岬け家訓第123条『夢がまやかし現がまぼろし』

 チャージが移動していない未使用の『シノカ』には、最大限の70パーセントのチャージが入っているという。

 怜央くんは『シノカ』のチャージのやりとりをまだしていないので、ここにプラス30パーセントのチャージを移動させれば、フルチャージ状態になる。

 そして『シノカ』のチャージを移動させるためには、戦いが行われなければならない。

 チャージする額は決まっておらず、戦いの内容によって自動的に「清算」される。

 戦いが激しく、派手になればなるほど、移動するチャージは多くなる。

 だからきのう、シオン先輩の『シノカ』からわたしに渡されたチャージは、じつはけっこう多かったらしい。

 レーコさんとロック、かなり派手に暴れてたからな……。

 とにかくそのおかげで、わたしが怜央くんにチャージを渡しても、特別不利になるようなことはないらしい。

 まあ、不利もなにも、そもそもわたしは戦う気がないので、脱落してもいいくらいなんだけどね。

 それよりも……。

「ねえレーコさん。『シノカ』のチャージってなにか単位はないの?」

「単位? パーセントはまだむずかしかったかー?」

「ふん、4年生だからまだ習ってないけど、だいたいはわかるよ。そうじゃなくて、チャージが~チャージが~って言いにくいでしょ? 円とかドルとかユーロとか、そういうの」

「ぜんぶお金だね……」

 緑ちゃんが力なく笑う。

「じゃあ『エン』でいいんじゃないか?」

「ジャパニーズ・エン?」

 わたしの英語っぽい発音に、レーコさんは「ノー、ノー」と手をふる。

「『縁』だ。『縁もゆかりもない』、『えにし』の『縁』」

 縁……だじゃれみたいだけど、悪くない。

「じゃあ、1パーセントが1縁ということにしよう。怜央くんの『シノカ』には70縁チャージされてるから、わたしが30縁渡せばいいんだよね?」

 100縁になるように……ひっ算せずともできる。

 まあ、けたがふえただけで、「10-7」だから、できなかったら先生に怒られそうでもあるけど。

 ところでわたしの『シノカ』にはいくらチャージされてるんだろう?

 最初が70縁だとしたら、シオン先輩から『縁』を渡されて、それがけっこう多かったらしいから……。

「なにしてる。はやく『縁』を渡すんだろ? 急がないと昼休みが終わるぞー」

 レーコさんに言われて、わたしは怜央くんと最終確認をする。

「いい? グー、チョキ、パーの順番ね? チャージがマックスになるまで、そのくりかえし」

 そう、わたしが行おうとしているのは、八百長じゃんけんだ。

 怜央くんに出す手を指定させて、あとはわたしがそれに負けるように何回でもくりかえす。

 じゃあ、いきますか!

 声を合わせて……。

 じゃん、けん、ぽん!

 怜央くんはグー。

 わたしはチョキ。

「あちゃー、負けちゃったー」

 わざとらしく(わざとなんだけど)そう言って、わたしは怜央くんの『シノカ』に手でふれる。

 ピッ、と音がして、わたしの『縁』が怜央くんの『シノカ』に移動する。

 よしよし。八百長でも、『縁』の受け渡しは問題なくできるみたい。

 さあ、どんどんいくよ!

 じゃんけん、ぽん!

 怜央くんはチョキ。

 わたしはパー。

 もういちど怜央くんの『シノカ』にピッとタッチ。

 じゃんけんぽん!

 怜央くんはパー。

 わたしはグー。

 怜央くんの『シノカ』にタッチすると、さっきまでとはちがう、ぴろん! という音が鳴った。

「フルチャージだ」

 ヨルさんがそう言ってイッペンさんに目を向ける。

「ンンンン! では怜央くん、『シノカ』をわたくしにかざして! 思いきり気合いを入れて! さけぶのです!」

 内容は、すでに打ち合わせずみだ。

「『シノカ』! フルチャーーージ!」

 ギュオオオン!

 うるさくはないけど、力強い音が怜央くんの『シノカ』から鳴りひびき、その音の流れがイッペンさんに吸いこまれていく。

「ンンンン! うけたまわり! ましたァ! これがわたくしの! 死神の! 本領!」

 大きく腕を広げて、すぐさまイッペンさんはパン! と手を鳴らした。

 すると、怜央くんは立ったまま、がくんと頭を倒す。

「怜央くん!?」

「しぃー……いけませんお嬢様。今から怜央くんはおかあさんに会いに向かうのです。よけいな言葉はさまたげになります」

 イッペンさんはいつものおおげさなものではなく、やさしく語りかけるようにつづける。

「さあ、怜央くん。あなたはどんどん昔にもどっていきます。ゆっくり、ゆっくりでいいのですよ。ですが、どんどん、深く深ぁく時間をさかのぼっていくのです」

「うん……」

 気を失っていたとばかり思っていた怜央くんが、弱々しいけどきちんとイッペンさんの言葉にこたえる。

 って、ちょっと待った!

「レーコさん! これって、あれじゃないの?」

 じゃまにならないよう、ひそひそ声で、わたしはレーコさんに抗議する。

「催眠術……!」

 緑ちゃんも気づいたようで、しっかり声をひそめながらもヨルさんに抗議していた。

 そう。イッペンさんがやっているのは、テレビでたまに見る、催眠術にそっくりだ。

 それもひとをおどろかせたりするものではなく、相手を安心させるために行われる、催眠療法……とかいうタイプのやつ。

 いやいやいや!

 ふつう、死後の世界かなんかから、怜央くんのおかあさんをつれてきて会わせてあげるもんじゃないの?

 ふつうに考えたらありえない? って、あなたたち、死神でしょ!

 死神の力でそんな奇跡くらい起こせるものじゃないの?

 あれだけめんどうな手間をかけて、お出しされたのが、催眠術って……。

 なんかすごく、だまされた! って気分なんですが……。

「まあ、あいつはもともと、ペテン師みたいなものだから」

「でも……」

 これじゃ、あんまりじゃない……?

 おかあさんに会えたと思っても、それが催眠術の中のまぼろしだったなんて。

「そうでもないさ」

 レーコさんはわたしに怜央くんを見るようにうながす。

「さあ、怜央くん。あなたの目の前にはだれがいますか?」

 怜央くんは目をつぶっている。だから、その目に映っているのはまぼろしだ。

「おかあさん……」

「怜央くん、あなたはおかあさんに伝えたいことがありますね。あなたはいま過去にもどっていますが、いま現在の気持ちは持ったままです。では、じゃまはいたしません。気のすむまで、おかあさんに気持ちを伝えてください。怜央くんがすっかり満足すると、ゆっくり、もどってきますよ」

 イッペンさんがそう言うと、怜央くんはほほえむようにねむっていった。

「ンンンン! 以上で、わたくしの施術は終了です! 怜央くんが目覚めたときには、万事解決ずみ! というわけですなあ!」

 もとどおりのハイテンションで、イッペンさんは笑う。

「こんなの、ペテンじゃないですか」

 緑ちゃんがめずらしく、強い口調でイッペンさんにつめよる。

「ンンンン? なにか不都合が? ございますかな?」

「だって、怜央くんはじっさいに、おかあさんに会えたわけじゃない!」

「では、お聞きしますが……死んだひとにじっさいに会えると、思うのですか?」

「えっ……」

 そう……。

 岬け家訓第94条『死人に口なし耳もなし』。

 死んだひとはしゃべらない。

 なにを言っても聞こえない。

 なにも……届かない。

「岬け家訓第123条『夢がまやかしうつつがまぼろし』」

 また、わたしがまだ教えてもらっていない家訓。

 ふわっとするのを、レーコさんが肩に手を置いておさえてくれる。

 まるで、だれにも話していない、わたしのこの感覚を知っているみたいに。

「緑、最初に会ったときに、言ったはずだぞ。まあ、あのときの緑はまだ1年生だったから、覚えてないかもしれないけど……」

「ううん……覚えてるよ、ヨルルン」

 緑ちゃんは、うなずいて、ヨルさんから言われたという言葉をそのまま読み上げた。

「『死神に、過度な期待は持つな』」

「そうだ。あたしたちは『死神』と名乗ってるだけの、たいしたことない存在でしかない。あたしたち自身はこの世の存在じゃないけど、自力でこの世のルールをねじまげるような力は、持っちゃいない」

「そのとウり! わたくしがこのようなペテンをおひろめするだけでも、『シノカ』の力をかりねばならない! のです!」

 だったら……それでもいいか、とわたしは思う。

 どうやっても死んだひとに言葉が届かないなら、せめて怜央くんの中でだけでも、後悔の根をたち切ることができれば……ううん、きっと、生きているひとが前に進むためには、そうやってむりやり納得しなければいけないのだ。

 イッペンさんは、まだ自分で前に進む力がない怜央くんに、まぼろしというかたちをとって、背中を押してあげた……のだと思う。たぶん。

「まあ」

 一瞬、ヨルさんの目があやしく光る。

「最後のひとりになれば、話はべつだけどな」

 怜央くんは、まぼろしで願いをかなえることができた。

 けど、こんなペテンじゃ決してかなえることのできない、強い願いを持っているひとだっているかもしれない。

 死神に、たいした力はない。

 だけど、最後のひとりになれば、奇跡を起こせる。

 わたしは、やっぱり、戦わない。

 だけど、この考えが甘いということは、じわじわとわかってきた。

 昼休みの終わりをつげるチャイムが鳴っても、怜央くんはねむったままだった。

 緑ちゃんとふたりがかりで怜央くんを保健室まで運んでいたら、5時間目に遅刻して先生に怒られたけど……なぜだかあんまり気にならなかった。

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