第Ⅶ章 勘違いの大海戦(2)

「――な、なんだ!? 錨が飛び込んで来たぞ?」


「海賊だ! 海賊船に取り付かれたんだ! 早く撃ち払えーっ!」


 さすがにそれには向こうも反応し、駐留艦隊のいないこちら側にも水夫達が駆けつけて来る。


「さてと。ようやく思う存分暴れられるぜ……んじゃ、俺は〝お迎え〟に行ってくる! あとは任せたぜ! ガルルルル…」


 船体の低いジーベックの甲板からそんな敵兵の姿を見上げ、やられっ放しの砲撃戦で鬱憤の溜まっていたリュカは大きく背伸びをすると、そう言って体を震わせながら低い唸り声を上げる……


 すると、以前見せたように彼の筋肉は肥大化し、その腕と脚は衣服を破らんばかりに一回り大きくなる。獣毛に覆われた手の爪も鋭く伸び、さらに今回は耳と鼻面の伸びた顔にまで灰色の毛が生え揃うと、大きく裂けた口の中には鋭いナイフのような牙が覗いている。


「ワォォォォォォーン!」


 見てくればかりか、まさにオオカミそのものが如く遠吠えを上げたリュカは、肥大化した両の脚に力を込めると、高い壁のようなガレオンの弦側も一っ跳びで乗り越えて行く。


「では、我らはお頭殿が魔導書を手に入れるまでの時間稼ぎだ! セニョーラ・マリアンネはゴリアテとともに船を頼む!」


「それじゃ、ちょっと行ってきます」


「うん、わかった。留守番は任せといて」


 一方、こちらは一応、常人のドン・キホルテスとサウロは、マリアンネに断りを入れてからシュラウドを登り、マストにかけられたロープに掴まって振り子の要領で敵船へと乗り込む。


「ワタシも行くネ。やっぱり海戦の醍醐味ハ白兵戦ネ! アチョォォォ~っ!」


 また、その見た目とは裏腹に、常人離れした身体能力を持つ軽業師顔負けの露華は、高いフォアマストの先端にいた位置的優位性を生かし、そのままガレオン船の上甲板に飛び込んで行った。


「…ん? ひ、ひぃ…ば、バケモノだあっ! うぐあぁっ…!」


「お、オオカミだ! オオカミが出たぞ…ぎゃああっ…!」


 一足先に飛び込んだリュカは、彼の姿を見て驚く水夫達を鋭い爪で引き裂きながら、船尾楼目指してまっしぐらに上甲板を走り抜ける。


「フン、俺はオオカミじゃねえ。オオカミだ。そこら辺とこはちゃんと区別してもらわねえとな……こっちか……」


 そして、そんな台詞を立ち尽くす水夫達に言い残すと鼻をクンクンさせ、何かを探すようにして船尾楼の中へと姿を消す。


「多勢に無勢。一本では面倒だな……サウロ、カットラスとサーベル!」


「はい、旦那さま!」


 続いて乗り込んだドン・キホルテスはいつもの如くサウロに命じ、彼の優秀な従者もこれまたいつものごとく、背に担いだ籠の中から主人の注文した刀剣を引き抜いては投げ渡す。


「遠からん者は音にも聞け~っ! 近くば寄って目にも見よ~っ! やあやあ、我こそは世に〝百刃〟と呼ばれし一人當千の兵! 禁書の秘鍵団が騎士、ドン・キホルテス・デ・ラマーニャなるぞ! 我と思わん者は寄り合えや寄り合え~っ!」


 右に海賊然りとしたカットラス、左に騎兵用のサーベルを手にしたドン・キホルテスは、その古風な甲冑姿にも相応しく、古の騎士よろしく大音声で名乗りを上げる。


「な、なんだ、この時代錯誤な野郎は?」


「中世騎士の時代劇か?」


「かまわねえ、やっちまえ!」


 恐ろしい人狼に続き、今度は突如として現れた珍妙な襲撃者に、彼のことを知らない水夫達は唖然としながらも気を取り直し、腰のカットラスを引き抜いて一斉に襲いかかる。


「フン!」


「うぎゃあぁっ!」


 だが、その趣味趣向はともかくとして、剣の腕だけは確かなドン・キホルテス。


  数度の剣戟の音を響かせると、一瞬にして三人の敵を難なく斬り伏せてしまう。


「く、クソっ! 時代遅れ野郎が、これでも食らえ!」


 その鬼神が如き強さを目の当たりにして、一人の水夫が白兵戦用に準備していたマスケット銃を構え、慌てて彼に照準を定める……。


「うがぁっ!」


 が、パァァァァーン…! と乾いた発砲音が響いたかと思いきや、悲鳴をあげたのはその水夫の方だ。


 引金を引くよりもわずかに早く、銃を手にした水夫の腕にはどこからか投げられた一本のナイフが突き刺さり、意図せず放たれた弾丸はあさっての方向へと飛んで行ってしまう。


「サウロ! すまぬ!」


 そのナイフを投げたのは、ドン・キホルテスの従者サウロだった。


 ずっと主人に刀剣を投げ渡たしていた習慣の副産物として、ナイフ投擲の腕なんかもかなりのものになっているのだ。


「いえいえ、援護は従者の務めですから。旦那さまは思う存分、騎士の働きを為してください」


「うむ。それでこそ、我がラマーニャ家の従者である!」


 出来のよい従者の言葉に満足げな笑みを浮かべると、船戦ふないくさに適した二本の湾刀を両手に携え、ドン・キホルテスは再び水夫達に向かって斬りかかって行った。


「サア、どこからデモかかって来るネ!」


 また、マストの天辺から飛び降り、クルクルと回転しながら見事、曲芸師のように着地した露華は、辰国の武術〝陰陽拳〟の構えをとって、周りを囲む水夫達に油断なく目を配る。


「なんだ? 海賊にさらわれて来た東方人の奴隷のこどもか?」


「お嬢ちゃん、ここは危ないから、どっかその辺に隠れてなさい」


 しかし、ただでさえ歳が若い上に幼く見える東方人のロリータフェイスのため、エルドラニア人の水夫達からはそんな風に誤解されてしまう。


「来ないならこっちから行くネ!」


 すると次の瞬間、ドカ、バキ、バゴーン…! と肉体を殴る打撃音が船の上に響き渡る。


「ぐああぁっ!」


 こどもの身を気遣ってくれる、なんとも優しい大人達であるが、それがむしろ癇に障ったらしく、露華は正面の男の腹に容赦なく蹴りを入れると間髪入れずに左右の水夫を殴り倒し、背後にいたもう一人にも回し蹴りを食らわせて船縁まで吹き飛ばしたのだった。


「イタイ目に遭いたくなかったらトットとドッカにスッコンでるネ! デモ、トットとスッコム前にイタイ目に遭わせてやるネ!」


 そして、呆気にとられる他の水夫達を鋭い眼差しで見回しながら、二者択一と思いきや選択肢一つしかない脅し文句を、蒼く澄んだ月夜の空に朗々と幼い声で述べ上げた――。

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