岬け家訓第7条『眠れば見えることもある』
夢を、見た。
真っ黒な絵の具でぬりつぶされたような地面。
これは……ミサキ小学校の校庭……?
でも、暗くて黒く見えている、という感じではない。
なんというか、深いのだ。黒が、とても深い。
ああそうか、とわたしは気づく。
これは穴だ。
どこまでもどこまでも深い、光さえ寄せつけない、ぽっかりとあいた穴。
「お嬢様、儀式のお時間です」
夢の中のわたしに、おごそかな雰囲気でそう言ってきたのは……イッペンさんだった。
でも、あまりに雰囲気がちがう。まるで別人だ。
「ええ。ありがとう」
わたしの口から、わたしのものではない声がそれにこたえる。
うーん、夢の中で、自分がまったくの別人になって、夢の話の進むままに言葉を話す……っていうことはあるけど。
どうにもこれは、なんだかみょうだった。
立ち上がったわたしは、イッペンさんに手をとられてゆっくりと穴のほうへ歩いていく。
「潜伏呪言の分割作業は順調に進んでおります。ただ、150条はさすがに多くはないかと……」
「呪言をいちどに身に受ければどうなるか、あなたもよく知っているものだと思っていたのだけれど」
「失礼をいたしました。おゆるしください」
「いいのよ、――――(ひとの名前? よく聞き取れない)。どうせわたしのつとめはこれで終わりですもの」
穴の前で立ち止まると、わたしの手をつかんでいたイッペンさんの手が、ぎゅっと強くにぎられた。
「お嬢様。岬家の悲願、必ずやお果たしください」
そこで、わたしは吐き捨てるように笑った。
「――――、あなただって、まさかひとり目で成功するなんて思ってはいないでしょう」
「お嬢様……」
「そのために呪言の分割や、これから家を襲うであろう呪いの指向性をあらかじめ誘導しているんでしょう。視力の低下程度ならごまかしもきくし、徴兵もまぬがれることができて一石二鳥ね」
イッペンさんは、とても悲しそうな目で、わたしを見ていた。
「……ごめんなさい。ええ、だいじょうぶ。お役目はきちんと果たすわ」
ずぶ。ずぶ。
わたしはぽっかりあいた穴の中に、ふみこんでいく。
けれどすぐ下に落下するわけではなく、底なし沼のようにゆっくりと、からだに黒い空気がまとわりつきながら、沈んでいく。
そうだ。
「こういうのはどう? 岬け家訓第1条『別れるときも笑顔であれ』」
夢の中のわたしが、はたして笑っていたのかは、わからなかった。
「優依?」
ひたいにひんやりとしたものが置かれる。
とても気持ちよくて、わたしはすこしほほをゆるめてから目を開けた。
おとうさんがやけに真剣な顔で、ベッドに横になっているわたしを見ていた。
「あれ……? わたし……」
ここは……岬けの旧家。今はわたしの家の、念願かなって手に入れたわたしの部屋だ。
「学校で倒れたと連絡があったんだよ。ともだちも心配してたぞ」
おとうさんはわたしのひたいに乗せたタオルを水を張ったたらいに入れて、ぎゅっとしぼるとまた乗せてくれた。
「あはは、家が近くてよかったね」
「またそういうことを言う……」
わたしの元気アピールに、おとうさんは苦笑いする。
「優依、おとうさんはな、わからないことばかりなんだ。たとえば、そこのドアに立っているのがなんなのか……とか」
えっ? わたしはタオルをおさえながら、からだを起こしてドアのほうを見た。
レーコさんが、無言でこちらを見ていた。
「おとうさん、レーコさんが見えるの?」
「いいや。見えないよ。目が悪いからね」
でも、いるのはわかるよ、とおとうさんは暗い表情でつぶやく。
「岬け家訓第6条『見えてる世界がすべてじゃない』……そのくらいは受け入れるさ」
ほっ。よかった。勝手に家に住んでいるレーコさんを、立ち退かせるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ……。
「優依、おじいちゃんがこの家を、ほかの親族に管理させるっていう話になったときに、絶対にゆずらなかった条件があったんだ」
おじいちゃんはからだを悪くしたとはいえ、まだまだ頭はしっかりしている。それになんというか、威厳っていうやつがすごくて、親戚におじいちゃんに逆らえるひとはいない。
「優依をこの家に住まわせること……っていうのが、おじいちゃんの出した条件だったんだ」
わたし?
まあ、たしかにおじいちゃんはわたしには甘かった。きびしいことでおそれられていたおじいちゃんが、わたしにだけはやさしくするので、親戚のみんながいつもびっくりしていたほどだ。
「それで、うちの家族がうつり住むことになったんだ。優依をほかの家にあずけるのは、いろいろと心配だったからな」
うっ……じつを言いますと、わたし、前の学校でも親戚中でも、悪名高いいたずらっ子なのでした。
心配されるのは、わたしよりも、あずけられる側の家ということですね、はい……。
「おじいちゃんは、優依のいないところで、よく言っていたよ。『優依は成功だ』……って」
「どういうこと?」
「おとうさんにも、さっぱり意味がわからなかったよ」
そう言うおとうさんは、困っているというより、なんだかさびしそうだった。
岬けはさいわい、親戚みんな仲がいいけど、古い家だけあって、いろいろとめんどうごとも多いらしい。
おとうさんはそのめんどうごとの最たるもので……短くまとめると、おとうさんはおじいちゃんの実の息子ではない。
はなはだ不満ながら、わたしはまだこどもだからという理由でくわしい話は教えてもらえてないけれど、その話をするとみんなどこかよそよそしくなるので、あまりつっこまないほうがいいことだというのはわかっている。
でも、いま現在みんな仲がいいんだから、そこまで真剣に悩む問題でもない気もする……って考えるのは、わたしがまだこどもだからなのかな? そんなことはないと思うけど!
「なあ、優依」
おとうさんは再び横になったわたしに、訴えかけるような目で、言った。
「学校は、楽しいか?」
「うん!」
わたしが笑ってうなずくと、おとうさんは一気に不安が吹き飛んだように、にっこりと笑った。
「じゃあ、前の学校みたいに悪さばかりするんじゃないぞ!」
「それは保証できかねます」
わたしとおとうさんはそろって笑う。
わたしのお腹が鳴ると、おとうさんはもうだいじょうぶだろうと部屋を出ていった。
「下でごはんの準備をしてるから、落ち着いたらおりてきなさい」
時計を見ると夜の八時をすぎていた。
どうりでお腹がこんな音を出すはずだよ。
わたしは勢いよく起きあがり、すぐさま部屋を出ようとして……ドアの前に立っているレーコさんを見て、立ち止まる。
「夢を、見たな」
レーコさんがどこか悲しそうに、そうつぶやく。
どうしてわかったの? ときくより前に、わたしは「うん」とうなずいていた。
「さっさと忘れること。どうせ夢だ。夢でしかないんだから」
「レーコさん……」
わたしは思い出す。
夢の中でのわたしは、このくらいの背丈だった。
夢の中でのわたしは、こんな感じの声だった。
あれって……ひょっとして、レーコさんの夢……?
「いーから、忘れろ」
レーコさんはひょいと宙に浮かぶと、ドアをすりぬけて外へ出ていった。
「ああそうだ」
ドアから首だけを出して、レーコさんは、夢の中で聞いたような、威厳のある声で言った。
「おまえは、わたしが絶対に守る。もう、あんなことはくりかえさない」
首をぬいて立ち去るレーコさん。
わたしがドアを開けて外に出ると、すでにその姿は見つからなかった。
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