真夜中に沈んでいく・5


「俺が今日言ったことを覚えているか?」


その呆れた声はため息とともに。


「忘れた」


九条はダンに向かってはっきりと、詫びれなく言い返した。

辺りは静まり返り、世界は夜の支配下に置かれた時刻。太陽が沈んでやっと九条が問題なく行動できる時間帯に突入した。九条はロルフとともにダミアンのいるアパートを訪れている。


九条が起床した夕方、高蔵寺の家にはロルフが帰っていたが、家主はいなかった。血まみれのロルフと、彼が抱えている吸血鬼ハンターのロランスには目を剥いて驚いた。ロランスが気絶しているようで意識は取り戻していないが息をしている。ロルフから高蔵寺が赤井に拉致されたことまでの経緯を九条は静かに聞いていた。

ひとまず、このロランスは家に置いておけないと、ダンのところまで持ってきたのだった。


「中立なんだろ」

「部外者だ。……ちなみに、なぜ気絶している高橋を殺さない?」


絶好のチャンスだろう、とダンは首を傾げた。


「このハンターは赤井と行動していたんだ。高蔵寺の居場所を知る手掛かりになるかもしれない。使えるうちはまだ殺さない」

「なんだ。お前にも理性はあるのか。非常食にでもするのかと思った」

「……失礼だな」


ロルフが抱えてきたロランスをダンのベッドへ投げ飛ばす。ロルフがあまりにも雑に寝かせるものだからダンが整えてやると、その様子をみてロルフがすぐに目をそらした。

九条、ロルフ、ダンの三人がいるリビングと寝室の間にある扉は全開だ。九条とロルフはロランスに監視の目を向けている。


「俺の力が足りなくて、高蔵寺が」

「赤井とハンターが相手だったんだ。仕方がない」


九条はロルフを励ました。赤井は銀でできた刀を持っての戦闘であった。ロルフは怪我をしたものの、死ななかっただけ十分である。


どうして赤井は高蔵寺を攫ったのだろうか。九条を殺すための人質に利用するつもりか? 直接的に戦う力などない高蔵寺は言霊さえ封じられてしまえば一般人とそう変わりない。九条には高蔵寺がどうしても必要だ。なんとか彼女を無事に助け出さなくてはならない。


「高蔵寺の言霊を赤井が利用するかもしれない」


言霊を利用したいがために高蔵寺を攫ったのなら納得がいく。強く死を望んでいるのであれば、彼女の言霊は強力だ。


「あー……」


九条の推測にダンが視線をそらしてばつが悪そうな顔をした。赤井に「運命に影響できる力」と言って情報を流したのはダンである。赤井が高蔵寺を誘拐し、彼女の力を使おうとしている可能性はある。誘導したのはダンだといっても過言ではないのだ。ダンはこの事実を言わず、何事もなかったように九条とロルフに向き合った。


「もし高蔵寺の力を使われたら、どうしたってそれが成り立ってしまう。……赤井が死ぬ」

「お前は赤井に死んでほしくないのか。彼女の望みと向き合うことができないと?」


 九条の唇がつよく結ばれる。ダンは嘲笑した。


「無駄な正義感だ。それで赤井きよを救おうとしているのか?」

「――赤井と対峙する覚悟はできている」


姉を殺されている。許すことができない。しかし赤井が本当に「殺すため」だけに姉を殺したのか、いまだに信じられないのだ。二年前の赤井は本物だ。偽物じゃない。そう確信がある。だからこそ、覚悟ができた今でも赤井を疑ってしまうのだ。九条に語っていない胸の内に秘めた想いがまだあるのではないかと。


「でも、赤井がどうして死ぬことを選んで、そう望んでいるのか分からない。どうして赤井は死ななくちゃいけないんだ」

「それは俺や、そこのロルフ……、ましてや高橋よりもお前が一番理解しているんじゃないか?」

「え?」


心当たりがない。九条の知らないことを知っているダンよりも。怪物として長く生きているロルフよりも。ハンターとして死を望む赤井と行動を共にしていたロランスよりも。赤井が死を望んでいることを一番理解できない九条が理解している。


「すこし、考えてみたら? 九条だからわかることがあるかもしれない」


視線をそらし、ゆっくりまぶたを閉じる。顎に手を添えて、しんしんと九条は追憶した。



   ◇◇◇◇◇◇



九条悠が家出を決意したのは姉が原因だった。


姉弟間の仲が悪かったわけでも、家族間が悪かったわけでもない。原因は姉、九条沙夜の特異体質であった。


九条沙夜の特異体質というのは、「不幸」である。これは九条沙夜本人が不幸になるのではなく、彼女の周囲を次々と不幸にしてしまうという体質だ。たとえばよく怪我をしたり病気になってしまったり、果ては事故死まで。また、肉体的な不幸に限らず、人間関係を悪化させることもあれば、精神的に病んでしまうこともある。彼女の周りは常に不幸で、そのせいで彼女も不幸であった。


あるとき、九条沙夜と悠の両親が死んだ。


あれは九条沙夜の誕生日のことだった。バースデーケーキとプレゼントを積んだ車が大型トラックと正面衝突したのだ。運転席に座っていた父親も助手席に座っていた母親も死んだ。そのときには九条悠にも不幸がいくつも襲い掛かっていた。骨折などの怪我を負っていたり、人間関係がうまくいかず悩んでいたり。それを知っていた九条沙夜は両親の事故死や弟にふりかかる不幸に対して自責の念をえていた。深くふさぎ切り、罪悪感にさいなまれていたのだ。

九条悠、そして九条沙夜は分かっていたのだ。次に死ぬのは九条悠であると。

九条の骨折は階段から滑り落ちたもの。当たり所が悪ければ死んでいたかもしれないと医者に言われていた。人間関係というのも、それはそもそも九条の幼馴染の自殺であった。


度重なる死にまつわる不幸。九条沙夜の影響は不可避だ。関わるものは誰だって、何だって千差万別に不幸を受けてしまう。九条悠が姉の体質を受けず、これ以上彼女が沈んでしまわないようにするためには、できるだけ遠くへ離れて安全に過ごすしかないと考えた。


だから家出したのだ。九条沙夜から逃げ出したのだ。


「おや。ごちそうみっけ」


家を出て、ものの二時間。丑三つ時、九条悠はソレに遭遇した。


歩き疲れて、バス停のベンチに座って缶コーヒーを飲んでいる最中のことであった。ふんわりと濃い鉄の香りを感じ取れば、いつの間にやら見知らぬ少女が九条の隣に座っていたのだ。


短いボブヘアの少女は少々疲れ切った顔色をしているものの、唇を弧に描いて微笑んでいた。大きな瞳は赤色を灯していて人間離れしている。なめらかな肌は浮き立つように白く、乾いた唇に赤い舌が伝っていった。

齢はおよそ九条と同じくらいか年下か。人に言えたことではないが、深夜に未成年が出歩いていることがどうにも奇妙で、胸騒ぎがした。


その少女は、あまりにも不気味で、異質だった――。

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