吸血鬼と吸血鬼ハンター・後

その日の夜明け前。ロランスをホテルから引っ張り出し、赤井は町の中を進んでいた。

吸血鬼である赤井と半吸血鬼のロランスが万全の状態で活動できるのは太陽が昇らないうちだけだ。


「世間って狭いもんでさ」


静かな町中に赤井の雑談が響いた。

普段は気にしない呼吸の音でさえ耳にさわるほどの静寂。車などはたまに通る程度だ。こんな早朝から散歩やジョギングをしている人もいるが、彼らは早朝に少女が二人も出歩いていることに不審がっているようだった。


「世間は狭い?」

「そ」


まっすぐ国道を沿って歩いていく赤井の歩調は速く、ロランスは慌てた様子で彼女の後に続いた。

眠っていたロランスを叩き起こしたのは顔の治癒がほとんど終わった状態の赤井だった。「行くよ」とだけ言われ、どうして叩き起こされて早朝に外に出ているのか理由を聞くこともできないままロランスは赤井の後を行く。


「あたしにロランスの来日を知らせてくれた変わり者の錬金術師がいんの。まさかこいつが九条のいるこの町に住んでるなんて思わなかったよ。世間は狭いってのはこのことだ」

「もしかして、その錬金術師のもとへ向かっているのですか」

「そうだよ。九条とあたしを止めに入った二人組について何か知ってるんじゃないかと思って。ハンターを察知できるほどの情報通みたいだし」

「錬金術師とわれわれは険悪です。私とその錬金術師が顔を合わせることに利点があるとは思えません。ホテルに引き返して眠ってもいいですか」

「だーめ。あんた眠いの?」

「はい」

「変な吸血鬼だね」

「私は吸血鬼ではありません」

「はいはい、ごめんね」


赤井には昨夜乱入してきた高蔵寺とロルフが分からなかった。とくに高蔵寺だ。戦う力などない無力な人間。それと、狼を連れた謎の少年。彼からは魔力の香りがわずかに感じられたが、その正体が分からずにいた。獣の匂いをまとった、人間ではない存在であることは確かだ。ただそれが狼を使い魔にした魔術師である可能性もあるし、赤井の知らない西洋の怪物かもしれない。深く考えずに情報を整理するなら人狼だろう。なぜこれらが九条と親しげだったのだろうか。

もしかしたら、九条の殺害に手間がかかるかもしれない。


「ここ。このアパート」


赤井が見上げる先にあるのは壁が薄い緑に塗装された二階建てのアパートだった。扉の数は一階と二階を合わせて六枚。六部屋あるアパートのようだ。左右から伸びる階段のうち、赤井はまっすぐ左の階段を昇る。先を進んでいく赤井の小さな背中を慌ててロランスが追った。

赤井が立ったのは、二階の左端にある白い扉の前だった。まだ早朝にも関わらず、彼女はインターフォンを鳴らした。中から物音がしたのはすぐだった。ドアノブは回り、開いたドアの隙間から一人の男が鋭い目つきをして現れた。

やけに整った顔立ちの男だ。童顔のようで、子供っぽい顔つきではあるがその表情は子供のそれとは程遠い疲労に満ちている。これでは端正な顔立ちも台無しだ。目の下にはうっすらくまが浮かび上がっており、お世辞にも健康的とは言えなかった。そんな彼は嫌みとため息を吐いた。


「……時計を持っているか?」

「持ってるよ。午前四時さ」


赤井が持っている懐中時計を見せると男はさらに深く眉間にしわを寄せた。


「ロランス、こいつがダミアン。あたしはよくわかんないんだけど、ダンって呼んでほしいんだって」

「呼んでほしいわけじゃない。……はじめまして、レディ」


銀色の髪を垂らし、ロランスに向き直った。隻眼のダンに見つめられたロランスがすぐにスカートのすそをつまんでお辞儀して返す。さながら、舞踏会に参加しているどこぞのお姫様と王子様でも眺めているような浮遊した感覚にみまわれる。


「俺は錬金術師のダミアン・ルースだ。といっても追放された身だが」

「はじめまして、ムッシュ。私は高橋ロランス。ヴァンパイアハンターです。どうやら、あなたは情報通と聞いているのですが」

「情報通かどうかは知らないが、君たちが望んでいることは知っている。九条悠だろう?」


ダンは赤井とロランスを家の中に招いた。入ってすぐは短い廊下があり、その先にリビングがあった。扉を開けたその中は小物が散々と散らばっていた。なんとか足場はあるものの、床に積まれた大量の本が道を細くしている。本の塔以外にも実験だとかで使用するビーカーやフラスコ、ピペットやガスバーナーなどもテーブルの上に乱雑に置かれている。壁際にある本棚にはホルマリン漬けにされたたくさんの生物と、その隣には特殊な色を醸し出すフラスコがずらりと並んでいる。絵にかいたような研究者の部屋だった。


「たしか、ここらへんにソファがあったはずだが……、ああ、あった」


分厚い本の山をなぎ倒すと、その中からソファが現れる。なめらかな触り心地と柔軟な触感、重厚感あるデザインはおよそ高級なものだろう。まさに「宝の持ち腐れ」だ。そのソファをみた赤井は「うわぁ、まじ?」と呟いている。


「こんな時間にアポもないんだ。茶は出さんぞ」

「へーへー。いいよ」

「それで?」


ダンは本棚にもたれかかり、腕を組んで彼女らを見下ろした。


「あたしが九条を殺したいのは知っているだろう。そして昨夜、襲撃した。でもそこに邪魔が入った」

「らしいな」

「その邪魔者について教えてほしい」

「それではまず、その情報を譲渡したことでどんな対価が支払われるのか。その話をしよう」


ダンは情報屋などではないが、錬金術師だ。得るにふさわしい「物」というのを求める。錬金術――それに限らず、魔術だってそうだ。魔術ならば詠唱や契約、儀式などが必須となり、錬金術とならば、それ相応の材料が必要となる。魔術師や錬金術師などとあまり縁のない日本での生活をしてきた赤井はその精神を知らなかったが、ただで教えてもらえると思っていない。その対価はあらかじめ考えてあったし、用意してあった。


「あたしの眼が対価だ」


ダンはまっすぐ、赤井を見た。彼女が言うその意味を見極めようとしている。


「お前の眼?」

「そうさ。あたしを吸血した男は吸血鬼の中でも指折りの実力を持ってたみたいでね」


ダンは組んでいた腕をほどいて、赤井の正面で膝を曲げた。彼女の赤い瞳を見る。その瞳は一見、どす黒さを秘めた鈍い赤色だ。その瞳孔は獣のごとく尖鋭だ。目が合うと、それだけで意識が泡沫としてしまうような、朦朧とする感覚に襲われる。


「あたしは開花できなかったけど、『魔眼』の素養がある」

「……へえ」


――魔眼――。


それは眼そのものが魔法となった特異の力そのもの。魔眼をもつのは世界中で五本の指に入る程度しかおらず、また、その効果というのは個人で違う。魔眼というのはそれだけで奇跡に匹敵する効果を引き起こすことができる。これを神の力だと言うものもいれば、恐るべき魔王の欠片だと言うものもいる。


……とどのつまり、魔眼というのは、とうてい人間では手の届かない奇蹟である。


「あたしを吸血して、あたしを吸血鬼にした奴の魔眼は『冥漠』だよ。あたしにはその素養があるし、恐らく九条にも継がれてる」

「魔眼の素養が九条悠にもあると?」

「そう。たぶんね。だからハンターがこんな極東にも足を延ばしたんだと思う。そうじゃなきゃ、こんな辺鄙な極東の吸血鬼に半吸血鬼のハンターなんて宛がわないでしょ」


ロランスはただ静かに聞いていた。人形のように物静かに聞いているようだが、九条が魔眼の素養があるという話になると、緑の瞳を赤井に向けた。その胸の内はわからないが、わずかに見開かれていたように見える。

赤井の推理を聞いたダンは感嘆を洩らした。彼女だからこそ到達できたその答えはダンの知る限り、つじつまが合う。魔眼を持つ吸血鬼に、現状のハンターは対処しきれない。人数の動員や永久投獄のハンターなど対処を変更しない限りは魔眼持ちの吸血鬼に敵わない。そんな強敵になりえるかもしれない九条を、魔眼の開花前に摘み取ってしまおうという考えで、数少ない尖鋭の半吸血鬼であるロランスを当てた討伐を命じたのだろう。


「あたしには素養はあれど、開花することができない。使えなければ無価値だ。それにあたしは九条を殺したら死ぬ。どうせ捨てるただの眼だ。けど、錬金術師のダンならあたしと違う価値を見出してくれるかと思ったんだけど」

「なるほど。魔眼か。たしかにこれはいい材料だ。錬金術師のうちに魔眼をもっている奴なんていない。交渉成立だな」

「よかった」

「ただし、お前の魔眼収集は死んだあとでいい。俺が勝手に死体から抉り取る」

「痛いのは嫌だからね。そうしてくれるとありがたいよ」


不愛想だったダンの口元が緩んでいる。錬金術師として、その魔眼は最高の材料だ。ダンの研究も捗るかもしれない。

ダンは赤井とロランスの二人と向き合う形で座る。てきとうに本の塔のてっぺんに座って、赤井の求めていた邪魔者の情報について引っ張り出した。本来は他言無用の事柄なのだが、魔眼を出されては隠しておく必要も義理もない。


「まず、男の方からいこう。奴の名はロルフ・クラウゼ。人狼だ」

「人間じゃないかもとは思ってたけど、人狼か」

「先天的な人狼だ。ドイツからはるばる日本へ密入国してハンターから逃れている。引き連れている二頭の狼を友達と言うが、あれも人狼だ。人間へ変身はできないがな。奴の能力だが、人狼らしく身体能力が恐ろしく秀でている。日本へ逃亡するまでハンター一部隊を壊滅させたと聞いた。が、これは人狼でも平均的な能力だな」

「……ハンターを……」


銀の武器を携え、武装したハンターはすべての怪物にとって天敵だ。たいていの怪物、化け物はハンターより格下である。しかし稀にこのハンターと渡り合うことができる怪物がいる。とくに人間の血一滴も混ざらない純血種の怪物だ。


「奴は現在、九条悠とねぐらが同じだそうだ。吸血鬼と人狼が手を取り合って、助け合って生きているんだとさ。殊勝なことだ」

「次。あの女は人間だった。吸血鬼に魅せられた人間?」

「彼女は退魔師だ。赤井くらいの歳なら聞き覚えがあるんじゃないか?」

「退魔師……」


赤井はそのワードを記憶の中から手繰り寄せる。すぐには出てこない。魔を退けるその者たちの名称をはっきりと思い出すのにおよそ十秒。


退魔師。それは妖怪など日本に生息する怪異を退ける専門家の総称だ。日本におけるハンターのようだが、西洋のハンターよりいくぶんか穏便ではあるものの、その手段はハンターとそう変わらない。最近は西洋文化の浸透により、西洋の怪異を扱う退魔師も現れたと聞くが、ほとんどの退魔師は日本の怪異のみを専門とし、それ以外の怪異にはノータッチだ。その退魔師というのはかつて平安時代に九尾の狐である玉藻の前を退治したとされる安倍晴明をはじめとした陰陽師が起源とされている。現代でも陰陽師のみならず修験道、呪禁道は生き残っているが、それらが怪異の退治を目的としているのならば総じて退魔師と呼ばれている。


「高蔵寺愛子。言霊を操る退魔師だ。とくに彼女は現象、状況を現実にうつしだすことに秀でている。無理難題でも運命に影響できるだけの力を持っているそうだ。言霊を操るとは、これまた珍しい力であるな」

「運命に影響できるだって? それは……、それはいいことを聞いた」


赤井の口がにんまりと歪んだ。大きく裂けた口元から、その喜びようは隠しきれない。邪悪なまでの笑みは届かなかったご馳走に手を伸ばしているような恍惚としたものだ。あきらかに、それは邪悪な笑みであったし、よくないことを考えているものだったが、ダンは己に関係ないことだと横目に流すだけだった。


「高蔵寺の監視下に九条悠とロルフ・クラウゼは置かれている。この町の退魔師である彼女の監視下であることを条件に奴らは一定の自由を許されているわけだ。ここまで怪異に理解がある退魔師も少ないな。高蔵寺の所在は、まあ、俺が言わなくてもわかるだろうが、この町の城跡に建たれた小学校のすぐそばにある大きな邸だ」

「ああ、あそこか。結界を感じたから変だとは思ったけど、なるほど。退魔師の家なら納得した」

「ご理解いただけてなにより。彼女自身に戦う力はない。が、言葉を発するだけで運命に触れる力というのは厄介だろう。高蔵寺はたしかにその力を支配し、操っている。あの若さでよく己の力を制御できるものだと感心する。が、彼女は決定的な問題を抱えている」

「へえ」

「高蔵寺は己の力を使うことに消極的だ」


高蔵寺愛子の力というのは、とうてい人間の手に届くものではない。ましてや努力を続けていればいずれ手に入るなどというのも戯言となる。典型的な天才の部類だ。「言霊」というのは、日本人であればまず少なからず持っている極微量の神秘の力だ。しかしそれと高蔵寺の力は比ではない。生まれた瞬間から言霊を発することに適した血統をもち、それを支配できるのは先天的な才能だ。圧倒できるその力を、高蔵寺愛子は利用できるにもかかわらず、使おうとしない。


「その理由は知ってるの?」

「知らない。個人の思惑なんぞ知らん」

「……あんた、そういう情報をどこで仕入れてくんの」

「そういうのは通常、教えられないんだが……、まあいいだろう。この町には退魔師が二人いる。片方は高蔵寺愛子だ。そしてもう一人が古山青助。そいつがベラベラと酔った勢いで俺に愚痴を洩らすからだ。ざまあみろ」

「仲良さそうだね」

「それはどうも。現状、高蔵寺、九条悠、ロルフ・クラウゼは手を組んでいる。別に肩を持つわけじゃないが、甘く見るなよ。返り討ちにあうぞ」

「ああ、そう。ありがとう」


赤井はソファから立ち上がった。ダンへの用は済んでしまったようだ。赤井が聞きたかった九条以外が何者であるのかは情報を得た。そして赤井にとって有益な情報も得ることができた。それだけで十分だ。


「もういいのですか」


ずっと沈黙し、話を聞いていただけだったロランスは背中を向ける赤井に声をかける。赤井からは短く「十分」とだけ返事があった。窓の外からは夜明けを示す朝日の光が山間から漏れ出している。タイムリミットだ。体感時間より長く居座っていたように思う。ダンはただ黙って去る赤井とロランスの背中を見ていた。彼女たちがドアを閉めて出て行ったあと、静寂を取り戻した部屋の中でひとり、やはりその仏教面で呟く。


「愚かだな」と。

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