第11話「さよなら」
「カラカルとは、もう行けない」
一瞬、カラカルは自分が何を言われたのかわからなかった。何を言われた? なぜ? そもそも、今そんなことを言ったのは誰? 考えれば考えるほどに混乱は増長していく。
「……どういうことよ……」
ワナワナと震える口から、ようやく絞り出せたのはたった一言だけだった。しかし、その一言からカラカルの混乱が手に取るようにわかる。
「言ってるでしょ? カラカルとはもう行けない」
「それがどういうことって聞いてるのよ!」
ついにカラカルは怒号を上げる。混乱は増すばかりで、ぐちゃぐちゃになった感情はそのまま口をついて出る。
「それをカラカルに話してどうなるのさ。話しても結果は変わらないよ」
対して、キュルルはどこまでも冷淡であった。カラカルに顔を向けることすらせずに、淡々とカラカルを拒絶していく。
「っ! あんた、今までわたしが何のために……」
返す言葉が無くなり、カラカルが苦い顔をする。そんなカラカルに援護の声があがった。
「ちょっと待ってください。キュルルさん、突然どうしたんですか!? あんなに仲が良かったのに」
オオセンザンコウである。隣のオルマーもオオセンザンコウに同意するかのようにキュルルに視線を向けている。
「別に、どうもしてないよ。ただ、ぼくはもうカラカルとは一緒に行けなくなっただけ」
行こうイエイヌ、とキュルルはイエイヌを伴ってとしょかんを出て行こうとする。イエイヌは困惑した顔をしながらも、キュルルについて行く。
「……あっそう! そういうこと!」
怒りをぶちまけるように、それでありながら何か縋るように、カラカルを声を荒げる。
「自分がクキって分かって、昔のパートナーと再会して、それでわたしとはサヨナラってわけ? あんた、そういうヤツだったのね!」
カラカルの言葉に足を止めていたキュルルは何も答えない。身動きせず、ただジッと立ち止まっていた。
しかし、何かを振り切るように歩を進めると、そのままとしょかんを出て行ってしまった。
「なんだっていうのよ……」
残されたカラカルは、ただただ崩れ落ちるのみである。
「カラカル……」
それまで静観していた博士が、初めて口を開く。しかし、カラカルは声をかけた博士の方を見もせずに、としょかんの出口に向けて歩き出した。
「カラカル、どこへ行くですか?」
「帰るのよ、わたしの縄張りに。大変だった誰かさんのお守りが終わったからね」
それだけ言い残して、カラカルも出て行ってしまう。としょかんにはなんとも言えない、気まずい空気のみが残された。
「博士〜」
「わかってるですよ。お前たちも行くのです」
「「了解!」」
その言葉と共に、カラカルの後に続くようにダブルスフィアもとしょかんを出て行く。そして、後には博士と助手のみが残された。
「博士」
「ええ、助手。我々もいつまでも引きこもってるわけにもいきません。すぐにでも出れるように準備をするですよ!」
一方、キュルルとイエイヌは旧カコ博士の研究室へ向けて、最短距離の道を歩いていた。
「キュルル、サギョウヨウニ、ラッキービーストヲ イッキムカワセタヨ。ツイタラ、スグニサギョウヲ ハジメルヨ」
「うん、ありがとう、ラッキーさん」
キュルルは右腕のラッキービーストにも淡々と返す。そのことが、イエイヌにはどうにも気がかりであった。
「キュルルさん、いいんですか?」
堪え切れなくなり、イエイヌはキュルルに問いただす。
「何が?」
それに対するキュルルの返答は、すっとぼけるようなものだった。
「カラカルさんのことです。あれは、キュルルさんの本心ではないでしょう?」
「……なんでそう思うの?」
「さっきからキュルルさん、まったく笑顔でないです。ボスにも冷たいですし。カラカルさんのこと、気にしてるんじゃないですか?」
キュルルは視線をイエイヌから前へと戻す。その物憂げな目にイエイヌは確信を持っていた。
「……別に。ただ、今は笑ってられるような状況じゃないだけだよ」
しかし、キュルルはまるで誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「カラカルのことだって、あれでいいんだよ。ああしなきゃ……いけないんだ」
あれでいい、ああしなきゃいけない、とキュルルは繰り返す。それは、イエイヌには自分に言い聞かせているようにしか聞こえなかった。
「ですが! キュルルさん、それで後悔しています! そんなの、悲しいじゃないですか……」
だからイエイヌは声を上げる。"ヒトを守るのが自分の使命"。ここでキュルルを後悔させたままにすることは、自分の使命に反するような気がするから。
「うん、そうかもね。でも、こうしなかったらきっと、もっと後悔する」
しかし、そんな言葉もキュルルには届かなかった。
「イエイヌさんも知ってるでしょ? パークの掟」
"自分の力で生きること"。カラカルから聞かされた掟。それは、キュルルの中でどこかに染み付いていた。
「いつまでも、カラカルに頼るわけにはいかないから」
早いか遅いかの違いでしかない。キュルルは言外にそう語っていた。
その態度にイエイヌは言い返すことができなかった。おそらく、キュルルの言葉はどこまでも正しい。しかし、だからこそ、
「……そんなの、やっぱり、悲しいですよ……」
呟くように放たれた言葉は、キュルルには届かない。キュルルの言葉は正しくて、そしてどこかが間違っている。しかし、何が間違っているのか、それはイエイヌには分からなかった。
「(私に、いったい何ができるでしょうか……。また、キュルルさんが笑顔でいられるように、何が……)」
イエイヌは思考を沈みこませる。はるか昔のヒトとの記憶。そこに何か手がかりが無いかを探して。
どこかぎくしゃくとしたまま、キュルルたちは進んでいくのであった。
キュルルに関して悩んでいるものは、イエイヌだけではなかった。
「キュルルさん、突然どうしたんだろうね〜」
トボトボと歩くカラカルの後を尾けながら、オルマーはオオセンザンコウに話しかけた。
「分かりません。あまりにも手掛かりが少なすぎます。そもそも、あの言葉はキュルルさんの本心だったのかも判断しかねますね」
「どうして?」
「としょかんに向かう前にキュルルさんたちと少し話したじゃないですか。あの時、キュルルさんがカラカルさんを見る目が、なんだか悲しそうに見えて」
「ん? ビーストと戦っているときはキュルルさん、普通だったよね。その間になんかあったってこと?」
「おそらくは」
2人して再開してからとしょかんに行くまでに、何があったか思い返してみる。しかし、心当たりとなるものは何もない。
「うーん、ダメですね。オルマーさんは他に何か気付いたこととかないんですか?」
「気付いたことね〜。あっ、そういえば」
「そういえば?」
「キュルルさんがカラカルさんと行けないって言ったときさ〜、博士たちがあまり驚いてなかったように見えたんだよね〜」
その言葉に、オオセンザンコウは猛スピードで振り向いた。
「本当ですか!?」
「う〜ん、たぶん。私からはそう見えたな〜」
「だとすると、博士たちはキュルルさんがそう言いだすのを予測していた?」
「そうなると?」
「キュルルさんが突然あのようなことを言ったのは、博士とキュルルさんしか知らないことが理由になるんですよ」
そこで2人して頭をひねってみる。
「……オルマーさん、何か心当たりあります?」
「ん〜、"りょうり"とか?」
「さすがに今回の件でそのことは関係ないでしょうね……」
博士とキュルルしか知らないこと、簡単そうで案外難しい問題に2人して突き当たる。オルマーがどうにかして捻り出した、トンチンカンな答えにはオオセンザンコウも苦笑いである。
状況はそこで動いた。
「センちゃん、ストップ」
オルマーの声にオオセンザンコウは立ち止まる。促されて前を見ると、カラカルが立ち止まっていた。
前方のカラカルは左上を見てとても驚いたような顔をしており、よく見ると何か呟いているようである。
「う〜ん、さすがにこの距離じゃ聞こえないか」
「ちょっと待っててください。今唇を読みます」
オルマーに一声かけると、オオセンザンコウは目を凝らす。
「え、っと、"……リアン、なんでこんなところにまで……"。セルリアン!?」
博士たちの言っていた大型セルリアンが出現したのかと、オオセンザンコウとオルマーもカラカルの見ていた方向を向く。
そこには……
「何も……いない……?」
セルリアンらしき影はなく、ホッとしてまた前を向く。
「オルマーさん! 大変です! カラカルさんがいません!」
オオセンザンコウの声に、オルマーはハッとする。前方からカラカルは消えていた。オルマーたちが視線を逸らした一瞬のうちに、どこかへ移動したのだろう。
「カラカルさん……いったいどこに……」
「センちゃん、私ら、しくったかも」
「へ?」
「カラカルさん、耳、良いよね?」
そこでオオセンザンコウも失念していたことに気が付く。尾行はバレバレであり、先程までの会話も筒抜けであったと考えるのが自然であろう。
「たぶん、キュルルさんの元へ行ったよね。でも、なんで突然……」
「こうは考えられないでしょうか? 私たちは先程まで、キュルルさんと博士しか知らないことがあったと話してました。カラカルさんはそれに心当たりがあったのでは?」
「カラカルさんはキュルルさんがあんなことを言った理由に気付いたってこと?」
「おそらくは。何にしても、放っておけません。急ぎましょう」
そう言いながら、オオセンザンコウは走り出す。
「センちゃん、どうするん?」
「一度としょかんへ。博士がキュルルさんの言動を予測していたのであれば、この展開も予測している可能性が高いです。その場合の行動も何か用意しているかもしれません」
「りょーかい!」
ダブルスフィアはとしょかんを目指し、ひた走る。しかし、どこか不安めいたものは胸をチラついて離れないのであった。
そのころ、キュルルたちは旧カコ博士の研究所へと到着していた。
自身が2度目覚めた地。文字通り始まりの場所とも呼べる建物には、どこか懐かしさのようなものを感じる。それが、一目で廃墟とわかる建物でもである。
「ここでキュルルさんが……」
隣でイエイヌもどこか感嘆めいた声をあげる。イエイヌ自身出入りはしていたはずであろうが、それは遠い昔のこと。現在はむしろ新鮮味を感じるのであろう。
立ち止まってなどいられない、とキュルルは戸に手をかける。思い出深い重さと共に、ギィーッと音を立てて扉は開いた。
「……無くなってる」
「どうしたのですか?」
「ぼくの眠っていた装置に敷かれていたサンドスターが無くなっているんだ」
キュルルに続いて、イエイヌも研究所に入る。引き抜かれたコードや積み上がったガレキからは、昔の姿は想像することすらできない。
その奥、キュルルの視線の先には、ゆりかごのような機械があった。中が虹色に輝いていたはずのそれは、今は冷たい鉄灰色に変わっていた。
「たぶん、ぼくがいなくなった後、セルリアンのエサ場になったんだろうね」
ぼくのせいだ、とキュルルは呟く。イエイヌが、そんなことないと反論するものの、キュルルは何も返さず困ったような笑顔を浮かべるのみだった。
「とにかく、早くしないと。ラッキーさん」
「イマ、ホカノラッキービーストガ トウチャクシタヨ」
ラッキービーストの言葉に入口側を見てみると、マカセテマカセテと飛び跳ねてくる、青色のロボットがいた。その頭の上には、何かしらの機械が乗せられている。
目の前にラッキービーストが辿り着くと、キュルルは軽く身を屈めた。
「どうしたらいい?」
「コンカイハ、ジカンガナイカラ、コレデヤキキッチャウヨ」
ラッキービーストが頭の上にある機械を差し出してくる。拳銃型をしたそれには、手に持つ部分にスイッチと思しきものが付いていた。先端には小さな穴が空いている。焼き切るということは、おそらくここから熱を放射するのであろう。
キュルルの右腕が発光する。
「ツカイカタハ、ボクガ ガイドスルネ。ナオストキニモツカウカラ、タイセツニツカッテネ」
「うん、わかった、急ごう。イエイヌ、周囲の警戒をお願い」
「任されました!」
イエイヌは、自身の五感をフルに使って索敵を行う。その姿を確認し、キュルルは機械を握る手に力を込めた。
「……ふぅ」
慎重になっていたが故に止めていた息を吐き出す。ラッキービーストの指示に従い、何枚かの鉄板を入手することに成功していた。これだけあれば今回の修復には十分すぎるほどであろう。
「イエイヌ、こっちは終わったよ。こーじょーへ急ごう」
「キュルルさん、ちょっと動かないでください!」
キュルルがイエイヌに声をかけるが、イエイヌの様子はおかしかった。目は釣り上がり、喉からは低く唸り声が漏れている。
「(なにが来た?)」
その様子に、キュルルも危険を察知する。ラッキービーストを抱えてソロリとイエイヌの元に近づくと、ヒソヒソ声でイエイヌへと話しかけた。
「(おそらくセルリアンです。だんだんこっちへ近づいてくる)」
イエイヌの言葉を証明するかのように、ガサガサと植物をかき分ける音が聞こえてきた。だんだん大きくなっていくその音に、2人は息を潜める。音がやみ、辺りが静けさに包まれる。そして、暗闇に身を隠す2人を嘲笑うかのように、大きな単眼が研究所を覗き込んだ。
「なっ!?」
「なんで、バレて!?」
完全に捕捉されてしまった2人は慌てて退避を試みる。しかし、ここは逃げ場のない建物内。キュルルたちはあえてセルリアンの方へと走り出した。
セルリアンの大きな足の振り下ろしが、建物ごとキュルルたちに襲いかかる。老朽化した建物は簡単に崩れ去り、膨大な砂埃を巻き上げた。
「ップハァ!」
間一髪、キュルルたちはセルリアンの攻撃を躱すことに成功していた。
「とにかく、今はこの状況をどうにかしないと!」
まるで最初から居場所が分かっていたかのようなセルリアンの行動には疑問が残るものの、キュルルは切り替えてセルリアンと対峙する。とにかく石を見つけなければ話にならない。
石を探すため、動き回ろうと身体に力を込める。その時だった、
パッカーン!
大型のセルリアンは砕け散る。
「えぇ!?」
驚くイエイヌ。対して、キュルルは歯噛みした。突然出てきた大型セルリアン、そして一瞬後に起こる虹色の爆発。キュルルはそこに既視感を感じていた。それを証明するかのように、後には鈍色のフープだけが残される。
「どうして……」
キュルルは苦々しげに呻く。
「どうして、こんなときに……!」
そして、キュルルたちの目の前に、ビーストは降り立った。
「そんな……なぜここにビーストが……」
イエイヌもまた呆然とする。先程、4人でどうにか渡り合えた相手である。2人ではどうにもならないのは必然である。
どうする? 逃げる。でもどうやって? 逃げ切るためには? キュルルの頭で様々な思考が巡る。しかし、全てのシュミレーションにおいて、失敗の最後に行き着いてしまう。
ここまでか、諦めかけるキュルル。そんなキュルルに、
「ったく、ホント頼りないわね」
聴き馴染んだ声がかけられた。
「……カラカ……ル?」
「まったく、アンタがわたしの心配をしようなんて100年早いのよ。ホント手間かかるんだから」
キュルルたちとビーストの間に降り立ち、カラカルは冗談めいた調子で話す。その言葉に、一瞬思考停止に陥りかけるキュルル。しかし、すぐさま立ち直る。
「なんで来たのさ、カラカル!」
助けに来たカラカルをキュルルは拒絶する。先程のシュミレーションにカラカルを加えても、結果は変わらないことをキュルルは分かっていた。
あと1ピース足りない。これで立ち向かったとしてもやられるのが3人に増えるだけである。キュルルはそう確信していた。
しかし、カラカルは違った。
「行きなさい」
「え?」
「ここはわたしに任せて、アンタたちはこーじょーに行きなさい」
その言葉に、キュルルは全てを悟った。
「ダメだよ!」
だからこそ拒絶する。
「そんなこと、ダメに決まってるじゃん! 何言ってるんだよ!」
怒鳴るように声を出すキュルル。隣のイエイヌは訳が分からず、2人を見守ることしかできずにいる。そんなイエイヌの姿すら、キュルルには見えない。
そんなキュルルに、カラカルは振り返って笑った。
「ねぇ、キュルル」
「?」
「わたしは、アンタと旅ができて、楽しかったわよ」
それは、まるで散る寸前の花ような、とてもキレイな笑顔だった。キュルルは目を見開く。
「今まで、ありがとね」
ダメだ、キュルルの頭の中にはそれしかなかった。うまく動かない身体を無理矢理動かして、カラカルに手を伸ばす。
「 」
最後の言葉はもう聞こえなかった。
バリンッ
何かが割れる音がした。その音ともに、キュルルの身体は宙を浮く。
「……遅かったのです!」
キュルルの身体を抱える博士が、苦渋の声を上げる。隣でイエイヌを抱える助手もまた険しい顔つきとなっていた。
しかし、そんなことはキュルルの意識の外であった。
キュルルの目線の先、カラカルに変化が訪れる。身体の周りをサンドスターの輝きが散り、瞳はどこか暗い輝きを灯す。
「HUSYAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
その様は、対面する
「一度、としょかんに退避するですよ!」
言うがいなや、博士と助手は動く。博士に抱えられたキュルルもまた、その場を後にしていく。
キュルルは、遠ざかっていくカラカルに、もう届かない腕をがむしゃらに伸ばした。
「カラカルーーーーーーーーー!!!」
悲痛な叫びは、山に吸い込まれて消えていくだけだった。
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