幕間

吸血鬼と吸血鬼ハンター・前

とあるビジネスホテル内。南側の窓から月明りのみが入り込んでいた薄暗い室内。そこはシングルベッドが規律よく頭を壁につけて二台並んでおり、真っ暗なテレビが無言でベッドを向く。無音だけが響く室内には一人だけ、いた。

その人物は窓際にある一人掛けの椅子に座り、テーブルに肘を乗せて読書をしていた。テーブルにはその人物の肘の他に、回転式拳銃であるリボルバーが鎮座している。


「――あぁ……」


物音ひとつの存在さえなかったはずなのに、その落胆した声は部屋の出入り口からした。室内にいる人物が本から顔をあげる。きらりと長い金髪が月光を反射した。喜怒哀楽のない表情はまっすぐ、灯りが付かない廊下の先を見つめた。


「失敗したようですね」


脈絡のない声が、ぽつり。それは機械のような、感情のない無関心なものだ。声そのものは女性らしい綺麗なものだったが、冷淡の一点張りで人工物を連想させてしまう。彼女の言葉に、荒い呼吸を繰り返し、時折ボタリと液体を落としている帰還者は「うるさい」と言い壁を殴った。


「あなたが例の九条悠を殺すと言って先陣を切ったではありませんか。それがこの様ですか」

「なにもしてないくせにあたしを責める義理はないと思うね」


暗い廊下から姿を現したのは、頭部全体から血を流す赤井だった。九条に殴られた頭部は初期に骨の治癒を目指しているのだが、どうやら欠けている箇所もあって難攻しているようだ。肉も骨も晒されたその醜い赤井の頭を見て、その人物は「使えませんね」と悪態をついた。


「貴女が九条悠を殺せないのならば、契約は破棄しますよ」

「……あんたは初見の吸血鬼をいきなり殺すわけ?」

「はい。何度も接触するのは時間の無駄です。世の中には吸血鬼がまだまだいるのですから、一匹にいちいち時間を割くことはできません」

「あんたの意見には同意できない」

「理解できません」


ぱたんと本を閉じて、彼女は突き刺すように赤井を見た。赤井はそんなことなど全く気にした様子などなくベッドに背中から飛び込んだ。「ロランス」と先ほどから機械的な問答しかしない彼女の名を呼んだ。赤井の目玉がどこへ向いているのか定かではないが、少なくともロランスを見てはいないだろう。


「あんたは生きてるのにどうして感情を殺してるの」

「私に感情はありません。私はハンターです。ハンターであることに感情は必要ありません」

「生きることに感情は必要だよ」

「さて。どうでしょう。私は生きているつもりはありません。道具です」

「かわいそうに」

「構いません。私はそのように教えられましたし、それで満足しています」


高橋ロランス。彼女がどのような生き方をしてきたのか赤井は知らない。なんせ、彼女と出会ったのは半年前と最近なのだ。赤井が知っているロランスという少女は半吸血鬼のハンターであるということぐらいだ。互いに心を開くつもりはないため、背景にあるもののことなど気にしていなかった。が、赤井は完治していない目玉をロランスのほうに向けてみた。ロランスの様子はいつもと変わらない。ロランスは自分のことを「道具」であると言った。そしてその状態に「満足」している、と。赤井にはこれがまったく理解できない。


ロランスはたしかに純粋な人間ではない。吸血鬼の血が混じっている混血だ。しかしそれがなんだというのか。吸血せずに食事ができる。太陽に怯える必要もない。不老不死でもない。赤井からしてみればうらやましいかぎりだ。

しかし、なぜ生きていることを肯定しないのか。生きているじゃないか。その静かに鳴る心臓は偽物か? 呼吸のたびに広がる胸は偽物か? 流れる温かい血は偽物か? どれも本物だろう。

道具? どこが。赤井には感情を殺している虚しい少女にしか見えない。


「ねえ、あたしの傷が治るまで時間かかるからさ。面白い話でも聞かせてよ。あんたの故郷とか」

「必要ないでしょう」

「……。あたしには、あんたが満足してるようには見えないね」

「その完治していない目では見えていないでしょう。虚言です」

「ロランスは笑ってない。それのどこが満足してるっていうんだ」

「笑うことに意味はありません。それには生産性がない」

「満たされたときに笑うのが人だ。ロランスの目は下を向いている。あんたは道具じゃないし、感情がないわけじゃない」


馬鹿馬鹿しい、とロランスは閉じていた本を再び開けた。しおりを挟んでいなかったためかパラパラとページをめくって続きを探す。

赤井は確信している。本当に感情を失っている人間とロランスは違う。


――容易に想像できる。ロランスがどうして自分を「道具」などと言ったのか。


彼女は半吸血鬼だ。半吸血鬼のほとんどは生まれてすぐ死んでしまうと言われている中、生き残ってしまった高橋ロランス。吸血鬼を含めた人外を否定するハンターのところで育ったのならば、そう教え込まれているのは道理である。嫌悪する血を引いた彼女を仲間だとおもう変わり者はいないだろう。そうやって嫌悪されるのはロランスにとって普通であり日常だ。


愛されたことがない少女は「愛」を知らないから。


感情がない道具という体裁に疑問を抱かない。


「かわいそうな子だよ、ロランス」


それは、心底……。

ロランスは赤井の話を聞くことをやめた。ロランスにとって赤井の主張はくだらない。ロランスは道具であることを求められたから、それに答えただけだ。余計なものを排除しようとするハンターの意向にロランスは同意している。そのために必要な自分の役割に納得しているのだ。


母親が吸血鬼であることが恥ずかしい。吸血鬼に騙され、魅せられた父親が慚愧に堪えない。

今も、こうして吸血鬼と長時間にわたり同室していることに激しい嫌悪を覚える。はやく契約が果たされることを願うばかりだ。


「そうでしょうか。私には赤井のほうが『かわいそう』であるように見えますが」

「はあ?」

「私は自分のことを誇りに思っています。しかし赤井はどうでしょう」


まぶたがない目玉がギョロリとロランスをみた。押し黙る赤井のその沈黙は重苦しい。ロランスのそれは明らかな失言であった。つい、ロランスはそのあとに続く言葉を失う。そもそもどうしてハンターであるロランスと吸血鬼の赤井が手を組んでいるのか。赤井が何と言ってロランスに契約を持ち掛けたのか。忘れもしない。


「あたしのことより、あんたは自分の心配をするんだね。お前は絶対、仲間に殺される。吸血鬼の血には抗えない」


吸血鬼の血には抗えない。

赤井の放つその言葉の、なんと重いことか。赤井が雑把に話した身の上を覚えている今だからこそ、ロランスは言葉を忘れる。血液の流れが鈍くなったようだ。


「その瞬間まで、自分が、あたしが、人間の生き血を啜るなんて思わなかった」


赤井の喉は、初めてのその極地たる血液を思い出した。ただ鉄臭いとだけ思っていたその紅の液は今まで口にしてきた、どの食前方丈な料理よりも美味かった。その驚くべき美味しさに、一度吐き出してしまったのは記憶に深く刻まれている。もう百年以上も昔のことだが、それでもその衝撃は鮮明に覚えていた。口の中がしびれて麻痺してしまうような美味しさ。舌に乗る一滴だけで止まっていた心臓が激しく鼓動したような気さえした。

至上の幸福は、同時に絶望を運んできた。赤井きよはその日を境に人間ではなくなってしまったのだと宣告されてしまったのだ。この世でもっとも嫌い、もっとも憎んでいる男と同じ鬼になってしまった。腹の底から蒸しかえるような醜悪の塊が、からっぽの胃酸を吐き出した。

夢をみない吸血鬼となった赤井は、それでもこの記憶だけは眠るたびに何度も何度もまぶたの裏で繰り返されている。それに苦しめられている。何度も何度も憎い記憶が繰り返される苦しみから逃れることができない。


赤井自身が吸血鬼である限り――。


赤井きよが吸血鬼となった経緯は酷く悲惨なものだった。裏切られ、目の前で虫けらのようにあっけなく死んでいく両親。押しつけらえれる愛にもがく日々。それを強いた男を許すことはないし、陥ってしまった己の無力を呪っている。


そんな彼女が、吸血鬼であることを誇っているわけがない。


赤井きよが持ち掛けた契約の内容とは、ハンターであるロランスにとっても赤井にとってもメリットのあるものだった。

そもそもロランスがヨーロッパから遠い日本に訪れたのは、当然ながらハンターの仕事があるからだ。この仕事とは、九条悠の討伐。その前段階である。西洋から遠く離れたこの東洋には独特の文化が確立しており、そこには本来、西洋の怪物や化け物の混入することはほぼないはずだ。とくにアジアの中心地である中国や日本にはそれぞれの魑魅魍魎がはびこっている。それに対抗する人間の組織も歴史長く確立している。そのなかでハンターの立ち入る隙はない。監視の目も届かない。のだが。九条悠の噂だけは一部のハンターのなかで広がり、危険視されていた。

今後脅威となる可能性は徹底的に芽を摘み取る。ハンターはこの九条悠の討伐を決定した。


ロランス自身はまだ九条に接触していない。彼のことは知らないが、その必要はないと考えている。ただ命令に従うことだけしか考えていない。だから、その命令のために敵である吸血鬼の手を借りようが、結果的に九条を討伐できるのであればそれでいいのだ。


それがたとえ「あんたの代わりに九条を殺すから、報酬としてロランスはあたしを殺してほしい」と奇々怪々な言葉をかけられようと……。

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