真夜中に沈んでいく・4
赤井の腕がロルフの胴を薙ぐ。ロルフは数歩下がって踏ん張ったが、絞めていたロランスを手放してしまった。ロルフから解放されたロランスは塞き止められた呼吸を再開し咳き込んだ。
「お前はハンターを守るのか。吸血鬼なのに」
「守るよ。あたしのためにね」
「ざんねん」
二頭の狼には高蔵寺のガードを任せ、ロルフは赤井と対峙した。
懐に飛び込んだのは赤井。先制だ。肘を曲げて下から突き上げるパンチ。光速のそれをロルフは片足を引いて回避した。すぐに赤井の足が後ろ回りで追いかけてくる。連撃を回避する暇がない。これをロルフは、腕を交差させることで防御。すぐに赤井は足を引いて後退した。
赤井は腰から吊っていた軍刀をゆっくりと抜刀した。
妙に輝きのある刀身は、よく見ると銀が配合されている。吸血鬼が己の弱点を武器にしている光景がなんとも異様ではあるが、九条を含めロルフを殺す明確な意思を感じ取れる。
「さあ。かかっておいでよ、わんちゃん」
「殺す」
クレーターを作るほど強い力で地面を蹴り、ロルフは赤井に急接近した。対して赤井は上段に構え、刺突。すぐにロルフは身を屈めて刀をすり抜け、赤井に懐に入り込む。赤井は虚を突かれてしまった。ロルフの鋭い爪が赤井の腹に突き刺さった。内臓に達したロルフの指は体内で動き、赤井にとんでもない激痛をもたらす。消化器内に漏れ出した血が逆流して赤井は吐血した。ロルフの指が、手が、赤井の腹の中へなおも食い込んでくる。
「ぐっ……! この野郎!」
赤井は軍刀を振り下ろした。あわててロルフは後退したが、額から頬にかけて浅く切られてしまった。
距離を離した赤井はすぐさま上着の内側に手を突っ込み、小瓶を取り出した。どうやら中には血液が入っているようだ。それを一気に飲み干し、地面へ投げ捨てる。
「血を、ストックしてる……?」
「そうさ」
痛みは響いたままだが、赤井の流血は収まっている。どうやら飲み干した血は応急処置のためにストックしていたもののようだ。
しかしこれは止血しただけ。完治したわけではない。ロルフよりも先に赤井は先手を打って、もう一度、軍刀を構えた。下段から振り上げる。たった一歩で踏み込んだ勢いのまま、力強く。ロルフは当然避けるのだが、彼の背後にあった木が真っ二つに斬られてしまった。倒れる木はロルフの頭上に。彼の反応は遅く、木に潰されてしまった。避けようとした試みはあったようで、潰れたのはロルフの足だけだった。左足。それだけが木に潰され、その衝撃で神経が麻痺している。うまく足を引っ張りだすことができない。そこへさらに赤井の刃が追撃する。大きく振り下ろされる刀は、木の下敷きとなったロルフに避けられない。
「『刃は逸れる』」
赤井の持っている刀はたしかにロルフを狙っていた。彼の首を、正確に。狂いなく。
しかし振り下ろしている最中、赤井の腹の激痛が暴れだしてしまい、彼女は刀を狙い通り振り下ろすことができなかった。激痛に足を取られ、力が抜けた体はガクンと崩れ落ちる。刀は地面を突き刺して、赤井は片膝をついた。
そのうちにロルフは狼の助けもあって足を引っ張りだすことができたが、うまく立つことができない。重心は右足にあずけ、悪態をつく。
「――ふ」
ロルフの背後で物音がした。振り向いた時には銃声が鳴り響いた後。
ロランスが銃口をまっすぐロルフに向け、引き金を引いた後だ。
「私も、まだ戦えます。人狼に遅れは……っ」
ロランスが放った銀の銃弾はロルフの心臓を外したものの、たしかに肺を貫いた。しかしロルフは平気で立っている。
いや、平気では語弊がある。ロルフは胸部から血を流している。その血はじわじわと彼の服を濡らしていき、真っ赤に染め上げているではないか。銃弾を受けた衝撃でバランスを崩して倒れそうになったところをすんでのところで耐える。ロルフは平気ではないが平常だった。
「なに、してくれる……」
ゆらりとロルフが言う。呟くように、小さく、低く。
「お前たちは、いつも。いつもそうだ」
「……?」
「なんにもしてないのに、生きているだけなのに、俺たちを悪者にする。俺の友達も、妹も、親も、この銃弾で死んだ。人間社会に反した行為はしていなかったのに!」
まるで囁くようだった。しかし明確にハンターであるロランスを責めている。この世の理不尽を嘆いている。揺れる声はただ静かに。ぽつり、ぽつりと。
対し、ロランスは困惑した。
なんせ生まれた時から人外は問答無用で悪なのだと、人の敵なのだと徹底的に教え込まれていたのだ。まさか人狼のロルフからそんな悲嘆の言葉が吐き出されるなんて考えてもいなかった。
吸血鬼をはじめとした人外は欲に溺れ、人の営みを邪魔する魔性の悪。そのはずなのだ。
「――はっ。馬鹿馬鹿しい」
嘆声をあげるロルフを、それを聞いて途方に暮れるロランスを、赤井は鼻で笑った。
「あたしたちが人を害するのは当然だ。そしてそれを拒み、抵抗する人も当然。いまさらここに感情移入する必要なんてない。そういうもんなんだよ」
赤井は刀を大きく一振りした。正眼の構えをし、ロランスに一度視線を向けた後、ロルフを強く睨んだ。なにかロランスに言いたげな様子だったが、口をつぐんで結局その言葉を腹の内に隠してしまう。その未練がましい彼女の表情を、遠くで見つめる高蔵寺だけが気付いた。
のち、赤井が動く。
左足を動かせないロルフにとって、これは致命的だ。彼女はすぐ迫ってきた。赤井の刀は大きく振り上げられ、力強く振り下ろされる。ロルフは地面に転がり、なんとか刃をやり過ごした。四つん這いになったロルフへ、今度は低い姿勢での薙ぎ。ロルフの腕が地面を滑って土を赤井に振りかけた。目くらましだ。ロルフは大きく飛び上がり、赤井の頭上を通過。真後ろに着地すると、振り返りざまに赤井の頭を手刀で叩き落す。しかしこれを赤井は伏せて回避した。
ここで双方、いったん距離を離す。しかしロルフにはロランスの連射が襲い掛かる。リボルバーが一度に連射できるのは六発。六発もの弾丸の雨をなんとか掻い潜り、ロルフは木から生える太い枝に着地した。
「猫じゃないんだから。高いとこにいないで降りておいでよ、わんちゃん」
「……犬じゃない」
勢いをつけ、突き刺すようにロルフは赤井の真上に落ちる。赤井は後転し、ロランスがロルフへ射撃した。足を痛めているはずのロルフはその痛覚を無視し、まっすぐ赤井へ突撃していく。ロルフのターゲットは赤井だ。ロランスは障害程度。眼中にない。
ロルフを睨み、急いで装填を済ませるロランスにも己が眼中に入っていないことは理解していた。さきほどロルフに首を絞められていた時、あの瞬間から力量の差ははっきりと浮き彫りになってしまった。ロランス一人ではこの人狼に敵わない。ロルフのスピードと怪力はロランスを簡単に葬る。それは虫けらのように殺されてしまうほど無力だ。――それが、非常に悔しい。胸が絞られているのではと思うような苦しみがロランスを満たしていく。
これまで、吸血鬼ばかりを仕留めていたロランスは、今日、はじめて敗北したのだ。
吸血鬼相手に負け知らずの半吸血鬼。吸血鬼ハンターの精鋭として極東に一人送り込まれた。吸血鬼には後れを取らない自信があった。これは驕りだったのだ。情けなくもある。……いたたまれない。
ロルフへ銃口を向けているとき、ふとロランスは胸のうちにある、決して心地よいとは言えないそれに気づいて、気に留めた。
「……これは……なんでしょう……?」
その悔しさ、情けなさ。ロランスは知らない。初めての痛みだ。わからない。なにもなく、平穏だった彼女に暗雲がたちこめている。そんなもの今までなかったのに。何もない真っ白なそれに陰りができた。
「油断したな、ロルフ!」
赤井の、歓声にも似たその声にロランスの意識は現実へ引き戻される。
木々がなぎ倒されたその奥で四つん這いになっていた、痛めている左足だけ膝をつけて、まるで狼が威嚇するように、歯をむき出しにした状態で赤井を鋭い眼光で睨んでいる。
一方の赤井は二頭の狼を地面に伏し、腕を高蔵寺の首に巻いていた。
「ぐぅっ、ちょっと、苦しいわ。力を緩めてくださらない?」
「黙ってな」
首を圧迫されている高蔵寺が冗談めかしくお願いしてみたが、さらに圧迫られるはめになった。
「高蔵寺をはなせ」
「いいや。断るね。彼女は使わせてもらうよ」
「使う?」
「そうさ」
彼女を利用する話はロランスも知らないことだった。
高蔵寺はつう、と背筋に冷たい汗が伝っていくのを感じ取る。赤井の腕から逃れられない。急所である首に腕が巻かれていることが、いっそう自由を奪っていた。
立て直したロルフと二頭の狼。しかし皆負傷していた。狼の銀色の毛並みから血が滲んでいたり、足をかばって立っていたり。ロルフだって負傷したまま動き回るのも限界がある。地面に散らばった血液は大量だ。ロルフは貧血状態にもなっているのだ。
「この子さえ使えれば、あたしの焦がれていた願いが、ようやく叶うんだ」
赤井がハンターと組んだ目的だ。
己の死を望む赤井の切望。
「それが高蔵寺とどう関係あるんだ。九条じゃないのか」
「ああ」
肯定する。
「九条を殺すより、もっと確かで簡単な方法を思いついたんだ」
高蔵寺をみる赤井の視線は獲物を見るそれと同じだ。高蔵寺が一言でも発する前に口を塞ぐ。口の中に指を突っ込んで舌を動かさないよう固定した。言葉が発せなければ高蔵寺の力は無効だ。言霊を扱えない高蔵寺は退魔師としての力を急激に失った。そうした高蔵寺は警戒すべき退魔師ではなく、ただの一人の人間になってしまう。
特異の力などない人間の抵抗など吸血鬼を前にすれば成さない。
銃口を向け、ロルフをけん制するロランスも、赤井の言葉の意味は分からない。高蔵寺を利用して願いを成就させようと企んでいることは察することができる。もしかして、と今朝がたのダミアンとの対話を思い出していた。
「そんなことしらない。高蔵寺をはなせ。俺から友達をうばうな」
ロルフの唸り声交じりのそれに、赤井は鼻で笑った。馬鹿にするというものとは少し違っている。なんだか、気が抜けたようにも呆れて言葉がでないというようにも、絶望しているようにも見える。あるいはすべてが混合したものか。
「諦めな。あたしたちに救いはないんだよ」
赤井は高蔵寺の頸動脈を叩くことで、彼女の意識を奪ってしまった。そしてそのまま踵を返し、高蔵寺を両手で抱えたままその場から霧となって姿を消してしまった。この場から離脱してしまった赤井と高蔵寺。ロルフはすぐにロランスを睨んだ。
「あいつはどこいった?」
ロランスは答えない。
「どこいったんだ!」
二頭の狼がロランスの左右から彼女を襲う。ロランスは空中へ飛び出すが、ロルフが爆発的な瞬発力で空中のロランスに追いつくと彼女の頭を掴んで地面に落とした。しかし、ロランスは頭より先に足を下にすることで頭部が叩き割られないようにする。着地と同時に前転するようにしてロルフを前へ押し投げた。左足を痛めたロルフは上手に衝撃を受け流せない。地面に叩きつけられると、ロランスに撃たれた胸から血が噴き出た。
「……」
ロランスの目が泳いでいる。ロルフを投げ飛ばしたあと、その一瞬、彼女に戸惑いが見えた。
しかしつかのま。すぐに彼女の背面から狼が大きく口を開けてロランスの両足にかぶりついた。鋭く長い牙がロランスの肉に食い込み、深く突き刺さっている。
「お前らなんか、大嫌いだ」
正直に、素直に、ロルフの嫌悪は表に出る。たったそれだけの一言が、ロランスの動きを止めた。
動かない体をうごかし、ロルフは懸命に助走をつけて走り、胸を張って拳を大きく振り上げた。地面さえ割ってしまうほどの全力をもって、動きが止まったロランスへぶつけた。
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