第六話 竜のボタン屋さん

 竜のご加護を渡すとき、私はいつもあなたとの未来を考えている。


 竜といえばイギリス、イギリスといえば竜である。あくまで私のなかでは、だ。

 中学生の頃に竜と竜乗りの絆を描いた児童小説に出会ってから、私はころころと坂道を転がるように竜マニアになり、竜乗りになることを夢見た。しかし、悲しいかな竜を操(あやつ)れるのは幼い頃から竜と一緒に過ごした竜乗りの一族だけだ。生まれというどうしようもない壁に夢をはばまれ、腐っていた私の世界を変えたのは、ドラゴンショップで見つけたひとつのボタンだった。

 優しい象牙色をしたそれは、ほのかにマットな質感でとても触り心地が良く、一見してなんの変哲もないボタンなのに強く惹きつけられた。

「珍しいだろう。それは竜の乳歯にゅうしからつくられたボタンだよ」

 立派な口髭くちひげをたくわえた店長のお爺さんは、青い目を細めてそう説明してくれた。なんでも、イギリスでは竜の歯の加工品を長寿のお守りとして贈るのがポピュラーらしい。

 世界が開けた気がした。私の行くべき道はそこだと、この小さなボタンが教えてくれているようだった。

 猛勉強のすえ、私は竜専門の歯医者さんになった。今では一年に二回、イギリスの竜の里に行き、竜の歯の検診と治療、乳歯の抜歯ばっしをおこなっている。

 私の治療は歯を削らない、ドックベストセメントと呼ばれる手法を取っている。半永久的に虫歯菌を殺菌する高ミネラルセメントを塗って、菌を根絶させるのだ。これは人間の歯の治療にも使われており、日本では保険適用外だが海外では主流になりつつある治療法だ。

 竜の里は辺境の渓谷けいこくとか、とにかく驚くほど田舎にある。だから最先端の歯の治療はとても喜ばれて、竜にも人にも歓迎された。

「ちょっと痛いけど、すぐ終わるからね」

 鼻のあたりを撫でながら、まだ小さい(と言っても私の背丈はゆうに超えている)子供竜に言うと、その子はキュウと鳴いて私に身を任せてくれた。知恵の象徴でもある竜は世界中の言語を知っているから、つたない英語を喋る必要もない。

 私は大きく開いた口の中に頭を突っ込んだ。さっきまで痛みがやわらぐ薬草を噛ませていたから薬っぽい匂いがする。

 目的は今にも抜け落ちそうな乳歯だ。ぐらぐらとこぼれ落ちそうな、しかし自然にはなかなか落ちないその根元に丈夫な糸を巻きつけて、えいや、と両端を引っ張る。歯が抜ける瞬間、子供竜はびくん、と体を揺らしたけれど、それだけで歯を立てることもなかった。

「頑張ったね。えらいえらい」

 銀色の瞳に涙を溜めている可愛らしい顔を包み込むように撫でてあげると、その子はさっきとは違う声色こわいろでキュウ、と鳴いて甘えるようにすり寄ってきた。

 一ヶ月かけていくつかの里をまわり終えて、私は日本に帰ってきた。手土産は抜歯した竜の乳歯だ。

私のもうひとつの顔は、竜のボタン職人である。

 夏は涼しく冬はとても寒い工房で、十センチほどの乳歯を機械で平たく大まかな形に切ると、それからはすべて手作業だ。竜の乳歯は大人のそれより幾らか柔らかく、ナイフや彫刻刀で削ることが出来る。

 この仕事を始めた頃、理想の形になるように乳歯を削り続ける作業が楽しくてたまらない、ということを友人に話したら、とても変なものを見る目を向けられたのは今でも忘れがたい。

 ボタンの形に整えて、機械で糸を通すための穴を開けると、残るは研磨作業だ。ざらざらとした表面がつるつるになるように、何度もやすりを変えて磨いていく。

「出来た!」

 磨き上がったそれは、私にしてみたらまるで宝石だ。依頼を受けて複雑な模様を彫ることもあるけれど、私はこのままのボタンがいちばん好きだ。

 ある程度まとまった数を作ってドラゴンショップに納品に行くと、いつものお爺さんはおらず、年若いお孫さんが店番をしていた。

「ちょっと調子が悪くて。すぐに戻ってくるとは思いますけど」

 お爺さんと同じ青い瞳に心配の色を乗せてお孫さんは言った。

 私はたまらず、その場で竜の革袋を購入すると、納品予定だったボタンをひと掴みしてじゃらじゃらと袋の中に入れた。

「これ、お爺さんに渡して下さい。また元気な顔を見せて下さいって」

 お孫さんは目を真ん丸にして、ぱんぱんになった革袋と私の顔を交互に見つめた。かと思えば可笑おかしそうに、嬉しそうに噴き出して、

「ありがとうございます。じいちゃん、びっくりしてすぐに良くなるかも」

 なんて冗談めかして笑った。

 だいぶ軽くなったバッグと、予定の六割程度の現金しか入っていない封筒をもって家路につく。

 竜のご加護は本物だ。お孫さんが言った通り、きっとお爺さんはすぐに良くなって元気な顔を見せてくれる。そうしたら、商品をタダで渡したことをたしなめたあと、ありがとうとまなじりを下げて、優しく笑ってくれるだろう。


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