吸血鬼との再会・4

九条が最近までごく普通の一般人であったことは高蔵寺も知っていた。

しかしそれ以上のことは知らない。どうして九条が吸血鬼に成り果ててしまったのか、ということは聞いていないのだ。いずれ九条の口から、とは考えていたが、まさかこのような形になるとは思っていなかった。


「俺が家出をしたとき、偶然出会ったのが赤井だった。そのときの赤井はハンターに追われてる最中で、傷を負っていた。それで治癒を求めた赤井は俺を吸血対象に選んだ。でも」


ゆっくりと、九条は赤井と出会った当時の記憶を引っ張りだす。

あれは――まだ昼間の熱が残る夏の夜のこと。大きな都市の端っこにある人気のない路地でのことだった。


「つい、俺は赤井の話を聞いて同情してしまったんだ。それから、一緒にハンターから逃げ回った。はじめは赤井が俺を吸血対象として見ていたけど、同行者に認識を改めたから」

「吸血対象から同行者に?」

「ああ、信頼関係ができていた。友達だと信じてた。だが、ただの人間の、しかも一般人である俺はどうしても足を引っ張ってしまった。ハンターに追いつかれ、赤井は致命傷を負った。俺は赤井を助けたくて、全部の血を差し出した――はずだった」

「……」

「気が付いたら人間としての俺は死んでいた。俺は吸血鬼になっていたんだ。赤井はどこかに消えてしまっていて、ついさっきまで出会うことも連絡をとることもなく、あいつの生存も知らなかった」


九条はつぶやく。小さく。


「裏切られた気分だ」


再会して早々に命を狙われ、さらに唯一の家族である姉を殺された。

こうしてゆっくりと思い出してみれば、赤井が九条を殺す理由というのが本当にわからないのだ。赤井は九条と接していたとき、演技をしていたのだろうか。九条を友達と錯覚させていたのだろうか。


「明日、九条の実家に帰ってみましょう」

「……高蔵寺?」

「九条のお姉さんよ。本当に殺されたのかわからないじゃない」

「今更、俺が帰れるなんて……」


九条は目を伏せ、背中を丸めた。左右の肘を強く握りしめ、まっすぐに見つめる高蔵寺の視線から逃れる。


「情けないわ。この根性なし!」


それを罵倒した。ぐ、と九条は息詰まったが、そんなことは知らない。お茶を飲んでいた湯呑を雑に叩きつけて、鼻を鳴らす。湯呑の中は空っぽだったようで、中身がこぼれることはなかった。荒っぽい動作をしたあとの高蔵寺は少しだけ口をつぐんだが、九条によくわかるようにはっきりと話した。


「目を背けないで」


九条がこの二年間、ずっと逃げていたことだ。姉から逃げていた九条にそのツケが回ってきたのだ。

返答に困っている九条を、高蔵寺は少し待ってみたがすぐに口を開く様子はないと理解すると「ごめんなさい」と謝った。


「私は九条の家庭事情を知らないのに偉そうなことを言ってしまったわ」


頭を下げる高蔵寺を静かに見守る。高蔵寺が易々と頭を垂れないことは知っている。九条は目を細くして、眉を八の字にした。


「いいや。ずっと逃げていた俺が悪かった。いつか姉貴と向き合わなくちゃいけないことだったのに、ずっと先延ばしにしていた。最悪の形で、ついにその時が来たんだ……」


そもそも九条が家出をしたのは姉から逃げるためだ。そして今日までこの二年間、一度も姉のいるところまで帰ることはなかった。姉を避け続けていた結果がこれだ。立ち向かうことなく、背中を向けて逃げるばかりで九条は何もしていなかった。後悔しても遅い。自責の念にあふれていても、すでに手遅れなのだ。もう、引き返すことができるチャンスは過ぎ去っている。


そう、これはツケなのだ。

だからこそ――。


「俺は帰る」


高蔵寺に負けじと九条もはっきりした言葉を口にした。高蔵寺は一瞬だけ何かを言わんとしたがそれを飲み込んで、ただ頷いた。

その日は九条と高蔵寺、そして聞き手に回っていて一言も話さなかったロルフの三人は高蔵寺邸で休むことにした。明日は土曜日。九条の学校は休みなので、三人が少しの遠出をするにはちょうどいい。


吸血鬼はどうしても朝というのが苦手だ。そもそも太陽が苦手だ。九条は吸血鬼となって日が浅いためか、太陽の下に出ても体が焼かれることはないが、それでも眩しく熱い日差しは痛い。一時間も出歩いていれば火傷のひとつやふたつができる。とくに朝がだめなのだ。あの夜の闇を打ち消す朝日とは鉢合わせしたくない。本当に。比較的、夕日は好きだ。夜に圧されて弱くなる夕日はましだ。だから九条は朝っぱらから高蔵寺に叩き起こされるとは思いもよらなかった。カーテンを全開にし、朝ごはんだと大声をあげる高蔵寺に軽い殺意がわいた。


「起きて九条  電車で一時間半もかかるのでしょう! はやく行かないと夜になっちゃうじゃない」

「俺は吸血鬼だぞ……」

「私は人間よ。さあ起きて。ロルフだって起きてるのよ」

「あいつはそもそも寝ないだろ……」

「朝ごはんはローストビーフなのよ!」

「はあ……? 朝からあ?」

「ロルフからのリクエストなの」

「つーか、俺は血しか飲めないんだけど。高蔵寺が提供でもしてるれるのか」

「……。あはは……はは……」


サッと高蔵寺の顔色が変化した。真っ赤に顔を染めて恥ずかしがりながら口元を手でおさえる。そして小さな声で「ご、ごゆっくり」と言い残して九条が寝ていたドアを静かに閉めていった。

朝からお騒がせだ。もう一度眠りに戻ろうとまぶたを閉じてみた。しかし二度寝をしようにも九条の目はさえわたってしまったため、仕方なく毛布を頭からかぶった状態で彼はベッドから這い出た。カーテンから届く日光を避けて日陰を通り、高蔵寺とロルフがいる居間に向かう。居間の中にはすでに朝食のおかわりをしているロルフとそれに応じる高蔵寺がいた。ロルフの足元には二頭の狼がそれぞれローストビーフに食らいついている。


「はやいな」


真っ先にロルフが九条の登場に気が付いた。相変わらず濃い隈が目の下にある。今日も寝ていないようだ。頭にあるヘッドフォンには「犬」と書かれているが、残念ながらロルフはこの意味を知らない。


「もう少し寝ていてもよかったのに」


ロルフの声で高蔵寺も九条に気が付いた。少しだけ声が小さい様子から、やはり九条を起こしてしまったことへの罪悪感はあるのだろう。気にしていない、と九条は軽く手を振った。

人間の食べ物を好んで食べない吸血鬼の九条は暇つぶしに狼の大きな背中を撫でる。


「八時には家を出るから二人とも準備しておいてね。ロルフ、狼は連れて行かないわよ」

「……そん、な」

「狼は電車に乗れないわよ。というか、あなたと狼たちはドイツからここまでどうやって来たのよ」


日本へ密入国を果たしているロルフは無言でそっぽを向いた。

準備はやはりというべきか、女性の高蔵寺が時間をとった。二十四と年頃の高蔵寺だ。予定時間を十分ほどオーバーして出発。電車に乗り、予定通り一時間半かけてやっと地面の上に立つことができた。乗り換えがあったため、電車は地上から地下へと変わっている。階段を昇る九条の足取りは重い。電車の中で爆睡していたロルフはまだ眠気が残るようで大きなあくびをしていた。


「んん……、ああ。Ich verstehe」


寝ぼけているロルフは、つい母国語が出た。が、これはよくあることだ。九条も高蔵寺も気にしていない。くんくん、と鼻を動かしていた。

九条が前を歩き、その後ろを高蔵寺とロルフが続く。下唇を噛んで足を進める九条の歩調は乱れている。うまく呼吸ができないような気さえしてくる。九条の背中を高蔵寺がさすってくれているが、気休めにもならない。


姉が死んだ。

その現実を確認しに行くことが恐ろしい。姉が生きていることを願うが、それはわずかな希望だ。九条は姉が殺されたのだと認識している。無条件に赤井を信じているわけではない。九条が信じている赤井だからこそ、事実だと受け止めてしまった。家が近づく度に九条の身体に冷や汗が流れる。これは緊張からくるものだろうか、苦痛からくるものだろうか。


「九条、ここ?」


気が遠くなるような錯覚からロルフが引っ張り戻した。


「ここだ……」


白い壁の家が九条、高蔵寺、ロルフの三人の前に現れていた。柵でできた簡素な門の向こうには観賞植物が手入れをされていない状態で生い茂り、窮屈そうに密集していた。灰色のコンクリートの長さはニメートルと短いが、門から玄関への道となっている。右側には車一台ぶんの駐車場がぽっかりと地を晒していた。ぴっちりと雨戸まで閉められた家は隙間なく外界を拒絶しているようだ。この家にはまったく人気がない。その原因の一つともいえるのが、家を囲う看板とテープだ。

「立ち入り禁止」と大きく書かれた看板が玄関の前に。そして黄色と黒の同じく「立ち入り禁止」と繰り返し書かれているテープは家を隠すようにぐるぐると巻き付けられていた。


懐かしい我が家の姿はすっかり変わっていた。

膝から力が抜けていきそうだった。このまま倒れこんでブラックアウトしそうだ。でも九条はこんなところで悲しみに暮れるわけにはいかない。後悔と戦ってもしょうがない。逃げてばかりではいられないのだ。立ち止まるわけにはいかないのだ。誰も九条を待ってくれやしない。

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