第3話 → 准教授と見る
一、
「……花火、始まったみたいだな」
祐介さんが御猪口の中の酒を
僕は結局、和弘に『用事ができたから、納涼会に行けない。教授にもそう言っといてくれ』とメッセージを送り――その後で和弘やその他のラボのメンバーから怒濤のメッセージラッシュがあったのだが――納涼会の会場とは駅を挟んで反対側の行きつけのおでん屋に居た。
「それで、お前に話しておきたいことなんだが――」
タイミング良く、あるいは悪くなのかもしれないが、和弘から及川さんの浴衣姿の写真が送られてくる。続けて隣のテーブルからだろうか、どこか懐かしいようなガラス玉が転がってきて、カチリと音を立てる。
いつもなら和弘ほどではないにしても、僕の及川さんへの一方的な片思いを茶化してくるはずの祐介さんの顔が暗い。それも、スマフォに映し出された及川さんの写真を見たと同時に、さらに険しくなったようにも思えた。
「……ラボを移るって話、でしたよね。祐介さん」
「…………ああ。今度は東都大学に教授として行く」
「東都大学! 凄いじゃないですか!! しかも、教授? PI!? いよいよ自分の研究室を持つんですね! おめでとうございます!!」
「ああ、そうだな。ありがとう」という祐介さんの顔は明らかに喜んでいるようには思えない様子で、何かを迷っているようにも思えた。
少しの間、沈黙が続く。
「……ノリ、お前はどこまで知ってる?」
「えっ!? "どこまで"とは!?」
暗い顔のまま祐介さんから、突然の理解不能な質問が来たことに驚いて、声がうわずる。
「岩井先生と…………もう一人、及川さんの仕事についてだ」
「及川さんの仕事? 何のことです? iPS細胞からのオルガノイド形成とかそういう――」
「いや、研究内容そのものの話じゃない。もっと"別の"ことだ。 …………いや、"知らない"ならいい。そうだな、"知らなくてもいいこと"なんだ……すまん」
そういうと祐介さんは僕と自分の杯にゆっくりと次の酒を注ぐ。そしてもう一度、まるで何かを自分自身に言い聞かせるように「そうだよな、お前は無理に知らなくてもいいことなんだ」とつぶやいた。
二、
――それから六ヵ月が過ぎた。
街では雪が舞うことも多くなってきていた。
実務としては、意外ともたついていた大学院の移籍手続きが先週の木曜日にようやく終わり、岩井研から運んできた引っ越し荷物もあらかた東都大学の新しい実験台の上に設置することができた。
最初はどうなることかと思っていた――というより、地方大からの移籍者について、意地悪をされたり、冷たくされたりするのではないかと思ってたりもしていたのだが――周りの研究室のスタッフや大学院生たちは、意外にも親切で、引っ越しの手伝いや自分の実験内容の相談など、むしろ前の大学のときよりも環境はいいのかもしれない。
「あ、おーい、"ノリ"! ノリのいた大学がテレビに出てるぞ」
隣の研究室との境にある休憩スペースから、ここでも同じように呼ばれることになっていた僕のあだ名を呼ぶ声がする。
「……あれ? これ、マジでノリの元ラボじゃね?」
「何?」と、僕も休憩スペースに移動し、隅に設置してあったテレビに目をやる。休憩スペースにいた4名の学生たちがざわざわとしている。画面には、確かに見慣れた白髪交じりの男性が映っている。
「えっ……ね……捏造……!?」
画面の下に衝撃的なテロップが出ている。大学のたぶん教養棟の一室だろうか、長机の中央に岩井教授とその隣には副学長、そして見たこともない広報担当事務の初老の男性と弁護士だという年配の女性が並んでいる。
『……この度は、私どもの研究室において、このよう研究不正が起きたという事実について、とても言葉に言い表せられないほどの後悔と反省をしています。また、この研究の大部分が科研費という税金を原資とする資金で行われていることを考えますと、多くの国民の皆様に深くお詫びいたします』
岩井教授はテレビの向こう側で、深刻な顔をしながら、でもどこか淡々と、時折手元の原稿に目をやりながら続けていく。
『"彼女"の当該論文――昨年度および本年3月に発表された3報の論文において、18ヶ所の研究不正が確認されました。すでに一部報道機関で報道されていますように、"彼女"は、複数の実験データを改竄し、あるいは実際には行っていない実験結果を捏造して論文に載せておりました……私は、研究室の代表者としてこのような不正を事前に見抜けなかったことに対して、非常に無力感を感じております』
("彼女"!? ……そんな、まさか……)
突然、腰から下に力が入らなくなり、後ろに数歩よろけると、誰かにぶつかり、慌てて振り返る――そこには、険しい顔をしていた祐介さんが立っていた。
「ゆ、祐介さん……これって!!」
やっとの思いで絞り出した言葉に、祐介さんは無言で小さくうなずく。
「そんな……なんで……及川さんが…………」
その疑問には祐介さんは答えなかった。ただ無言のまま、じっと僕の方を見ている。
『……本人につきましては、当人の意向もあり先月末付けで本学を退学しており……』
会見は続いていたが、いつの間にか集まってきていた同じ学科の教授たちが、祐介さんに一言二言声をかけて、自分の研究室の学生に研究室に戻るように告げて去っていく。
「安曇先生、ご苦労さまでした。長くかかりましたね」
「ヒアリングや証拠提出、お疲れさまでした。これでようやく始められますね」
そういう内容の言葉をかけていた気がする。やがて、休憩スペースが僕らだけになると、祐介さんはポツリポツリと話始めた。
三、
祐介さんが及川さんと岩井先生の実験データがおかしいと気づいたのは一年前で、きっかけは意外にも僕の実験データからだった。
僕が実験を繰り返していたそのデータは、結果としては論文には使えないようなネガティブデータだったのだが、二ヵ月くらい経ったある日、岩井教授に呼ばれて、及川さんを含めた三人でのクローズドミーティングがあった。
そこで、及川さんが出してきたデータが、僕が数ヵ月試してもうまく行かなかった実験の"あまりにも綺麗な"データで、祐介さんは『どこかおかしい』と思うようになったらしい。
その後も及川さんの疑わしい実験データについて、自分で再実験をしたり、そして時には僕に実験を支持していた――そういうことらしい。
いわば、僕は自分の研究テーマをやりつつ、それと同時に、"僕には全く関係のない"及川さんの疑わしい実験データの確認実験までやらされていたことになり、それについては今でも腹立たしい。
「それについては本当に申し訳ない。学生の進捗を犠牲にするなんて、正直、最低の指導者だと思ってる。本当にすまない」
実際に祐介さんもそう言って何度も謝っていた。
その後、教員公募でこの東都大学での教授職の内定を得た祐介さんは、思い切って前職の大学の相談窓口に相談し、調査が開始されることになった。
その際に、この調査を仕切っていた研究担当の副学長自ら、『東都大学側にも事前に説明する必要がある』と赴き、それがさっきの教授たちの反応につながっているのだろう。そして、教授たちそれぞれの幕引きが終わったころには、及川さんの姿はもうあの街にはなかった。
和弘の話では、地元である雪国の小さな街に戻って、母親のやっている喫茶店を手伝っているらしい。とは言っても、和弘自身も又聞きの又聞きで、本当のところは誰もしらない。
――――そう、誰も"彼女"がその後どうなったのかは知らない。
和弘はスマートフォンのアプリ越しに続けて、『岩井先生としては、及川さんの論文を根拠にして獲得した大型研究費がどうなるか心配だったみたいだけど、無事、継続が決まったと岩井先生が安心してたよ。でも、何だかな……』そう綴る。
本当にこれで良かったのか?
もちろん、仮に僕が事前にこの事実を知ったとしても、僕には何もできないことはわかっている。事実、僕はその言葉すらも和弘に返信できずに、ただスマートフォンの画面をぼんやりと眺めているだけだ。
「――本当にこの結末でいいの?」
その凛とした、それでいてどこかで聞いたことのあるような懐かしい声に驚いて、視線をスマートフォンから外す。
そこには少女が一人、立っていた。
白い透けるような肌と夜の闇を溶かし込んだような真っ暗な髪と瞳。少女は苦しそうな表情を浮かべ、ブラウスの胸のあたりをぎゅっと右手でつかんでいる。
「ちょっと、君、大丈夫?」
僕が思わず手を差し伸べると、少女はその真っ白な左手でそれをつかみ、僕の身体を自分に引き寄せる。
「このままでいいの!? こんなの、こんなの誰も幸せになんかならないじゃない!」
僕はその左手を振り払って、少女に向かって叫ぶ。
「だからといって、どうすればいいんだよ!! "あっちも"ダメだったじゃないか! "こっち"なら少なくとも及川さんは生きてる、そうだ、彼女は生きてるんだよ!! ――――えっ!? 俺、何言ってるんだ!? ちょっと、何だよこれ!」
これまでに感じたこともない頭の中の違和感から、僕は両手で頭を抱える。そんな僕の様子を見て、少女の瞳から涙が流れる。
「大丈夫だよ。君は今度はどこに行けばいいのか――もう知ってる。大丈夫」
少女は、そのどこか及川さんに似たその少女はそう言うと、弱々しく微笑んだ。
打ち上げ花火、
教授と見るか?
准教授と見るか?
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