岬け家訓第61条『見た目でだませりゃお買い得』

「優依~~~~!」

 翌朝、学校のげた箱で、顔をぐしゃぐしゃにした美砂ちゃんにタックルされた。

「よ、よかった、あたし、てっきり、死んじゃったんじゃないかと思って……」

 そしてわたしの上で、美砂ちゃんはわんわんと泣いた。

 ごめんなさい、ごめんなさい、と何回もくりかえす美砂ちゃん。

 しょうがないのでよしよしとなだめるわたしを、緑ちゃんがにっこり笑って見ていた。

「おはよう」

「うむ、おはよう」

 泣き止まない美砂ちゃんを、小脇にかかえて(つまり持ち上げて)廊下を歩く。

「そうだ、優依ちゃん、『シノカ』の『縁』を受け取らなくていいの?」

 緑ちゃんが、ぐずぐずと鼻水をすする美砂ちゃんを心配そうに見下ろしながらそう言った。

 あー、そうか。きのうのごたごたも、一応「戦い」ってことになるのかな。

 でも美砂ちゃんがこの状態だし、今すぐにってわけにもいかないだろう。

 それに第一、わたしは戦わないって最初に決めたんだし。

『縁』を受け取らないのだって、好きにさせてもらおう。

「あらら? どうしたんですか、美砂ちゃん?」

 4年生の教室の前にまでくると、その奥の3年生の教室の前で、ミナミさんが立っていた。

 きのうあんなことがあったのに、ふしぎとわたしはミナミさんに恐怖心を感じなかった。

 というより、たぶん、そのあたりの『空気』の使い方が、ミナミさんにとっては自由自在なのだと思う。

 だから今は、おだやかに笑う、やさしい大人の女性という印象しか受けない。

「……おはよー、先生」

 ずびーーーっと鼻水をすすり、わたしの腕の中で美砂ちゃんがミナミさんにあいさつをする。

「というか、いい加減におろせよ優依! あたしは非常用持ち出し袋じゃないんだぞー!」

 元気そうでなによりなので、言われたとおりに美砂ちゃんをおろしてあげる。

「失礼。きみが岬優依くんだね」

 いきなり後ろからそう声をかけられ、わたしはふりむきながらうなずく。

 ひょろりと背の高い男の子が、なんだかビジネスライクな笑顔を浮かべてわたしを見ていた。

「げ、蒼馬そうま

 美砂ちゃんがげんなりとすると、男の子はやっぱり社交的だけど腹のうちが見えない笑顔のまま、困った顔をする。

「おいおい美砂くん、ぼくがまだ自己紹介も終えていないうちに、勝手に名前を明かすのは感心しないなあ」

「うるせー、あんたと話してると頭が痛くなるから、こっちくんな!」

 しっしっ! と追い払うジェスチャーをしながらわたしの後ろに隠れる美砂ちゃん。

「ははは、ぼくが用があるのは、優依くんになんだけどな」

「あのー、なんでわたしのことわかったんです?」

 わたしが質問すると、男の子は照れるように笑った。

「かんたんな推理だよ。まず、ぼくはミサキ小学校の生徒の顔は、全員知っている」

「でも、わたしは背を向けてましたよ?」

 わたしは後ろから声をかけられた。廊下は広いけれど、わざわざ回りこんできたなら気づくはずだ。

 つまり彼は、げた箱の方角から4年生の教室のほうに歩いてきたのはまちがいない。

 そうなるとミナミさんと向き合っていたわたしの顔は見えず、生徒全員の顔を覚えていたとしても、わたしが転校生の岬優依だだとは、(かんたんには)わからないはずだ。

「そうだね。ただ、ぼくはほかのひとよりも、持っている判断材料が多いんだ」

 ポケットから黒いカードをとりだす。

 これって、『シノカ』!

「きみはミナミさんに視線を向けていた。後ろからでも、頭の角度でそのくらいはわかるからね。つまり、死神を見ることができる……『シノカ』を持っているひとだということになる」

 緑ちゃん、美砂ちゃんと順に視線を向けて、『シノカ』をふってみせた。

「あとはもうかんたんだ。ぼくもまた死神つきだから、たった五人のほかの死神つき全員、顔だけではなく背格好やふだん着ている服装もよく知っている。それに『あてはまらない』人物こそ、ぼくがまだ顔を合わせていない死神つき……転校生の岬優依くんだと、かんたんに推理できてしまうのさ」

 へぇーと感心するわたしをよそに、わたしの足にしがみついている美砂ちゃんは「シャー!」と猫が怒ったような声をあげていた。

「というわけで、ぼくは5年生の真田さなだ蒼馬。よろしく」

「はあ、お察しのとおり、岬優依です。それで、わたしになにか用があるんです?」

 蒼馬先輩は『シノカ』をしまうと、にこやかに笑って言った。

「優依くん、放課後、旧校舎でまってるよ。それじゃあ」

 それだけ言って、蒼馬先輩はげた箱の方向にもどっていった。あそこから渡り廊下で、5年生と6年生の教室がある南校舎に帰るのだろう。

「ゆゆゆゆ優依ちゃん……!」

 緑ちゃんがあわあわと目を泳がせる。

「なにあわててんだよ、緑?」

 わたしの後ろから出てきた美砂ちゃんが、真っ赤になっている緑ちゃんを、ふしぎそうに見上げていた。

「だ、だって! 今のって、その……あれ、じゃない……?」

 はてな?

『あれ』とはなんぞや?

 美砂ちゃんといっしょに首をかしげるわたしに、緑ちゃんがすこし本気っぽく「もう!」と声をあげる。

「ひとけのない場所! 呼び出し! ふたりっきり! はい!」

 そう言われても、よくわからず顔を見合わせるわたしと美砂ちゃん。

 しびれを切らしたのか、緑ちゃんは鼻息荒く、高らかに言い聞かせる。

「告白! でしょ!」

 はてな?

「だれが?」

 ずこーっ! と倒れそうになる緑ちゃん。

「ゆ、優依ちゃん……」

「えー? でも蒼馬は、今日はじめて優依と会ったんだろ? それでその日に告白なんてするか? ふつう」

 美砂ちゃんのツッコミで、わたしはようやく話の流れを理解した。

 緑ちゃんは、蒼馬先輩が放課後、わたしに告白するんじゃないかとドキドキしていたらしい。

 しかしながら、やはり美砂ちゃんの言うとおり、ふつうに考えてそれはない……と思う。

 わたしと蒼馬先輩は正真正銘の初対面だし、話していても、感じたのは……。

 むしろ……わたしが思い出したのはこんな家訓だった。

 岬け家訓第32条『恋と殺意は通りもの』。

 そんなわけで放課後になって、すっかり忘れてふつうに帰ろうとしたわたしだったが、ひとりで盛り上がっている緑ちゃんにひっぱられて、旧校舎をおとずれることになったのだった。

 ミサキ小学校の、わたしたちがふだん使っている校舎は、わたしの目で見るとおそろしく古いものなんだけど、それでも新校舎とよばれている。

 最初にこの校舎を見たときに思った疑問……いつの時代から見た「新」なんだ……というのは、今わたしたちの前に建っている、この旧校舎から見た「新」ということになる。

 ミサキ小学校の三つの新校舎は、コの字型になって校庭を囲うように建っている。「コ」のあいている部分は校門。校門から見た、校舎をこえた奥に、岬けの旧家が建っている。

 で、旧校舎がどこにあるのかというと、なんとわたしの家のすぐとなりだった。

 木におおわれていて、今の今まで存在にすら気づきませんでした……不覚……。

 新校舎が木造なのに対し、意外にも旧校舎は石造りだった。

 ただし、鉄筋コンクリートのようながっしりかっちりとした感じではなく、大きな石のかたまりが突然目の前に現れたような、自然になじんでいるんだけど、びっくりするインパクトのあるたたずまいだ。

 入り口のドアはさびたチェーンでぐるぐる巻きにされており、入れそうにはない。

「やっぱり入れないよなー。となりのおばけ屋敷はわりとかんたんに入れるんだけど」

 なぜかついてきた美砂ちゃんが、そう言って笑う。

 ほう……わたしに泥だらけのあしあと掃除という重労働をさせた犯人の目星がついてきたぞ……。

「み、美砂ちゃん! あのお屋敷は優依ちゃんの……」

 わたしをここまでつれてきた緑ちゃんが、あわてて事実をつげようとする。

「そうだ優依! 蒼馬のやつの用事が終わったらおばけ屋敷の探検しようぜ!」

 けど、美砂ちゃんが楽しそうにさそってくるほうがはやかった。

「そうだね。案内してアゲルヨ……」

 フフフ……とぶきみに笑うわたし。

「そ、それより美砂ちゃん。わたしたちは隠れたほうがよくない?」

「えっ、なんでだよ?」

「だ、だって、これはひょっとしたら、ふたりのプライベートな話なのかも、しれないし……」

 うーん、緑ちゃん、ちょっと夢見がち。

「やあ、緑くんと美砂くんもきたんだね」

 などと話しているうちに、草をかきわけて蒼馬先輩が、ゆだんならない笑顔を浮かべてやってきた。

「そ、蒼馬先輩! あの、わたしたち、おじゃまでしたら、すぐにでも帰りますので……」

 蒼馬先輩は手で口元をかくしながら、小さく笑った。

「いやいや。むしろふたりがきてくれてたすかったよ。人手は多いほうがいいからね」

「ヒトデ……?」

 緑ちゃん、混乱しすぎ!

「なにをする気なんですか?」

 やれやれとわたしがすぐ本題に入ると、蒼馬先輩は旧校舎の入り口まで近づいて、さびたチェーンを手に持ってためつすがめつ観察しはじめた。

「ああ、あった」

 地面付近のチェーンにとりつけられていたのは、真っ黒な南京錠だった。

 なるほど、これでチェーンをほどけないようにしているのか……と思ったら、蒼馬先輩はその南京錠をぱかりと開けて、ぽいっと放り捨ててしまった。

「蒼馬先輩、それってまずいんじゃ……」

 南京錠のカギを持っている様子はなかった。つまりカギを開けたのは、あやしい技術の可能性が高いのでは……。

「ああ、だいじょうぶだよ。カギはね、かかってなかったんだ」

「えっ? でも南京錠はかかってましたよ?」

「そうだね。かかっていた『だけ』だよ」

 どういうことだろうと顔を見合わせるわたしと緑ちゃんだったが、美砂ちゃんがあっと声をあげて、蒼馬先輩の投げた南京錠を拾っていた。

「なんだこれ! パカパカだ!」

 南京錠を持ってきた美砂ちゃんは、アーチ状になっている、ロックがかかる部分を、四角い部分の穴があいてロックがかかる部分に、さして……すぐにぬいた。

 わたしも美砂ちゃんから渡してもらってたしかめてみる。

 ふつうならばかちゃりとロックされる、アーチの先の棒状の部分を穴にさしこんでも、なんの手ごたえもない。

 ただ穴に入るだけで、ひっぱればすぐにぬけてしまう。

 これでは、カギとしての役目は果たせない。

「ものものしいチェーン。がんじょうそうな南京錠。このふたつが目に入るだけで、人払いにはじゅうぶんな力を発揮するんだ。わざわざこうして……」

 蒼馬先輩はからだ全体を使って、入り口のチェーンをほどいていく。

「チェーンを外すというめんどうな手間をふむひとも、そうはいない。見た目というものには、想像以上に強い力があるからね」

「岬け家訓第61条……『見た目でだませりゃお買い得』」

「ははは、いいことを言うね。よいしょっと」

 ガラガラ! と音を立てて、旧校舎の入り口を守っていたチェーンがすべて外された。

「じゃあ優依くん、つきあってもらえるかな?」

「え? え? え?」

「緑、うるさい」

 あわてる緑ちゃんは美砂ちゃんに任せるとして、わたしは試すように蒼馬先輩をするどく見つめた。

「なにをですか?」

「旧校舎の探検……いや、もうこう言おう。ミサキ小学校で起こっている、この奇妙な儀式の解明を、だよ」

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