第七話 風の調香師
この豊かな香りをすべての人に届けたいの。
妖精とか、声や音の色とか、珍しいところでは赤い糸みたいな普通の人には見えないものが見える人の話はよく聞くけれど、私は鼻が利くタイプの人間だ。嗅覚が人より敏感ってわけじゃない。ただ、風とか、海とか、土とか、花の匂いを土地によって嗅ぎ分けられるのだ。人のまとう空気の匂いなんかも分かる。
それが普通じゃないことを知った時は、この素晴らしい香りが分からないなんて人生の半分を損してる! と思ったものだ。
私は、私の知るすばらしい香りをたくさんの人に知ってもらいたくて、
海外に出向く場合、国家間を移動するときは公共の交通機関を使うけれど、目当ての国に着いたら移動はいつもその土地の竜乗り便にお願いしている。竜乗りの一族の人はすばらしいガイドになるし、なにより竜はとても愛らしくて癒される。
海や湖の水や風の瓶詰め、花の種、樹木の葉、土、ドライフルーツやナッツ。その土地ならではのものをとにかくたくさん集めるから、ひとつの地方をまわり終えた頃にはリュックがパンパンになっていることも珍しくない。それを国際便で日本の工房に届けて、私はまた旅を続ける。
旅の終わりには、調香工房をお借りして、お世話になった竜の涙やうろこ、爪などから調香した香水を竜乗りの人にプレゼントしている。
『とてもこの子らしい匂い』
ととても喜ばれるから、多少手間とお金がかかってもやめられない。
日本に戻り、届いた荷物をほどいて、どの材料を使ってどんな香水をつくるか悩むのは毎回大変で楽しい時間だ。
風や海だけの匂いを調香したものは、爽やかで透き通った香りがして万人に受けがいいけれど、その土地のものをぎゅうぎゅうに詰め込んだ香水も人気が高い。
香水づくりのベースには星影のかけらを使う。
ガラス瓶にかけらと素材を入れて月の綺麗な夜に窓際に置いておくと、朝になれば材料とかけらはすべて溶けている。これが香水の原液だ。こうすることではじめて、誰にでも明確に匂いが分かるようになる。
瓶を窓際に置いた夜は、どんな香りになるのか、どんな色になるのかわくわくしてなかなか眠れない。
原液はそのままだと香りが濃すぎて使えないから、人魚や妖精の涙を精製水で薄めたものを混ぜて商品にする。日本の香りを作る時はあやかしの涙を使うと、まさに日本! という香りになるから面白い。
香水に使う瓶は、その土地で生産されたものを使うのがベストだけれど、特注品扱いになって価格が上がってしまうから、量販されている香水瓶を使うことも多い。
学生時代に安い香水を買っていた子が社会人になって、
「ずっとこの香水を買うのが夢だったんです!」
ときらきらした顔で特注の香水を買っていくのを見ると、愛おしくて抱きしめたくなってしまう。
もちろん、オーダーメイドの香水も受け付けている。故郷の香り、家の香り、恋人や伴侶の匂い。依頼は多岐に渡る。
どの香りももちろん素敵だけれど、私にオーダーメイドを任せてくれるなら、一度は「自分のまとう空気の香り」をオーダーしてほしい。その人の育ちとか、性格とか、経験とかがぎゅっと詰め込まれた香りはどの香水よりその人らしさが出るし、何より自分の空気の匂いを知れるというのはとても新鮮だ。
私が唯一感じることができないのは私自身の匂いだ。
だから私も、はじめて自分の空気で香水をつくった時は私のまとう空気はこんな香りなのかとびっくりして、私らしいと笑ってしまった。自分の香りを知ったお客さんは、たいていみんな同じような反応をする。
怖がることなんて何もない。空気の匂いは、いわば体臭とはまったく違う。好みはあるけれど、それを嗅いでくさいと思う人なんて一人もいない。
香りは時と場所によって使い分けるものだ。だからこそ、プライベートな空間ではおもいっきり好きな香りを楽しんでほしい。大好きな町をぎゅっと詰め込んだ香り、大好きなあの人の香り。少し薄めた香水をスプレーボトルに入れて、寝具にふりかけて眠るととても満たされた気持ちで眠りにつける。
私は私の知っている香りのすばらしさを伝えたくて調香師になった。
私が常日頃から感じている香りを知って、同じようにすばらしいと思ってくれる人がいるなら、これ以上幸せなことなんてない。
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