岬け家訓第19条『友と言わずに友をやれ』

 おおあくびをするわたしを見て、緑ちゃんがふしぎがった。

 朝のげた箱。そこでいっしょになった緑ちゃんと、教室までの長ーい廊下を歩いているという状況だ。

「優依ちゃん、ねむそうだね」

「ふぁあ。起きたのが二十分前だから……おかあさんに怒られちゃった」

「二十分って……どうやって間に合ったの?」

「必要最低限のみだしなみ。ごはんはよくかんでゆっくり食べて……歩いて三分。ギリギリセーフ!」

「歩いて三分……? 小学校のまわりにそんな家なんてないけど……?」

「ほら、あるじゃん」

 わたしは廊下の窓から屋根だけが見えている、岬けのお屋敷を指さした。

「えっ! 優依ちゃんのおうちってあの、おばけ……お屋敷なの?」

 うぐ……緑ちゃん、いま明らかに「おばけ屋敷」って言いそうになったよね?

 まあ、じっさいにレーコさんというおばけみたいなものが住み着いていたわけだし。

 玄関のあしあともきっときもだめしにやってきた不届き者がいたせいなんだろうとは思ってたけど……。

「ご、ごめんなさい! でも、いいよね。家と学校が近いと」

「まあねー」

 まあいいか、と、わたしはまた大きくあくびをした。


「7-1」と書かれた教室は、きのうわたしたちが入ったところ以外にもあるらしい。

 その教室たちはぜんぶがふしぎな空間でつながっていて、どの入り口から入っても同じ教室にたどりつくのだという。

 ただし、そのためには『シノカ』が必要で、『シノカ』を使わずにドアを開けるとなんのへんてつもないあき教室につながるという。

 朝の会が終わって1時間目がはじまるまでのあいだに、緑ちゃんがそう説明をしてくれた。

 岬け家訓第72条『今日のふしぎは明日の常識』っというわけで、きちんと覚えておく。

「あの、それでね、優依ちゃん……」

「ふぁはあ?」

 しまった。まだあくびがぬけきれていないっぽい。授業中にやらかさないようにごしごしと目をこする。

「その、きのうは、ありがとう」

「いや、あやまらないといけなかもって、思ってた」

 緑ちゃんもまた、どうしてもかなえたい願いがあったかもしれない。

 だけどわたしは、その意思を確認せずに「戦わない」って宣言してしまった。

 そう言うと、緑ちゃんは笑って、「ううん」と首をふった。

「本当に、ありがとう。私は戦うなんてことできそうにないし。でも本当にお礼を言いたいのはね」

 すこしためらうように自分の手をぎゅっとにぎってから、緑ちゃんはわたしの手をそっとにぎった。

「ともだちって、言ってくれて、ありがとう」

 ぽかんとするわたしを見て、緑ちゃんは照れくさそうに笑う。

「ンンンン! 岬け家訓第19条『友と言わずに友をやれ』ですなあ!」

 ふわっと、あくびのせいではなくからだが浮かびあがるような感覚。

 あれ……? わたし、第19条はまだ教えてもらってなかったんだけど、じゃあこの声は……?

「優依ちゃん!?」

 緑ちゃんの声でわたしはぱちりと目を開ける。

 いや、ずっと目は開いていたんだと思うけど、ふわふわとして、一瞬気を失ったようになっていたらしい。

「おまえ……」

 わたしの後ろの机の上であぐらをかいていたレーコさんが、勢いよく立ち上がる……いや、浮き上がる? とにかく空中でぴんと身構えて、声のしたほうをにらんでいた。

「おひさしゅうございます、お嬢様」

 教室のドアのところに、上着の後ろがしっぽのようにわかれた黒い服を着た、おとうさんよりは若いけど、しっかり大人の雰囲気をまとった男のひとが立っていた。

 あの服……お祝い事なんかで着る、たしか燕尾服っていう気合いの入ったものだ。

 授業参観でもなかなかこんなものを着てくるひとはいないだろう。

 つまり、このひとは……

「わたくし今は名をイッペンともうします。お嬢様は、レーコ……とおよびしてもよろしいのですか?」

「いいけど」

「ンンンン! めっそうもない! わたくしごときがお嬢様を気軽にお名前でよぶなど! できるはずも! ございませんなあ!」

 なんというか……めんどくさい、というよりうっとうしいタイプのひとだな……。

「そしてそちら! わがミサキ小学校にとうとう舞い降りられた、岬けの正統!」

 わたしを指さし……ではなく、てのひらを上に向けてうやうやしく紹介するようなポーズ。

「岬け家訓第20条!」

 男のひと……イッペンさんに突然そう言われて、わたしは反射的に声をあげる。

「『やましくないならやかましく』!」

 言ってから、しまったと教室を見わたす。みんながぎょっとしてわたしを見ていた。

「おおっと、失礼をいたしました。わたくしの姿も声も、『シノカ』を持たない生徒には見えませんからなあ! ンンンン! お嬢様が! 突然! おおごえをあげたようにしか! 見えませんでしょうなあ!」

 うわあ、このひと、絶対わかったうえでやってる。

 わたしをわざと恥ずかしい状態にしようとして、しかも、それを楽しんでる。

 めんどくさいし、うっとうしいし、めちゃくちゃタチが悪い。

 ふん! それがどうした!

 わたしはイスにふんぞりかえると、イッペンさんに「ふん……」とばかりにすまし顔をしてみせる。

「おやおやおやァ! このお嬢様は、ずいぶんと肝がすわっておられますなあ! どこかのだれかさんとは! ンンンン! まるでまるで! おおちがい!」

 ふん……そのていどでわたしのすまし顔モード(たったいま命名)をくずせると思わないことね……。

 ぎりっ、と歯がけずれるような音がした。

 ふりむくと、レーコさんがすさまじく冷たい……だけど燃えるような目でイッペンさんをにらんでいた。

 いつもの力がぬけているけどクールなレーコさんとは、まるで別人。

 顔はこわばり、静かに震えている。

 その表情はとても冷たく感じた。

 だけど、それは自分の中で燃えているなにかを、必死におさえているのだとわかった。

「で、用件はなんなの?」

 ためいきをついて、ヨルさんがふたりのあいだに割り込む。

「ンンンン……わたくし、本来はあなたのような、下級霊と話す言葉はもちあわせませんが……」

「そうだな。あたしもできれば、あんたとなんか話したくないよ」

「よいでしょうよいでしょう。わたくしの用件はお嬢様がたに対してのものです。わたくしがとりついている顧客……いえいえ、生徒が、お嬢様との戦いを所望されておられます」

「優依は戦わない」

 レーコさんが言うと、わたしもすまし顔モードのまま小さくうなずく。

「ンンンン! ではわたくしの顧客の願い事を、聞くだけ聞いてもらえませんか? 聞くも涙、語るも涙の、それはそれは、けなげなものなのです……」

 イッペンさんはにんまりと笑う。

「1年1組出席番号5番、田中たなか怜央れおくん。彼の願いは……」

 ばっ! と腕を広げ、また笑った。

「なくなったおかあさまに会いたい……というものなのです」

 タイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴ると、イッペンさんの姿は消えていた。

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