岬け家訓第94条『死人に口なし耳もなし』

「やめとけ。あいつにかかわると、ろくなことないぞ」

 お昼休み。1年生の教室がある北校舎に向かうわたしに、レーコさんはやる気のない声でそう忠告してくる。

 体勢も、空中であおむけになったまま背泳ぎをするようにわたしの横をついてくる、というもので、おまけに朝のわたしのようにおおあくびをしている。

 ちょっと、ほっとした。

 いつものレーコさんだ。

 イッペンさんとにらみあっていたときの、氷でできたナイフのような危うさはまるでない。

 渡り廊下を歩きながら、いっしょにきてくれた緑ちゃんが1年生の教室を教えてくれる。

 ミサキ小学校の校舎で、現在使われているのは三つ。

 わたしたち4年生と3年生が使っている、全体から見てまんなかにある中校舎。

 シオン先輩たち6年生と5年生が使っている、南校舎。

 そしていまわたしがふみこんだ、1年生と2年生が使っている、北校舎。

 ほかにも体育館や、集会なんかで使う講堂がべつの建物としてあったり、はなれたところには見るもボロボロの旧校舎があるらしいんだけど、その旧校舎は現在立ち入り禁止になっているらしい。

 まあ、これだけ広い校舎を三つも使っていて、あき教室も山のようにあるので、わざわざ旧校舎を使う理由がない、というのが本当のところみたいだけど。

「ンンンン! これはこれは! お嬢様がた! よくぞいらしてくださいました! よけいなものがついているようですが、そこは目をつぶりましょう」

 どしーん!

 1年生の教室をのぞくと、いきなりイッペンさんが上からふってきた。

 いや……ホントに天井にはりついていたらしく、わたしたちを見つけるとまっさかさまに床に落ちてきたのだ。

 思ったより痛かったのか、「あたた……」と言いながらからだをさすって起きあがる。

「さ、さ、怜央くん。こちらへ。『シノカ』は持っていますね? よろしい! いい子ですなあ!」

 ハイテンションなイッペンさんにつれてこられた男の子は、おとなしそうだけど、きらきらとした目でわたしたちを見ていた。

「怜央くん? 初対面のかたにはきちんとごあいさつを」

「はい! 田中怜央です!」

「岬優依です。よろしくね」

 緑ちゃんはあいさつすることなく、にこにこと怜央くんに手をふっている。

 全校生徒200人以下のミサキ小学校。それも『シノカ』を持っている同士なら、当然おたがい知っているのだろう。

 人目もあるので、わたしたちは北校舎にある「7-1」のプレートが出たあき教室に向かう。

 入り口で怜央くんが『シノカ』をとりだし、ドアにピッとタッチする。

「ヒト」

 イッペンさんがそうつぶやくと、七つの机が丸くならべられた、もはや見なれたいつもの教室に入った。

「優依おねえさん」

 教室のあいているスペースに仁王立ちになった怜央くんは、きらきらとした目でわたしを見すえた。

 お、おねえさん……? なんだか新鮮なひびきに思わず「もう一回言って?」って言いそうになったけど、怜央くんの真剣さに思いとどまる。

「戦ってください。ぼくは、願いをかなえたい」

「うーん、けんかはしたくないんだよね。とりあえず、怜央くんの願いっていうのを教えてくれない?」

 怜央くんはイッペンさんに目をやって、どうぞどうぞとうながされると話しはじめた。

 怜央くんのおかあさんは、怜央くんが小学校に入学する前に……なくなった。

 もともとからだが弱くて、怜央くんが産まれたときも、本当に命がけだったらしい。

 そのぶん、おかあさんはだれよりも怜央くんが大好きだった。

 いつでも怜央くんにかかりきりで、幼稚園に入園させることもずいぶん迷ったほど、ずっと、怜央くんといっしょにいたがった。

 でも、怜央くんはある日、そんなおかあさんに「イヤだ」と言った。

 幼稚園でほかの子たちに、心ないからかいの言葉をかけられたのだ。

 怜央くんはそれにかっと熱くなって、おかあさんがいつでも近くにいることを「イヤだ」と言った。

 そのままずっと、怜央くんはおかあさんが近くにくると「イヤだ」と言い続けた。

 そんな状態がつづくなか、怜央くんのおかあさんは突然、なくなった。

「ぼくは、おかあさんにもういちど会いたい。会って、言いたい。『大好きだよ』って。だって、おかあさん、最後までぼくが『イヤだ』って言ってたから。きっと、かんちがいしたままだから……」

 わたしは……お腹に力をこめて、声を張り上げる。

「岬け家訓第94条! 『死人に口なし耳もなし』!」

「え? え? どういうこと?」

 ぽかんとした怜央くんに、緑ちゃんがおそるおそる説明をする。

「あのね、優依ちゃんはこう言ってるの。死んだひとはなにも言わないし、なにを言っても聞こえない……って」

 とたんに怜央くんのきらきらとした目がうるうるとして、おおごえで泣きだしてしまった。

「あーあー、泣ーかしたー。これは優依が悪いぞー」

 レーコさんが空中でめんどくさそうにあぐらをかきながら、そう言った。

「同感だな。緑もそう思うだろ?」

「う、うん……」

 ヨルさんと緑ちゃんまで……。

「あのなあ優依。おまえの言ったことは、そりゃあ正論だよ」

 でもな、とレーコさんはあくびをする。

「正論はかならずしも、正しいとはかぎらないんだよ」

「ンンンン! 岬け家訓第111条『正しきなかにも邪悪あり』ですなあ!」

 その家訓は……まだ教えてもらっていない。

 また、あの浮かびあがるような感覚。

 とん、とレーコさんが、わたしを地面におさえつけるように、肩に手を置いていた。

「それより、どういうつもりだ? イッペン」

 レーコさんは朝のようなするどさはないけど、やっぱりけわしい顔でイッペンさんをにらむ。

「ンンンン? さあて? なんのことやら」

「おまえの力を使えば、その子とおかあさんを会わせてやるくらい、できるだろ」

 えっ!?

 わたしと緑ちゃんはそろって声をあげて、うすら笑いを浮かべるイッペンさんを見つめる。

「ヨルルン、本当?」

「そりゃ、できるさ。死神なんだから」

「死神……」

「あー、でもあたしには無理な? 弱いんだよ。あたしはさ」

 わたしのせいで泣いている怜央くんは、この会話は聞こえていないらしい。

 心苦しいけど、このすきにイッペンさんを問い詰めるとしよう。

「イッペンさん」

「なんでしょう? お嬢様」

「怜央くんを、おかあさんに会わせてあげてください」

「ンンンン! それはむずかしい! じつに! むずかしい相談なのですよ!」

「なんで?」

「わたくしが死神の力を使うには、怜央くんの『シノカ』の力を最大まで高めなければならないのです。そのためには、『シノカ』をフルチャージしなければなりません」

「わかった」

 わたしは泣いている怜央くんにそっと近づくと、やさしく声をかけた。

「怜央くん、ごめんなさい。わたし、ひどいこと言った」

「うん……」

 ぐすっぐすっと鼻をすすりながら、怜央くんはしっかりとわたしの声を聞いてくれた。

「いまから、わたしから怜央くんの『シノカ』に、チャージを渡すから。だから、わたしと戦って?」

 そうは言ったけど、しかし、これは戦いではない。

 わたしがわざと負けて、怜央くんの『シノカ』にチャージを渡す。

 そう、言うなれば……。

 八百長! というやつだ!

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