真夜中に沈んでいく・8

「赤井とは、やっぱりもう一度会って、話をする必要がある」


こぶしを強く握って、九条は大きくはっきりと告げた。

真っ赤な瞳は紅蓮に燃え、強い意志を宿している。それを見たダミアンは肩の力を抜き、ロルフはうなずいた。


「心当たりはあったようだな」

「よかった」


連れ去られた高蔵寺をどうするつもりなのか、九条にはそれが想像できてしまった。今一度、赤井がどんな人なのかを思い返してみれば、容易に想像がつく。あとは赤井の居場所がわかればいい。ここは田舎で、隠れる場所は山ほどある。人気のないところはたくさんあるのだ。赤井と行動を共にしていたロランスになんとか情報を聞き出さなくてはならない。

あらためて九条はロランスが眠っている寝室に足を向けた。


「俺は練丹術にまったく精通していないが、薬の調合はできたはずだ。傷の回復ははやいだろう」

「れんたん、できたの?」

「完璧とは言えないが、錬金術と根本は同じだからな」

「ふーん」

「あんまり理解できてないだろ。むしろ興味ないか」

「よくわからなかった」

「あっそ」


ダンを置いてロルフも九条のあとについていった。小さく息を立てて眠るロランスを目の当たりにして、九条はまじまじと彼女を見た。九条が半吸血鬼を見るのは初めてのことだ。一見は吸血鬼らしいところなどない。肌は温かいし、血の匂いなどしない。強いて言うならば、顔つきが整っていることが吸血鬼らしいところだ。しかしこれは単に彼女の容姿がいいだけで吸血鬼に要因はないのかもしれない。滑らかな白い肌とほんのり火照った頬、色のついた唇から吐かれる浅い息。幻想的なまでに美しい金の髪とはっきりした顔立ちは見慣れないものだ。

これが敵か、と九条は見下ろす。吸血鬼となってから九条はハンターと対面したことがない。客観的に見ればちょっと容姿の整った普通の少女にも見える。一目見ただけではハンターだと見極めることができなかった。


「……」


ロランスのまつげが揺れた。ゆっくりと意識が浮上する。

「起きた」


いつもより低い声で言うロルフを制して、九条は気分を窺った。彼女は赤井と高蔵寺の居場所を知っているかもしれない重要人物だ。敵意を丸出しにしたところでメリットはない。

上体を起こして、ロランスはしばらくぼんやりした顔を浮かべていた。ただしそれは無言で無表情である。それから視線を落とした。


「殺すのならば殺してください」


敗者であるロランスは潔く自らの首を差し出した。そこに彼女の意志は感じ取れない。まるで機械のようで、ただマニュアルに沿った反応だった。


「赤井と高蔵寺の居場所を教えてくれ。どこにいる」

「……。わかりません」


九条の眉間にしわができた。ロランスの態度は変わらず、ずっと視線を落として抑揚のない言葉を出す。シンプルな受け答えだ。急がねば、もしかしたら、赤井は実行に移してしまうかもしれない。なによりもそれは阻止したいことである。そうしなければ、赤井に手を伸ばすことができなくなってしまうではないか。


「なんで分からない。いままでお前は赤井とどこにいたんだ」

「ビジネルホテルです。一室を借りて、拠点にしていました」

「高蔵寺を連れた状態で居場所の知れたビジネスホテルに赤井が戻るはずがない……。なら、心当たりはないのか。赤井が行きそうな場所は分からないのか」

「わかりません。私は赤井とそういった会話をしたことがありません」


あまりに無機質な返答だ。ロランスに感情はない。人間らしい心が見えない。質問には答えるが、それだけだ。機械を相手にしているようである。これ以上の質問には意味がないのかもしれないと思い、九条は大きく落胆した。


「……知らないなら仕方がない。ロルフは匂いで赤井たちを追えそうか?」

「赤井は霧になって消えた。むずかしい」


実態のある状態での撤退とはわけがちがう。赤井はあえてロルフが嗅覚で追跡することができないよう霧に変身しているのだ。


「高蔵寺は人間だ。霧になれないはずなのに……」

「赤井は変身能力の高いの吸血鬼だ。赤井の素質が吸血鬼に合ってるのか、もしくは赤井を吸血したヤツがかなり強力な吸血鬼だったか」


吸血鬼の能力は継承されていく。赤井を吸血した吸血鬼の力が強ければ、その後に続く吸血鬼も強くなり、同じような能力を手にする。赤井と同じ能力はいまだ九条には現れていないが、まだ吸血鬼になって日が浅い。これから時間をかけて継承が表面化するのだろう。


「なら、どうする?」


そう悩むロルフは腕を組む。九条に捜索はできない。ロルフの嗅覚も赤井の策略でうまく働くことができない。ロルフはダンを無言で見つめた。ダミアンとロルフの目が合う。ダンはロルフを睨んでいるが、知ったこっちゃない。十分ほど無言で見つめていたが、ダンの方から「わかった」と妥協してくれた。


「この分は高くつくからな」


とロルフと九条を指したあと、デスクの上にある紙の山の中へ手を突っ込んでなにやら取り出した。取り出す際、山は崩壊していた。それらを窓の外へ放り投げる。高蔵寺がたまに使う式神のようにも見える。それらの紙は形をそのままに、町へむかって散らばっていった。


「あの」


そこへロランスが初めて意志を示した。敗者という意識が強いのか、控えめで九条とロルフのどちらとも目を合わせず俯いている。


「赤井のところに行くのなら私も同行させてください」


言葉の最後は消え入りそうだった。その言葉にロルフは静観。九条がなぜと問うと彼女はすこしだけ困ったように首を傾けた。言葉に詰まっているようで、唇は動くものの声に出ていない。


「私にも、その……理由はわかりません。行ったところでやりたいことなんてありません。でも行きたいと思うんです」

「俺は反対。用がないからここで殺そう」

「それでもかまいません」

「なら殺す。ハンターを生かしておく理由がない」

「待て。赤井を確実に殺せるのは吸血鬼ハンターの彼女だ。赤井を相手に取る以上、彼女を殺させるわけにはいかない」


ダンがロランスの近くまで寄って行って、ロルフとロランスの間に割って入った。ダンの目的は魔眼である。そのためには赤井に死んでもらわなくてはいけないのだ。そのための手段の一つとして吸血鬼ハンターのロランスは欠かせない。


「ダンは関係ないんだろ」

「関係はないが、用はある」

「?」


ロルフにはその意味が理解できなかったようで眉をひそめていた。一方の九条は冷めていて、ダンの用には興味がないようだ。


「俺の邪魔さえしなければどっちだっていい」

「んん……。高蔵寺を助けるのが、一番」

「そうだな」


ロランスは弱っている。今の彼女を殺すことは赤子の手をひねるようなものである。ロルフは優先順位を考えて、高蔵寺を助けることに集中することにした。おそらく、このままロランスを殺すべきだと抗議したところでダンには通じない。その上、今はダンの力で高蔵寺を捜索しているのだ。ダンに抗議をし続けていれば、捜索を中断される可能性がある。それは避けなくてはならない事態だ。


「弱みを握られたような気分だな……」


九条もロルフと考えていることは同じようだ。今はダンの言うことを甘んじて受け入れることにする。

それからダンは赤井と高蔵寺の居場所を発見した。四人は彼の車に乗ってその場を目指すことにする。場所は市街地から遠い山の中だ。車でおよそ四十分。木々で月光は遮られ、ただ沈黙の闇色だけの世界。冷たい空気が流れ、生き物の体温を奪っているようだった。虫の鳴き声ひとつしないそこは明らかに侵入者を拒絶している。


「この山の頂上近くに、どうやら建物があるらしい。この様子じゃあ廃墟だろう」


ダンが先頭に立って歩く。最後尾はロルフと二頭の狼だ。慣れない道のりにダンはたびたび足をとられ、思うように先へ進まない。


「そこにツタがある」

「いし」

「そこは道じゃない」

「ぶつかる」


暗くて見えないダンに九条とロルフがいちいち忠告をいれ、車を停めた位置から徒歩に十分。そうして見えたのは、木が伐採されて大きく切り開けた所だ。木々の向こうから除く洋館は異質。ちょうど背の高い木に囲われているためか、外観からでは姿が見えない洋館だった。レンガ造りの洋館は全体的に赤茶色で、まっくらな窓枠をいくつも並べた二階建て。年季が入っているためか、外装は剥がれ落ちているところも多々。壁には大きくツタが張り付いていて洋館を飲み込んでいたり、コケが広がっている。

九条は迷いなく洋館へ向かって歩みを進めた。一度立ち止まって洋館を見上げていたロランスは後れを取らないよう駆け足で一行に追いつく。


「開けるぞ」


玄関らしき大きな扉の取っ手に触れ、九条は言う。さび付いた取っ手からは鼻につくようなねっとりとした鉄さびの臭いがする。


「ああ」


はじめは重く、びくともしない扉がギィと大きく動いて口を開けた。中から滑り出たのは湿気の多い空気。足元を流れて外へ逃げていく。カビ臭いにおいと埃っぽいにおいが混じって、ロルフはつい咳き込んだりもした。


「分かるか、ロルフ」

「わかる。高蔵寺はこっちだ」


ここまで来たらロルフと狼たちの嗅覚も頼りがいのある力となる。高蔵寺の匂いはたしかにこの洋館の中からしていた。ダミアンが持って来ていた薬を飲んで夜目の利くように作用させるとロルフの後に続いた。


もうすぐ赤井と再会する。


おそらく今夜が決戦となるだろう。その緊張と覚悟に九条は全身から汗が湧き出てくるような感覚を思い出した。強くこぶしを握り締め、決意を新たに挑む。



   ◇◇◇◇◇◇



「あなたの言葉には魂が宿っていないわ」


高蔵寺があくまで強気な態度を崩さず赤井に話しかけたのは九条たちが山に入ったのと同時刻だった。ゆっくりと赤井の眼が高蔵寺を向く。


「嘘が多いみたいね」

「なにが言いたいわけ」

「あなたは九条を本当に殺したいの?」


的確な言葉を突き刺す高蔵寺を赤井はにらむ。言霊使いというだけあって、その言葉の真意を見抜く力にも長けているようだ。赤井が本当に九条を殺したいか、だって?


「ずいぶんと余裕じゃないか」


高蔵寺はいわゆる人質である。


両手は背中側で腕から手首までしっかりと結ばれ、脚もふとももから足首まで網のように縄が交差して結ばれている。椅子に座った状態で身動きの取れない高蔵寺に赤井はゆっくりと近づいた。その冷たい指を高蔵寺のほほに乗せ、そのままゆっくりと首に通る動脈を撫でる。高蔵寺の命は今や赤井の思うがままだ。生唾を飲み込んで高蔵寺は赤井を見上げる。弱気を見せてはいけないと、強い眼差しで。


「あんたはあたしの言うことを聞けばいいんだよ」

「……それはどういう意味かしら」

「あたしがあんたをなんのために連れてきたと思ってんの」


赤井の指は高蔵寺の喉へ。高蔵寺は胸の中を支配していく恐怖を打ち払うために己を奮い立せる。しかし高蔵寺は勇気ある人物ではない。いまにも手足が震えてしまいそうだ。声が裏返ってしまいそうだ。赤井から目を逸らしてしまいたい。歯を噛み締めることでなんとか、なんとか恐怖を悟られないよう隠す。


「あんたの言霊で一言言ってもらうためさ」

「何をお望みかしら?」

「赤井きよは今晩、必ず死ぬ。ってね」


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