰囲気としては、そんな感じだ。

 行き先もわからず、ただ深い深い、暗い道を進んでいく……。

 旧校舎の中を歩くわたしは、両手で緑ちゃんと美砂ちゃんの手をにぎっていた。

 石畳のような廊下。ものは散乱していないけど、転んだら危ない。

 そんな中で両手の自由を手放すのはどうかと思ったんだけど、まず美砂ちゃんが左手に飛びついてきて、その手が震えていたものだから、振り払うわけにもいかなかった。

 その気持ちはよくわかる。

 洞窟に入ったみたいだと思ったのには、もっと単純な理由がある。

 こわい……。

 得体が知れない空間。光もほとんど届かない。そして、ものすっごく古い。

 いきなりおばけが飛び出してきても、全然ふしぎじゃない。

 まあでも、わたしたちは死神つきでしょ? っていう反論は受けつけません。

 レーコさんたちは死神で、たしかにおばけみたいなものだけど、話は通じるしとても大切なともだちだ。

 だけど旧校舎に立ちこめる空気は、そんな生やさしいものではない。

 単純に、もっとおっかない。レーコさんたちは、なんだか浮世ばなれしてる感じがする(じっさい宙に浮けるしね)けど、ここはかつて使われていた校舎。

 石造りの冷たい建物の中なのに、なぜだか、とてもなまなましい気配がする。

 だから次に右手を緑ちゃんににぎられ、その手がやっぱり震えていたときも、振り払うことはできなかった。

 こわごわ進むわたしたちをよそに、先頭をいく蒼馬先輩はスマホのライトで足もとを照らしながら、慎重に、だけど大胆にずんずん進んでいく。

 わたしたちは置いていかれないように、必死に蒼馬先輩の背中を追いかけた。

「ぎゃふっ」

 ふと、蒼馬先輩が立ち止まる。それに気づかず歩き続けていたわたしは、蒼馬先輩の背中に顔をぶつけてまぬけな声をあげてしまう。

「おい! 急に止まるなよ蒼馬! 優依がまぬけな声出しちゃったじゃないか」

 うう……美砂ちゃん、自分でもそう思ったけど、わざわざ「まぬけ」って口に出さなくても

……。

「ここに、見覚えはないかい?」

 蒼馬先輩はそんな文句を華麗にスルーして、スマホのライトを教室らしき部屋へと向ける。

 ドアも窓も閉まっているし、べつに今まで通過してきた教室と変わっているところはないと思うけど……。

「あっ!」

 蒼馬先輩のライトが、上に向けられた。

 教室が何年何組かを示す、プレート。

 そこには、「7-1」と書かれていた。

「優依くんはすこしはなれていてくれるかな。『シノカ』の誤タッチがあるといけないから」

 教室のドアに手をかけ、カギがかかっていないことを確認すると、蒼馬先輩はゆっくりとドアを開けた。

 教室の中は、よく知っているものだった。

 円をえがくようにならべられた七つの机とイス。

 だけど、わたしが知っている光景とは、すこしちがう。

 七つのイスにはそれぞれ、顔のないマネキンのようなものが、力なく座っていた。

「なんですか……これ……?」

「7年1組……いや、『7ひく1組』だよ。いつもきているだろう?」

「えっ、じゃああのあき教室は、ここに通じてたのか!」

 へぇ~と感心した様子で教室の中を見て回る美砂ちゃん。

「正確には、ここをもとにした空間に、かな。いったん出ようか」

 言われるがまま、わたしたちは教室を出て、ドアを閉める。

 そして蒼馬先輩は『シノカ』をとりだし、ドアにタッチする。

 ピッと音がして、ドアを開けると、中には同じ机とイスがならんでいた。

 だけどあのマネキンはどこにもない。かわりに、イスのひとつにシオン先輩が座っていた。

「蒼馬。その様子だと、なにかわかったのね」

「ええ会長。というわけで、情報交換といきませんか。会長がなにをたくらんでいるのか、興味があるものでね」

 わたしたちにおかまいなく、バチバチと火花を散らすふたり。

 うーん、なんだかめんどうなことになっちゃったっぽいぞ。

 というわけで、一発、かましておく。

「岬け家訓第22条! 『ふたりだけでいいのははふたりきりのときだけ』!」

 わたしのおおごえに、雷に打たれたようにびっくりするおふたりさん。

「蒼馬先輩、わたしたちをまきこんだからには、わたしたちにもわかる話をしてください」

 そうだそうだー! と美砂ちゃんがヤジを飛ばす。

 蒼馬先輩は力なく笑い、参ったとばかりに両手をあげた。

「もうしわけない。ぼくとしたことが、ついつい先走ってしまった。では会長、ぼくの推理を披露しても、よろしいですね?」

「ええ、どうぞ」

「いや、そうだ。ここはやはり、戦いの流儀にのっとりませんか? ぼくの推理があたっていれば、ぼくの勝ち。外れていれば、会長の勝ち」

「あのね、蒼馬。わたしがなんでも知っていると思ったら大まちがいですからね? 蒼馬のでたらめがあたっているか外れているかなんて、わたしにわかるわけが……」

 シオン先輩の言葉は尻すぼみになっていく。

「そうか……『シノカ』に判断をさせるというわけ。考えましたね」

「わかるように話せー!」

 美砂ちゃんが盛大にヤジを飛ばす。蒼馬先輩はまたあやまって、自分の『シノカ』をとりだした。

「ぼくが今から会長にいどむのは、推理の正解を問う戦いだ。だけど、ことの真相を知るものは、この場にはいない。だから、戦いにしたんだ」

 うーん、よくわからない。

 つまり、こういう話だ。

 この場のだれも正解がわからないクイズに、蒼馬先輩が答える。

 それが正解しているかどうか……というのを、戦いにする。

 いや、だれも正解がわからないんだから、そもそも戦いにすらならないんじゃ……あっ!

「どういうことですか?」

 緑ちゃんはぶーぶーヤジを飛ばしまくる美砂ちゃんをおさえながら、内心では自分もヤジりたいとでも言いたげに、すこしキツめにたずねる。

「戦いの勝敗の判断は、『シノカ』が公正に行う。つまり、ぼくの推理が正解か不正解かは、『シノカ』が判断してくれるというわけさ」

 ふしぎなカードだとは思っていたけど、まさかそんな便利な機能……というより、裏技があるとは。

 さすがは『死神のカード』、略して『シノカ』。

「おおっと、それはちょーっと、認められないねえ」

 ドアが開く音はしなかったけど、だれかが教室の中に入ってきた。

「……ゴーナ。まだ、ぼくを解放してくれないのかい?」

 わたしたちと同じくらいの背丈の女の子が、卑屈に笑いながら蒼馬先輩にくるくるとまとわりついた。

 なんだかお似合いのカップルみたい……に見えるのは遠目からだけで、蒼馬先輩はげんなりと顔を青くして、女の子はそれを楽しむように低く笑っている。

「やー、岬優依くん。はじめまして。わたしはゴーナ。蒼馬くんのパートナーだよ」

 ヒヒヒ……と笑うゴーナ。

 死神はみんな個性的だったけど、ゴーナはなんだか、わかりやすく「悪霊」みたいだった。

「蒼馬くーん、『シノカ』は『死神のカード』なんだよねえ。死神の認可がおりなければ、勝手に使うことはゆるされないことくらい、頭のいい蒼馬くんならわかるでしょー?」

「わかりたくないね。現に、さっきこの教室に入るのに、きみの認可はなかった」

「いやー? あったよ?」

 蒼馬先輩の青い顔に、ぴしりと青筋が走る。

「やだなー、蒼馬くん。わたしたちは一心同体。よきパートナーじゃないの」

 ヒヒヒ……ゴーナは挑発するように、蒼馬先輩にまとわりつく。

「わたしは、いつでも、蒼馬くんを見てるからね」

「このっ……!」

 腕を振り上げそうになった蒼馬先輩だったが、わたしたちの顔を見てひとつためいきをつき、まとわりついているゴーナの頭をゆっくりとなでた。

 ゆっくり、力をこめて、ぐりぐりと。

「ヒヒヒ……それでいいんだよ、蒼馬くん。変な考えは起こさないのが、かしこい選択だよ」

「ああ。だけど、ぼくが勝手に推理を話すことは、問題ないだろう?」

「……は?」

「正解かどうかは、わからなくてもいい。ぼくがみちびいた推理を話すだけだ。もちろん、会長と戦うわけでもない」

「ヒヒヒ……悪い子だ。じゃあ……」

 ゴーナはヘビのように空中を泳いで、一気にわたしに飛びついてくる。

「優依!」

 えっ? と声をあげる間もなく、ゴーナが床に張り倒される。

「あいかわらず悪い子だな? えーっと」

「ゴーナだよ。ヒヒヒ……」

 どこから現れたのか、レーコさんが電光石火でビンタをかまし、ゴーナをまたたく間に床に組み伏せてしまったのだった。

「レーコさん?」

 わたしをたすけるために突然現れるのはいつものことだけど、今回はなんだか様子がちがう。

 まるで、わたしをおそえば、レーコさんがかけつけることを、ゴーナが利用したみたいだった。

「それよりレーコ、聞いてよ。わたしのパートナーの蒼馬くんが、ミサキ小学校の謎を解くんだって息巻いててさー、困ってるんだよー」

「なに……?」

 えっ?

 レーコさんが、蒼馬先輩をぎろりとにらんだ。

 まってまって!

 レーコさん、いま明らかにゴーナに乗せられてるよ!

 でも……ふだんならそんなこと、お見通しのはずのレーコさんが、なんでこんなかんたんに……?

「話すと、まずいことでもありますか」

 蒼馬先輩はいどむような目つきで、レーコさんを見すえる。

「おまえがなにを調べているのかは知らないけど……優依に、みょうなことを吹きこんでみろ。わたしは、怒らせるとこわいぞ」

「あなたが怒るほどのことをつかめているか、自信はありませんが……話すだけでもだめですか」

「レーコ、じゃんけん、ほい!」

 いきなり、ゴーナが右手でグーを作って、レーコさんにふりかざした。

 レーコさんはてのひらでそれをつかむと、ゴーナの腕をひねりあげる。

「ヒヒヒ……戦いはこれで二連敗だねえ。そういうわけだからさー、蒼馬くん、『シノカ』を優依くんに」

「ゴーナ、きみは……!」

 蒼馬先輩はがくぜんと立ちすくむ。

「な、なにが起きてるの……?」

 緑ちゃんがおろおろと周囲を見回していると、シオン先輩が重々しく口を開いた。

「蒼馬は今日までに、かなりの『縁』を失っています。いま起きた戦いが清算されれば、おそらく蒼馬の『シノカ』のチャージはゼロになり……蒼馬の脱落が決定します」

 脱落……『シノカ』のチャージがゼロになった生徒は、戦いへの参加資格を失う。

 願い事をかなえることはできなくなり……それからなにが起きるのかは、聞かされていない。

「ほらほら~! 蒼馬くん、わたしから解放されたいんじゃなかったの~? 脱落しちゃえば、もう『シノカ』は使えないから、めんどうなことも考えずにすむんだよ~」

 脱落すれば『シノカ』が使えなくなる……それはそうだと思ってた。

 だって、脱落の条件は、『シノカ』の残額がゼロになること。

『縁』の入っていない『シノカ』が、使えるはずはない。

 そうなればもう、この教室に入ることもできなくなるだろう。

 でも、それ以上は?

 ゴーナの口ぶりが、まるで、その先があるかのようなものなのが……気にかかる。

「断るさ。きみたちが勝手にやりあっただけだ。ぼくは戦いに関与していない」

「蒼馬くーん。さっき言ったことを、忘れてもらっちゃあ困るなあ」

 ゴーナはレーコさんからはなれると、一気に蒼馬先輩へと突進する。

「『シノカ』は『死神のカード』なんだよー? つまり、その本当の所有者がだれなのか」

 蒼馬先輩のポケットに手をつっこみ、ゴーナは黒いカードをぬきとる。

 そのまま、今度はわたしに向かって突進し、蒼馬先輩の『シノカ』をわたしと頭にピッと押し当てた。

 ブー……という音がして、ゴーナの手の中の『シノカ』は、色を黒から白に変えていく。

「最初の、脱落者ですね」

 シオン先輩が、淡々と言う。

「ヒヒヒ……やったねえ、蒼馬くん。これでもう……きみが危険な目にあわずにすむ」

 ……え?

 ゴーナはあいかわらず卑屈な笑みのままだったけど、蒼馬先輩を見る目は、どこかおだやかだった。

「いいかい、蒼馬くん。岬け家訓第137条『かしこいものは危険を知るもの』」

 また……わたしの教えてもらっていない家訓。

 ぐらりと視界がゆらぎ、それを知っていたかのようにレーコさんが背中を支えてくれる。

 でも、なんでゴーナが岬けの家訓を……?

「ゴーナ……? どこだ?」

 蒼馬先輩が、目の前でほほえむゴーナを無視して、教室の中を見わたしている。

 ゴーナが……いや、死神が、見えていない。

「忘れないで、蒼馬くん」

 ぎゅっと、蒼馬先輩に抱きつくゴーナ。

 だけど蒼馬先輩はなにも感じていないし、聞こえていない。

「わたしは、いつでも、蒼馬くんを見ているからね」

 思わずわたしは、ゴーナの言葉を伝えようと口を開きかけた。

 だけどゴーナはヒヒヒ……と笑いながら、くちびるの前で指を立てて、しーっと音を立てた。

「こっちのほうが、性に合ってるんだよねえ。蒼馬くんは、やっかい払いができたくらいに思っていてくれれば、それでいいんだよ」

「ゴーナ……」

 蒼馬先輩は落ち込んだ声でゴーナの名前をよび、きっと顔をあげた。

「『シノカ』を失ったからといって、ぼくが探偵役をつづけることには、なんの問題もないはずだ。そうだろう?」

「この……わからず屋」

 ゴーナは蒼馬先輩に背を向けて、がっくりと肩を落とした。

「まっていてくれ、ゴーナ。ぼくは、きみも、すくってみせる」

 その場にくずれ落ちるゴーナ。

「バカ……蒼馬くん……そういうことは、話ができるうちに、言っておいてよね」

 蒼馬先輩は、急に激しくせきこみだした。

「『シノカ』の残額がなくなったひとは、この教室にはいられません。はやく出なければ、なにが起こるか……」

 シオン先輩は悲しそうな目で、蒼馬先輩を見つめる。

「ありがとうございます、会長。では、ぼくの推理はまた後日。これから、もっと証拠をそろえてみせますよ」

 蒼馬先輩はふらつきながら、教室のドアまで歩いていく。

「イツ」

 ドアを開けるとき、ゴーナが小さくそうつぶやいた。

 あとで聞いた話だけど、そのとき蒼馬先輩は、旧校舎ではなく、5年生の教室のある新校舎の廊下に出られたそうだ。

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