岬け家訓第17条『都合が悪けりゃ都合しろ』

 わたしがミサキ小学校に転校してきて、そろそろ一ヶ月。

 夏休みが明けてすぐにここにやってきたのに、山に囲まれたミサキ小学校は、はやくも秋の気配を感じさせている。

 山からふく風が、ときどきびっくりするほど冷たくて、びっくりしたり。

 不審なエビフライが落ちてる! と思ったら、リス(野生のリスがいるの!)がかじったあとのまつぼっくりだったり。

 裏山には赤松がいっぱい生えているから、近いうちにマツタケ(!!!)をとりにいこうか、とおとうさんと話したり。

 一ヶ月。クラスのみんなともなかよくなれたし、とくに緑ちゃんとは死神のこともあって、今ではなんでも話せる貴重なともだちだ。

 それと、死神の戦いは、わたしと緑ちゃんは早々に「戦わない」と決めていたので、ほかの生徒から戦いをいどまれることもなかった。

 いたって平和な、一ヶ月でした。

 そんな放課後。4年1組の教室を出ると、となりの教室からだれかが飛び出してきて、こちらに猛然と突き進んできた。

「緑ぃーーー!」

 その小さな影は、わたしのとなりの緑ちゃんにタックルを食らわせると、そのまま廊下に押し倒した。

「緑ちゃん!?」

 わたしは思わず身構えるが、とうの緑ちゃんは困ったように笑って、「だいじょうぶだよ」と手をふっていた。

美砂みさちゃん、どいてくれない……?」

「やだよ。緑が泣いてあやまるまで……ふぎゃっ!」

 おっといけない。

 緑ちゃんに馬乗りになっている女の子を、わたしはスムーズな動きで抱きかかえて、よいしょっと持ち上げていた。

 わたし、空手と並行して、古武術を応用した介護術、というものもちょっとばかし習っていたのです。

 力の入らないひとや、はては抵抗するひとを、やすやすと持ち上げるくらい、わけないってことだ。

 その証拠に、わたしに持ち上げられた女の子はバタバタと暴れようとしているが、わたしのからだの持ち方がそれをゆるさない。

「はーなーせー!」

「ほい」

 ご要望どおりにぱっと腕をほどくと女の子は廊下にドシン! としりもちをつく。

「いったー! このぉ!」

 ターゲットをわたしにかえて突進してくる女の子。だが……。

「はーなーせー!」

 わたしはすぐさまその子を肩にかつぎあげた。

 ワハハハハと悪者みたいに笑って、その場でグルグルと回ってみせる。

 不安定な状態で、土台のわたしが回転しだしたら、かつがれた当人にとっては目が回るどころのさわぎではない。

「やーめーてー!」

 悲鳴のようにそうさけんだところで、わたしは回転をやめてその子を床におろしてあげる。

 足もとがおぼつかず、床に手をついてくらくらしている女の子。

「で、だれ? この子」

橋本はしもと美砂ちゃん。3年生」

 緑ちゃんはわたしの大立ち回りにあぜんとしながらも、きちんと紹介してくれた。

「こ、このぉ、転校生のぶんざいで……」

 ぜいぜい言いながら、美砂ちゃんはわたしをきつくにらんでくる。

 わたしはやさしくにんまり笑うと、廊下に倒れたままの緑ちゃんに手を差し伸べた。

「あ、ありがとう……」

 軽々と緑ちゃんを引きよせる。勢いあまってわたしのほうへと飛びこんできそうになるのを、落ち着いて手で受けとめた。

「緑ぃ……なんできのう、あたしといっしょに帰らなかったんだよ……」

「えっと、きのうは、優依ちゃんが忘れた宿題を、きちんとやるまで見張るようにって先生に言われて……美砂ちゃんが先に帰っちゃったから」

 いやー、きのうは本当に大変だった。

 先生が本気で怒って、有無を言わせない迫力があったよね。

 え? なんで先生がそこまで怒ったのかって?

 それは、まあ、あれですよ……つねひごろの行いといいますか……。

 とにかく! きのうはまじめに反省したので、もう気にしない!

 あっ、緑ちゃんには悪いことをしたと思っております……。

「きのうは塾があって、4時には学校を出ないといけない日だったの! それに間に合わせない緑が悪い!」

「そ、そんなあ……」

「岬け家訓第17条! 『都合が悪けりゃ都合しろ』!」

 いきなりおおごえを張り上げたわたしにびっくりしたのか、美砂ちゃんがからだを支えていた手をすべらせて廊下にからだをぶつけた。

「び、びっくりした! なんだよいきなり……」

「あはは……優依ちゃんはこういうひとなの……」

 緑ちゃんの言葉に、美砂ちゃんがカッとなって立ち上がる。

「なんだよ! 先月転校してきたばっかのやつに、そんな口をきいて!」

 ぽかんとするわたしと緑ちゃんを見て、美砂ちゃんは顔を真っ赤にしてから背を向けた。

「緑はあたしの言うことだけ聞いてればいいんだ……」

「わわっ、美砂ちゃん、泣かないでよ……ヨルとミナミさんに怒られちゃう」

「泣いてない!」

 ふりむいた美砂ちゃんの顔も目も真っ赤で、目はうるんでいて、今にも涙があふれそうだった。

「あらら? いけませんねえ。上級生が下級生をいじめているのは、いけませんねえ」

 かつ、かつ、とくつの音を鳴らして、スーツを着た大人の女性が3年生の教室から出てきた。

「わわっ、ミナミさん。ちがうんです……これは……」

 3年生の担任の先生かと思ったけど、緑ちゃんの話し方は、先生に対するものとは微妙にちがう。

「うーん、これはヨルちゃんにも、指導が必要ですかねえ。死神はきちんと、とりついたひとをみちびかなければ、いけませんもんねえ」

「えっ、死神?」

 わたしの声に、はいはいとうなずいて、こちらを観察するようにじっと見る。

「あなたが、優依さんですね。わたしはミナミ。こちらの美砂ちゃんにとりついている、死神です」

 これはこれは、ごていねいにどうも……と、携帯電話で話しているサラリーマンみたいに頭を上げ下げしてしまうわたし。

 ミナミさんは美砂ちゃんの肩に手を置くと、よしよしと背中をさすりはじめた。

「どうしたんですか、美砂ちゃん。緑ちゃんになにか、意地悪をされたのですか?」

「うう……ミナミ先生、あいつ、やっつけて」

 いじけた顔で、美砂ちゃんが指さしたのは……わたし?

「あらら? いいんですか、美砂ちゃん。死神にお願いをするという意味を、わかっていますか?」

「わかってる! いいからあいつを、やっつけて!」

 うーん、これ、どう考えてもわかってないひとの口ぶり。

「しかたありませんねえ。優依さん、悪く思わないでください……ね」

 瞬間、校舎の中が凍りついたかのように、わたしの全身をとてつもない寒気がおそった。

「優依!」

 真っ青な顔をしたレーコさんが、わたしの前におどり出る。

「緑! なにがあった!」

 あわてたヨルさんも4年生の教室から飛び出してきて、まず緑ちゃんに確認する。

 だが……。

「なにって……?」

 緑ちゃんは、この明らかな異変に気づいていないようだった。

 いや……じっさい、なにも起きてはいない。

 ただ、ミナミさんがわたしを見て、すこし、目にこめる力を強めただけ。

 たったそれだけで、わたしは極寒にほうりこまれたように、震えあがってしまった。

「……先生、なにをする気ですか」

 ヨルさんがめずらしくていねいな言葉で、ミナミさんを問い詰める。

「ええ。美砂ちゃんのお願いですので、そちらの優依さんを、やっつけようかと」

 短く、ヨルさんとレーコさんがアイコンタクト。

「緑! 肩かせ!」

 いきなりヨルさんがわたしをひっつかんで、ミナミさんと反対方向へとかけだした。

「えっ? わわっ、なに、いきなり!」

 ヨルさんはわたしを緑ちゃんへと放り投げ、自分はその場に立ちふさがる。

「いいから逃げろ! 学校から出れば、この場の戦いは流れる!」

 ドーーーン……地鳴りのような低い音が鳴りだし、木造の校舎がみしみしと悲鳴をあげだした。

「優依ちゃん……?」

 緑ちゃんはそこで、わたしの異変に気づく。

「ご、ごめん、緑ちゃん……わたし、立てないっぽい」

 今まで生きてきて、いちども経験したことのない、だけど言葉だけはよく知っている状態。

 わたしは完全に、腰がぬけていた。

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