黎明へ翔ける・2

組んでいた腕をくずして、ダンは上着のポケットからメモ帳を取り出した。そしてもう一つ。試験官に入った透明の液体を引っ張り出してロランスに投げた。ロルフから目を離さず、彼女はそれを受け取る。栓をしてあるコルクを取った。


「これはなんですか?」

「応急処置だ。怪我をしたままのレディをそのまま戦わせるわけにはいかないだろ」

「ありがとうございます」


こうなることは予測できていたようだ。ダンがあらかじめ持ってきていた薬を飲み干す。そして床に叩きつけて割った。そして合図なしにダンはメモ帳を引きちぎって宙へ投げる。強烈な光が数秒にわたって輝く。スタングレネードのようなものだ。油断した狼は怯み、動けなくなってしまう。銃声がした。ロルフは考えなく、とっさに移動する。同じところにいては撃たれる。狼たちもロルフに続いた。視力の回復はまだ先だか、人狼たちには鼻がある。匂いで空間の把握をし、視力に頼らないで回避をした。


「なるほど。ならこれはどうだ」


またダンはメモ帳を破く。床に張ると、木造の床が大きくうねった。バリバリと分解されていく。まるでサメの口のように大きく開いた床はロルフと狼を飲み込んでしまった。床に食べられたロルフと狼を追い、ダンも床に空いた穴へ身を投じる。ロランスもためらいなく床の中へ消えていった。


「錬金術師ってあんなふうに戦うことができるんだ」


感心したように残された赤井が元に戻った床を眺める。一階の方から物音が聞こえてくるあたり、彼らはそこにいるようだ。

疲れ切っているのか、ずいぶんと痛めつけられたのか、高蔵寺は静かに項垂れている。長い髪を垂らし、表情は見えないが、いまだにポタリポタリと口から血を流している。


「考えたんだ。赤井は、本当は……優しいことを俺は知っている」

「あたしが優しい? この状況でよく言えたもんだ」


赤井は九条を殺そうとした。九条の姉を殺した。高蔵寺を拉致した。それはすべて、自分を殺すために。


「嘘なんだろ?」


口を開いて口上の続きを離そうとしていた赤井が固まった。ゆっくり口を閉じて、黙ったまま九条をみつめる。赤井が沈黙したことをいいことに、九条は続けた。沈黙したまま否定をしないということはおそらく心当たりがあるのだろう。


「姉貴を殺したのは嘘だ。俺を殺そうとしたのも」

「なんだそれ。根拠でもあんの?」

「信じてるから」


それは根拠ではない。赤井の言動が嘘であるという証拠にはならない。馬鹿らしいと赤井は笑った。そんな理由が通用するはずがない。九条のいうことは現実的ではない。


「ばっかじゃないの!」


呆れ、赤井は荒々しく息を吐いた。舌打ちまでして、半ば怒鳴るようにして叫ぶ。


「信じてる? はあ? 笑わせないでよ。あたしはたしかに九条沙夜を殺した。九条悠を殺そうとしたのも本当だ。あんたの言うことは妄言に他ならない!」

「赤井にメリットがないだろ。姉貴を殺すことにも俺を殺すことにも」

「なんだって?」

「仲間だと言って、死んでほしくないからと俺を吸血鬼にした。それから二年後に俺を殺すためにわざわざ姉貴を殺す意味がわからない。俺を人間から吸血鬼にしたくせにたった二年で俺を殺すことに決めた心変わりも、……ありえなくはないが、赤井に限ってはありえない」

「たった少しの時間しかあたしは九条と一緒にいなかったじゃないか。それなのにあたしの何を理解したっていうんだ」

「赤井の優しさを理解するには十分だ」


赤井はまっすぐ九条を睨んだ。そして踏み込む。続きは言わせないと、九条に急接近した。赤井が目の前に現れてから九条は彼女が得物を持っていることに気が付く。


抜刀! 速い!


九条が回避する暇などない。まっすぐ首を狙っている。美しいほどの一閃を九条に見舞う。


「九条……っ」


高蔵寺の声がうっすらと余韻した。

九条に回避する暇などなかった。赤井が得物をもっているとは全く知らなかった。考えていなかった。鋭い刃が空を滑り、九条の首へのびる。回避できない。防御もできない。吸血鬼は首を斬られたところで死ぬことはないとはいえ、この緊迫状況では治癒のまえに心臓を穿たれてしまうかもしれない。――それ以上に、九条は人間臭い吸血鬼だ。いまだ人間だった頃の感覚が色濃く残る彼はつい、首を守る。

首を守るために、手を伸ばして刃を掴んだ――。

赤井が持つ日本刀の切れ味は抜群だ。強く九条が刃の部分を掴んだため赤井の攻撃は減速したが、止まるわけではない。九条の手がぽろりと落ちるだけだ。親指を残して手の半分以上が削がれる。九条は左手を失ったが、減速した刀を回避することができた。


「――ッ」


手を失った強烈な痛みに、言葉を失った。直後、高蔵寺が紡ぐ。


「『九条悠の治癒を早く』」


止血が始まった。九条の流血はゆっくりととどまる。その様子を見た赤井は口の端をあげ、にんまりと笑っていた。


「言霊すごいね」


と。

背筋にいやな汗がつたった。悪寒さえしてくる。赤井の死を防ぎたくてここまできたのに、赤井はすでに高蔵寺を拉致した目的を果たしているというのだろうか。まさか、まさかまさか。


「こりゃ楽しみだ……」

「赤井、まさか、もう」

「高蔵寺って口が堅くて、ちょっと手間がかかったけど。まあ言霊が効くならあの頑固っぷりも水に流すってもんだ」

「赤井は高蔵寺の言霊を使ったのか……!? 確実に自分が死ぬように!」

「正解」


 九条の目は大きく見開き、口をぱっくりと開いたままだ。


――それを防ぎたかったのに。


赤井は自らの死を望んでいる。その願いをやっと叶えるために、赤井は高蔵寺の言霊使いとしての力を利用して確実なものとした。運命に干渉することも可能な言霊。どうあがいたって、それは現実になってしまう。たとえどんな過程を踏んだとしても。


「ごめんなさい。……私のせいよ」


ぽたりとまた高蔵寺は口の端から血を流した。自責の念にあふれた高蔵寺は顔を持ち上げる。顔にはいくつものあざ、擦り傷がある。赤井が言霊を使うように強要したのだろうことは明白だ。「いいや」と九条は高蔵寺を庇護したかったが、それ以上に赤井が本当に死んでしまうという事実がとてつもなく衝撃的だった。

九条にとって赤井はただの友達ではない。仲間ではない。死線を潜り抜けた同士だ。親のように敬い、兄弟のように親しい。九条を人間から吸血鬼にした要因であるし、九条の能力は赤井から継承されている。九条の人生には赤井が欠かせない。


その彼女が自ら死を望み、そして本当に死んでしまう。


切断された手の痛みなどとうに忘れ、身動きができなくなってしまった。


絶望している九条に赤井はただ微笑んでいた。達成感のあるすがすがしい笑みで。


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