2章
真夜中に沈んでいく・1
「なぜ赤井のことを知っている?」
九条本人も驚くほど冷静な返答だ。ダンの誘惑に食いつくのではと己でも思っていたのに、一拍置いたあとの九条は理性的だった。
「こいつ、やっぱり怪しい。こういうのと喋っちゃだめだ」
ロルフの連れているうち一頭は警戒心をむき出しにして唸り声をあげている。ロルフは片腕を持ち上げて、上半身を低くしているような状態だ。これはいつでも飛び掛かることができると、ダンをけん制しているのだが、彼は涼しい顔をしている。
「赤井にハンターと組むよう提案したのは俺だ」
こいつが、元凶だ。
そうと分かったとたん、踏みとどまっていた衝動が弾けた。九条は狼よりもロルフよりも先にダンの首に突っかかっていた。
ダンの背中が強く壁に打ち付けられた。おそらく彼の体内で骨が悲鳴を上げている頃だろう。ダンが打ち付けられた壁にはヒビがはいっていた。
「――っ。何をする、この吸血鬼」
「赤井になにを吹き込んだんだ!」
「お前は勘違いをしている。俺はただ赤井の願いを叶えるために背中を押しただけだ。何が気に食わないのか知らないが、筋違いだ」
「赤井が、望んでハンターと手を組み、同族を殺そうとしているだって?」
「そうだ。本人に聞けばいい。肯定するぞ」
「あの赤井がそんな選択をするとは思えない」
「もうお前の知っている赤井ではないということだ。女々しい男め。いつまで過去を引きずる?」
「――クソッ」
九条がダンの胸倉から手を離すと、ダンは床に倒れこんだ。咳払いをして、痛む背中に鞭打って立ち上がる。ソファまでやっとの思いでたどり着くとそのまま寝ころんだ。呼吸が荒い。骨にひびが入っていて、動かすたびに痛みが走っている。
「こら、何をしているの九条!」
タイミング悪く――良く――高蔵寺がお盆にお茶と茶菓子を添えて部屋に扉を開けた。
高蔵寺がみる光景というのは、まさに弱い者いじめをしているようなものだ。苦しそうに寝転がるダンと、それを冷めた視線で眺める九条、相変わらず警戒を解かないロルフと二頭の狼が睨む。高蔵寺は真っ先にダンのほうへ向かった。九条が言い訳をしようとするが、彼女は地獄の閻魔より恐ろしい眼光で九条を黙らせる。
「大丈夫? どこを痛めてるの?」
「いや、大丈夫だ。……即席の治癒は心得ている」
ダンがポケットから取り出したのは、手のひらサイズの小さなメモ帳だ。高蔵寺と九条がそのメモ帳を不思議そうに見ている中、彼は内一枚を破く。それをおもむろに口へ運び、ついには食べてしまった。
「え……?」
九条と高蔵寺の声が重なる。
無機質の紙は口内の水分を含み、べったりと小さくまとまる。繊維がしっかりしているせいか、その紙はまとまったまま味気なさを舌に乗せた。いつまでも分解されないそれを咀嚼したダンはしばらくして、それを飲み込んだ。呆然と見守る九条と高蔵寺を差し置き、ダンの顔は苦し気にしわを寄せる。それを数秒。過ぎたあとのダンはなんともない様子でソファに座り直している。
骨をやられた青年が紙を食べたあとに平然としている。
その光景に九条と高蔵寺は置いてけぼりだ。
「……Alchimie……」
ロルフが流ちょうな母国語でつぶやく。
「今の様子だけで錬金術だと理解したのか。頭の回転ははやいようだな」
ダンは食道のちょうど上に当たる胸の部分を撫でて様子をうかがう。調子はいいようで、浅い息を吐いて肩の力を抜いた。
「錬金術? えっと、あの、賢者の石とかホムンクルスとか?」
「ああ――、高蔵寺のイメージはあながち間違っていない。錬金術は科学に近い魔術というのが適した説明だな。高蔵寺には言っていなかったが、俺は錬金術師なんだ」
「れ、錬金術師。縁がありませんわね……」
「東洋に暮らしていればそうだろうな。隣国である中国には近い錬丹術があるが……、いや。錬金術の話をするために今日ここに訪問したわけじゃない」
「そうでしょうね。本題にうつりましょう」
そうして、少しぬるくなってしまったお茶を申し訳なさそうにダンに出した。九条にもお茶を出しているが、九条には人間らしい味覚はまったくない。お茶の美味さがわからないロルフにはジュースだ。高蔵寺の出したお茶に口をつけたダンは少し満足げに目じりが下がる。お茶には少々口うるさいダンが文句を言わないのは上々である。
「どうして私が退魔師だと? 九条とロルフを看破した件についてぜひ伺いたいわ」
ダンの正面にあるソファに腰かけた高蔵寺の圧力は室内の空気を重くしている。高蔵寺の座るソファの背もたれには行儀悪くロルフが居座っている。高蔵寺の左右には狼が警戒心を孕んだままであり、その威圧は鋭いものだ。「弱い者いじめ」をしているのが一体どちらであるのか……。
「吸血鬼と人狼は言うまでもなく、見分けられる。退魔師のほうはまったく見当つかず、教えられるまで分からないが」
「あら」
「古山青助を知っているか?」
「まさか……。……頭が痛いわ……」
高蔵寺とは違うもう一人の退魔師の名を聞かされ、高蔵寺は頭をかかえた。彼と高蔵寺の間には仲間意識など希薄であるが、それでも余計な情報を他人に流すなどありえない。他言無用というのは職業柄、暗黙の了解だろうに。
「青助はあとでシメるわ……」
地の底を這うような憎悪の声がしたが、聞き流しておく。九条のこの判断は正しい。触らぬ神に祟りなし。
「なるほど、分かりました。ダンが私たちを知っていたことについて理解しました」
「それはどうも」
「錬金術師さんがどうして私を訪ねたのかしら? 退魔師になにか相談?」
「相談というか、挨拶だな。俺のような流れ者は土地を統治する退魔師に挨拶したほうがいいと言われた。最近日本にやってきたもので、挨拶が後手に回って申し訳ない」
ダンが高蔵寺へ頭を下げる。高蔵寺は少々驚いていたようだが「ご丁寧にありがとう」と返した。
「俺は本国から追い出されただけのしがない錬金術師だ。本国では問題のある研究をしていたため、本国の影響が及ばない日本の田舎へ流れ着いた。おとなしくしているつもりだ。そして……、部外者だ。いいか、俺は吸血鬼のいざこざに関係ない。捲き込むことはやめてくれ」
「どういう意味?」
「明朝、赤井とハンターの高橋が俺を訪ねてきた。少々話をした程度だが、お前たちの騒動に捲き込まないでほしい。俺はあくまで中立の、部外者だ」
「都合が良すぎないか」
九条は真っ先に反対意見を出した。それは道理であるし、ダン本人も理解していた。
部外者と名乗っておきながら、赤井とハンターと関係があるよう。見逃すことはできないだろう。敵なのか味方なのか。表情や指先からダンの感情がまったく読めない。警戒を解くことはできない。
「そうだ。俺の都合を受け入れてほしい。……べつに、赤井と高橋の情報をこちらに流してもいい。口留めはされなかったからな」
「でしたら教えてください。赤井さんとハンターはどうして手を組んでいるの? 話によると、吸血鬼を含めた怪異はハンターとかなり犬猿みたいだけど」
「おい、高蔵寺」
「いいじゃない、九条。減るもんじゃないわ。教えてくれるというんだもの。甘えましょうよ」
九条の表情は険しい。振り払う高蔵寺になおもつっかかる。ダンを信用していない中、彼から流される情報が確かなものなのか疑問である。それにデメリットのないメリットほど恐ろしいものはない。なんにでもデメリットはつきものだ。
「『本当のこと』を話してくれるんでしょう?」
「……ああ、話す」
それは少々ダンの恐れていたことでもあった。高蔵寺の言葉は何よりも強い拘束としてダンの口を固定したようだ。これが言霊。言霊使いの発する言葉。
言葉には古来より魂が込められていると考えられている。口にした言葉の内在に魂が宿り、現実でなんらかの影響を与えると信じられていた。良いことを言えば良いことが。悪いことを言えば悪いことが起こるとされていた。現在でもその考えは色濃く残っており、結婚式でいう忌み言葉もこの思想に基づく。
これを自在に操る力を持っているのが高蔵寺愛子の家系だ。
高蔵寺愛子の血族はすべて亡くなっているため、この力を持つのが高蔵寺愛子だけということになる。
「赤井がハンターと手を組むのは別に吸血鬼としてのプライドを捨てたから、というわけではない。単なる利害の一致だ」
「吸血鬼とハンターの、りがい……?」
「ああ、生まれた時から人狼のお前には理解できないかもしれないな」
「……」
ロルフにはまったく理解できない。ハンターは生まれ落ちたその瞬間から敵なのだ。彼らはロルフら人外を殺そうとするし、ロルフたちはこれに抵抗して彼らを殺す。そういった関係が延々と続いており、相互的に理解しあえないと断定していた。少しでも利害が一致する可能性など考えたことがない。徹底的に、絶対的に、ハンターは敵なのだ。
「ハンターの高橋は九条の討伐が目的だ。この仕事は長期的な見通しであり、今回の来日は九条の発見と様子見のためだ。しかし日本の地に足を踏み入れた彼女を待っていたのは吸血鬼の赤井だった」
「それを促したのがお前か」
九条の腹の虫は収まっていない。その瞳に紅蓮の炎が盛った。敵意剥き出しの発言などに意に返さず、ダンは続ける。
「赤井の目的はただ一つだ。九条の討伐は彼女の本願ではない」
「……、どういうことだ? わからない。俺を殺すのが赤井の目的じゃないのか?」
「違う。わざわざ助けた命を摘み取るなんて意味が分からない。赤井が九条を殺すと言うのは苦渋の決断だろう。まあ、詳しいことは俺には分からないがな。赤井の心までは知らない」
「じゃあ、どうして俺の命を狙ったんだ」
「……その前に。お前は吸血鬼が死ぬ条件を知っているか?」
物語で語られる吸血鬼とこの世の吸血鬼とでは多少の差異がある。ニンニクが苦手だとか、招かれないと家に入れないだとかいうのはフィクションだ。そして同時に――個人差はあれど――、昼間のうちに吸血鬼へとなってしまう人間の死体の心臓部分を穿てばいいというのも、実際の吸血鬼に効果はない。また、太陽に焼かれることはあっても死ぬことはない。死ぬほど痛く熱いものではあるが。
吸血鬼は頭を吹き飛ばそうが、心臓を突き刺そうが、首を切り飛ばそうが、死ぬことはない。時間経過で回復する不死身の怪物だ。吸血鬼はその不死身という性質と他者を圧倒する身体能力、そして変身能力などが相まって、何百年も人外の中でトップクラスの強さを誇る。
が、しかし、どんなに強い怪物だろうと、必ず弱点は存在するものだ。
「俺たちは銀の武器に弱い。半吸血鬼に吸血されれば死ぬ」
聖水や聖書、炎に弱いなど、個人差はある。吸血鬼は太陽によって死ぬことはないのだが、これも性質によって死んでしまう場合があると、九条は赤井から聞いている。赤井は太陽に耐性があるタイプの吸血鬼であったようだが。
「そう。吸血鬼は人間と違い、死ぬには一手間かかる」
「だからなんだ。それが赤井の目的と、なんの……関係が……、あ」
関係ない話をしているわけではない。
関係があるのだ。
吸血鬼の死因と、赤井の目的が。
「さっきから言ってる、その高橋ってハンター、まさか人間じゃない、なんてことはないよな。まさか半吸血鬼なんて、言わないよな」
「そのまさかだ」
それは、つまり。
赤井が自らの死を望んでいる――?
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